ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

一法庵コミュのわれわれが同意できない二つのこと、そして仏女がたへ伝えたいこと(10月21日)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
山下良道先生からのメールを紹介します。

-----------------------------------------------------------------------


親愛的朋友


大家好!


お元気ですか。鎌倉は今日は本当に気持ちのよい秋日和でした。


明後日から今年最後の五日間接心が始まります。二人のかたがキャンセルされたので、まだ男女とも空きがありますから、どうぞお申し込みください。部分参加でもかまいません。


今回の日曜瞑想会では、「仏女と仏男のかたがたへの招待状」と題してお話しました。09/10/18の法話を聴く
先週訪ねた京都で、リンポチェと一緒だったからかもしれませんが、なにかまったく違う次元が開かれてきた気がするのです。それはいったい何だったかを皆で考えました。「かたちなきもの」と「かたち」との関係。京都でみたたくさんの美しい「かたち」。阿弥陀像から、石庭までが意味するもの。それを京都で会った仏女のかたがたへのメッセージとしてお話ししました。


今はっきり言えるのは、われわれは日本人として「まったく新しい意識のありかたの次元」に入りつつあるということです。それはいままでのように少数の人たちではなく、もっともっと多くの人たちが。大原の三千院で抹茶をいただきながらそう確信しました。


そしてそうであるからこそ、われわれは慎重なうえにも慎重にそれを地道に、地道にやっていかなければいけないのではないでしょうか。何故なら人間の意識、こころ、たましい、精神、それらは余りにも微細で、デリケートなものですから、乱暴には扱えないのです。であるから、今日はわれわれがどうしても同意できない二つのことを表明しておきます。


その一。こころの問題を「薬物」によって解決すること。(もちろん、医療的治療はのぞきます)


その二。ネット上の匿名掲示板で、瞑想状態について、論争しあうこと。


以上を公に表明しておきます。


では、微細に、微細に、地道に、地道に「新しい意識のありかた」へ向かいましょう。そのためにまずしなければならないことをティク・ナット・ハン師から学びましょう。チャンネルを選ぶというたとえを使われています。


ティク・ナット・ハンの抱擁
あなたを平和へと導く
チャンネルを選択してみましょう。


私たちは簡単に惑わされてしまう愚かな存在です。
反面、私たちは、時には仏陀のような存在です。
私たちの中には、暗闇と明るさ、
意気地のなさと知恵が、同時に存在します。
私たちは数千個のチャンネルをもつテレビと似ています。
仏性のチャンネルに合わせると、私たちは仏陀になれます。
しかし、地獄のチャンネルに合わせると、私たちは飢えた魂となりかねないのです。


-----------地獄を選択するか、
極楽を選択するかは、
私たちの決定にかかっています。                                   (p.209-211)




では、みなで「極楽の選択」 をしたと思いますから、その極楽は「静寂」のなかにあるようです。エックハルト・トーレ師です。



Stillness Speaks: Whispers of Now Eckhart Tolle (ペーパーバック - 2003/9/1) その日本語訳は


世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え エックハルト トール、Eckhart Tolle、 あさり みちこ (単行本 - 2006/5)
今回も私の翻訳です。


When you lose touch with inner stillness, you lose touch with yourself. When you lose touch with yourself, you lose yourself in the world.
自分の内なる静寂とつながりを失ったとき、自分とのつながりも失うことになる。自分とのつながりを失ったとき、この世界のなかで自分自身を見失うことになる。


Your innermost sense of self, of who you are, is inseparable from stillness. This is the I Am that is deeper than name and form.
もっとも深いレベルでの自分という感覚、つまり自分とはいったい誰か、それはこの「静寂」と分かちがたく結びついている。それが、「名前とかたち」よりも深い、自分が自分であることだ。


Stillness is your essential nature. What is stillness? The inner space or awareness in which the words on this page are being perceived and become thoughts. Without that awareness, there would be no perception, no thoughts, no world.
静寂は、あなたの本質的な特質なのだ。静寂とはいったい何か?このページの言葉が認識され、思考となる、その内なる空間、気づきの意識のことだ。この気づきの意識なしには、いかなる認識も、思考も、言葉も存在しえない。


You are that awareness, disguised as a person.
あなたはその気づいている意識そのもので、それが人間のふりをしているのだ。


The equivalent of external noise is the inner noise of thinking. The equivalent of external silence is inner stillness.
外部にある騒音は、自分のなかの思考の反映されたものだ。外の世界の静寂さは、内なる静けさの表れたものだ。


Whenever there is some silence around you - listen to it. That means just notice it. Pay attention to it. Listening to silence awakens the dimension of stillness within yourself, because it is only through stillness that you can be aware of silence.
自分のまわりに静寂があるなら、それに耳を傾けなさい。ただそれに気づくということ。注意をはらう。静寂に耳を傾けたとき、自分のなかの静寂の次元が立ち現れてくる。なぜなら、静寂をとおしてのみ、静けさに気づくことができるからだ。


