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SUPER 入不二 夜哲会コミュの『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)

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3月27日刊行の『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の表紙(松田行正さん作)の画像です。

左が「カバー+帯」、真ん中が「帯なしのカバー」、右が「カバーなしの表紙」です。
大きい画像は、画像をクリックして見てください。また、以下にもアップしてあります。

http://wiki.livedoor.jp/irifuji/

のFront pageの「告知」、あるいは目次から「哲学随想『足の裏に影はあるか?ないか?』」をクリックして見てください。

コメント(12)

 なお、紀伊國屋BookWebのページ<http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4255004714.html>には、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)''の表紙画像と詳しい紹介が出ています。
 amazonのページ<http://www.amazon.co.jp/gp/product/4255004714>には、画像と紹介はまだ。
ようやく海外から帰ってきました。
やはり哲学は子供の頃の純粋な問いが原点だなぁと再認識させられます。
社会人になってからの心の支えにしたいと思います。
早く読みたいですね。
Paper Driving Stylerさん

 読んだら感想を聞かせて欲しいです。
ところで、月曜日の卒パ・謝恩会は、来ますか?
会えるといいのですが。
立体の画像もアップします。
1枚目:帯あり表、2枚目:帯なし表、3枚目:帯あり裏。
大阪大学教授の友人・飯倉洋一氏(近世文学)が、彼の忘却散人ブログ<http://bokyakusanjin.seesaa.net/article/116420196.html>に、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の感想を書いてくれています。よかったら、ご一読を。
 本日(2009年4月26日日曜日)の毎日新聞の朝刊「今週の本棚」<http://mainichi.jp/enta/book/hondana/index.html>に、拙著『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の書評が出ていることを知る。

 webでも読めるようです → 若島正氏(京都大学教授・アメリカ文学)による「果てしなき思考の逸脱」というタイトルの書評です<http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2009/04/20090426ddm015070023000c.html>。
 「・・・・入不二基義という奇観・・・・」という表現には、思わず(^_^;)。
もうだいぶ前に『足の裏に影はあるか?ないか?』は読破してはいたのですが、感想のほうをお聞かせするのが遅くなりました。

「随想」ということだったので、さらさらっと読み進めていけるのではないかという予見があったのですが、そうはいきませんでした(笑)この本は全体的に見たら随想寄りの哲学書といった体ですね。表題が示す『二値原理』とか時間論とか。しかと読み込まなきゃ、と思わされています。

とはいえ、やはり随想ではありますね。あの中に組み込まれていたレトリックにとても感銘を受けました。目を自ずと潤ませる暖かさや口元がつい緩んでしまいそうなコミカルさを誘う表現の数々。そのレトリック以前に入不二基義氏が持つ鋭敏な感性があると思うのですが、それらを純粋な哲学書や論文でそれらを組み込むことはその性質上からなかなか難しいですよね。こんなことをいうのはおこがましいと思うのですが、それは本当にもったいないことだと思います。ですんで今後、そのレトリックや感性が生きてくると思われる終盤の『memoranda 1991-1992』のような俗世間の事象に関する見解や、『Love Letter』の冒頭にあるような先生の半生を記すようなより随想的な側面が強調された書籍が出版されることを願っております。
放蕩息子さん

 感想をどうもありがとう。

 感づいてくれているように、ふだんの哲学論文などでは、レトリックとか個人的なものとかを、押さえ込んでいるし、抑圧もしているわけです。その「裏面」として、このようなエッセイ群が生まれてくることになります。でも、押さえたり・抑圧することも、実はそれ自体楽しいことなのです。またそれがあるからこそ、こういうエッセイ群も副産物として生まれるのであって、抑圧を解いてしまったら、何も生まれなくなるかもね。

 要するに、両面を行った来たりしながら、どちらもやるというのが、いいのでしょう。
まぁ、次は「揺り戻し」で、ガチガチの哲学の本を書きたいのですが。
irifujiさん

確かに。そこを行き来するという一連の流れはとても楽しいことですね。抑圧したり、もしくは抑圧されるという楽しさ分かる気がします。再確認させられました。


話は少し転びますが、「自由」というのは抑圧されること、制限されるということの上にしか成立しませんよね?自由という概念はそもそも不自由さを経由してからのみに成立し、これは『無関係という関係』という章に登場するような構図に似ていると思うのですが…。
 こちらも、話は少し転びますが、土曜日の夜に「心理学科大学院生の新歓コンパ」がありました。そこで、教員はみんな一言ずつ挨拶させられるのですが、私は「抑圧と逸脱」という話をしました。

 エッセイ集のプロローグに書いた、大学院生の頃の話です。研究のスタイルや「論文」の書き方をはじめ、強い「抑圧」が働いているからこそ、私のようなヤツは、そこから「逸脱」したいという思いが強くなったわけです。「抑圧」がないと、「逸脱」もできない。

 大学院生のみなさんは、たくさん「抑圧」を受けて、たくさん「逸脱」をしてください、という話をしたわけです。
「抑圧」されることで、その反動力が生まれたり、制約を掻い潜らんとする欲求が生じる。そういう力ってすごく強固だと思います。

「逸脱」に関して、学術的なフィールドにおいては先行研究を学ぶことによりそれを可能にする。というか、たいていの場合先行している結果の上にしか「逸脱」は生じない。これはアカデミックな場では至極当たり前な姿勢であると思うのですが、ぼくのようにエンターテインナーを志すような人たちにはそういう意識が希薄なように思います。そういう業界で成功している人々は口外しない場合が多いのですが、おそらくその種の「逸脱」の方法論についてすごく自覚的です。あと、そこに生じている「抑圧」についても。


そういえば先生は大学院の講義はお持ちなんですか?年度末、年度初めは大学教員としての業務が大変ですね。



大学院では、「院ゼミ」という院生の発表に対して教員がコメントを加えていく授業だけ、担当しています。

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