最終的に、BurkeはRay Phillipsと意見の相違があり、Phillipsは1973年にバンドを去った。彼らは替りのドラマー、Pete Bootを1年雇った。彼は"In For The Kill"で演奏している。彼はその後、Steve Williamsに取って代わられた。 「彼はすばらしいドラマーでね、Tony Bourgeとのラインアップは1978年まで続いた。僕らはMCAとは1975年に手を切り、A&Mに移った。僕はそれからファンキーな音楽にのめり込むようになったんだ。悪い変化だったかも知れないけどね。でも、キミの書くものはキミが今聴いているものに影響を受けているわけだし、バンドの音楽も変ったのさ。Budgieのファンのお気に入りは最初の5枚のアルバムだって言うのはその通りだけど。」 A&Mへのスイッチはバンドの知名度をあげたようには見えなかったが、彼らはちょうど1988年まで活動し続けた。"If I Were Britannia I'd Waive The Rules"のようなアルバムはさっぱり受けなかったが、Shelleyは言う。「横這になったんだ。ミュージックシーンは1977年にパンクが来て変り始めていた。僕らはその頃カナダにいて、イギリスに戻ったとき、人々が鼻に安全ピンを通してたりして、僕らが時代遅れのマヌケになってしまったことに気付いたんだ。 でも、ベースとなるファンがまだいたから、いつもホールは一杯にできた。76年に最初のUSツアーをして、カナダに住んでただ国境を越えるだけの方が楽だと分かったんだ。 僕らはそこに1年とどまって、1978年にカナダのOntarioでアルバム"Impeckable"を作った。Legs Diamondみたいなロックバンドとアメリカ中をツアーして回ったよ。ロード中にはMyf Isaacというセカンドギタリストをヘルプで入れたりしたな。そして1978年にTony Bourgeが辞めた。彼はツアーに出ているのに疲れたんだ。そこでSteveと僕はRob KendrikっていうTrapezeのギタリストを入れた。」 Tony Bourgeはその後、Ray PhillipsとTredegarというグループで再びシーンに戻ることになる。 「Pete Boot同様、Rob Kendrikはたったの1年しか続かなかった。彼がDallasに住むのがいいだろうって見込んだんで、僕らはそこに移った。でも、それは彼にはうまくいかなかった。その年の終わりには戻ってきて、Robと急いでツアーをした。契約を全部済ますためにね!僕らは"Big" John Thomasというもう1人のギタリストと会って、意気投合した。彼は79年の後半に加入して、1988年にバンドを終わらせるまで僕らはJohnとツアーした。」