See that in the moment of noticing the silence around you, you are not thinking. You are aware, but not thinking.
自分のまわりの静寂に気づいている瞬間、あなたは何も考えていないではないか。あなたは気づいている。しかし考えてはいない。


When you become aware of silence, immediately there is that state of inner still alertness. You are present. You have stepped out of thousands of years of collective human conditioning.
静けさに気づいているとき、たちまち内なる静かな覚醒の状態がおこる。あなたは、現在している。長い年月にわたる人間の集合的な条件付けから、外にでたのだ。


Look at a tree, a flower, a plant. Let your awareness rest upon it. How still they are, how deeply rooted in Being. Allow nature to teach you stillness.
木や、花や、植物をご覧なさい。気づきの意識をそのうえに保ちなさい。彼らはなんと静かで、Beingのなかに根付いていることだろうか。自然から静寂について教えてもらいなさい。


When you look at a tree and perceive its stillness, you become still yourself. You connect with it at a very deep level. You feel a oneness with whatever you perceive in and through stillness. Feeling the oneness of yourself with all things is true love.
一本の木をみてその静寂を認識したとき、自分自身が静寂になるのだ。とても深いレベルでその木と繋がる。静寂のなかで、それをとおして認識するものはなんであれ、それとひとつだと感じる。すべてのものと自分がひとつだと感じることが本当の愛である。


Silence is helpful, but you don't need it in order to find stillness. Even when there is noise, you can be aware of the stillness underneath the noise, of the space in which the noise arises. That is the inner space of pure awareness, consciousness itself.
静けさは助けにはなるが、静寂をみつけるためにどうしても必要というわけでもない。騒音があるときでも、その騒音のしたに静けさと、騒音が起こるその空間を認識することができる。純粋な気づき、意識そのものの内なる空間である。


You can become aware of awareness as the background to all your sense perceptions, all your thinking. Becoming aware of awareness is the arising of inner stillness.
感覚をとおして感じるすべてのことと、すべての思考のバックグランドとしての、気づいている意識に気づくことができる。気づいている意識に気づくことが、内なる静寂が起こってくることだ。


Any disturbing noise can be as helpful as silence. How? By dropping your inner resistance to the noise, by allowing it to be as it is, this acceptance also takes you into that realm of inner peace that is stillness.
邪魔をする騒音も静寂と同じように助けになる。どうやって?騒音への内なる抵抗を落とすことで、ただそれをそうであるままにすることで、そうして受け入れることで、静寂という内なる安らぎの領域に連れて行く。


Whenever you deeply accept this moment as it is - no matter what form it takes - you are still, you are at peace.
この瞬間をそれとして深く受け入れるとき、どのようなかたちをとっても、あなたは静寂であり、やすらいでいる。


Pay attention to the gap - the gap between two thoughts, the brief, silent space between words in a conversation, between the notes of a piano or flute, or the gap between the in-breath and out-breath.
すきまに注意を払いなさい。ふたつの考えのすきま、会話の言葉どうしの短い静かな空間、ピアノやフルートの音のあいだ、吸う息と吐く息のあいだ。


When you pay attention to those gaps, awareness of "something" becomes - just awareness. The formless dimension of pure consciousness arises from within you and replaces identification with form.
これらのすきまに注意をはらったとき、「何かの気づき」がただ「気づき」になる。純粋な意識のかたちなき次元が自分のなかにおこり、かたちとの同一化に取って代わる。


True intelligence operates silently. Stillness is where creativity and solutions to problems are found.
「智」は静かにはたらく。静寂のなかに、創造性も問題の解決もみつかる。      (p.3 - 7)




だんだんと「静寂」につつまれてきていませんか。やすらぎとともに、、、


では、また。




with Bodhicitta


一法良道  Sudhammacara Bhikkhu


コメント(1)

>今日はわれわれがどうしても同意できない二つのことを表明しておきます。
その1。こころの問題を「薬物」によって解決すること。(もちろん、医療的治療はのぞきます)
その2。ネット上の匿名掲示板で、瞑想状態について、論争しあうこと。


1については、米国流の行動主義的心理観を基底にした薬物療法が基軸となりつつある潮流に対して、仏教側から明確に反対の意を表明すべきですね。
2については、僕自身はmixi ぐらいしか覗いていないのでよく知りませんが、中途半端な修行段階にある者や、読書から得た知識を自分なりに組み合わせただけの者が、自惚れや自己顕示欲から瞑想状態について他人を自分より蔑むだけの論争をすることは、とても有害なことですね。


ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

一法庵 更新情報

一法庵のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング