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京都市平安京創生館コミュの雑談でもしてみませんか

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低調なので、雑談コーナーを設けました。

話題はなんでも可、どんな話題でもトピズレでは基本的にないとします(笑)

コメント(20)

では、最初に…

この3月か4月に創生館付近の史跡の整備がいくつか行われたようすです。

豊楽殿北にある清暑堂跡が史跡認定され北廊部と合わせ南の豊楽殿跡と合わせ「史跡平安宮豊楽院跡」となったとのことです。案内板をアップしておきます。合わせて内裏回廊跡も整備が行われました。こちらは様子の写真を上げておきます。
別トピを建てて、とも思いましたがコチラに...

創生館の案内ボランティアを募集しています。
休館日を除く午前と午後の2交代で月2回程度活動できる人が対象で18歳以上なら可とのコト。

「平安京創生館案内ボランティア養成講座」11月7日(土)午前10時〜午後5時
を受講して登録すればなれるとのこと。

当方は仕事の為、登録は出来ませんが どなたか登録してみませんか?
3月5日より「発掘調査成果写真展2009」が北ホールで出土品の展示と併せ行われています。

5月9日迄とのことです。

ナカナカ興味深い写真が多いので是非、期間中に……
目立たない場所に関連マップがありますので、見逃しのないように手(チョキ)
日記の話題かも知れませんがあせあせ(飛び散る汗)こちらへ…

昨日(6月5日)のウォークラリーの地図。まだ余ってました。今朝、アスニー2Fの事務所で頼むと貰えました手(チョキ)わーい(嬉しい顔)
両面カラーで大内裏図と聚楽第図と現代地図を合わせた表面と主要遺跡のカラー写真と案内を載せた裏面。


お勧め品です。ラリーに参加しなくても貰えたことが嬉しいハート
京都新聞ニュース
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100608000099&genre=M2&area=K00
より
「南北60メートルの巨大池跡 皇族・高級貴族の邸宅か」
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京都市中京区丸太町通御前西入ルの発掘調査で8日までに、南北が59メートル以上、東西が41メートル以上もある平安時代の巨大な庭園の池跡が見つかった。所有者は不明だが、研究者は「皇族を含め、相当高い身分の有力者の邸宅跡だったのではないか」と注目している。

 マンションの建設に伴い、日開調査設計コンサルタント(宇治市)が2月から360平方メートルを調査した。平安京の「右京二条二坊八町」で、鎌倉末期に成立した「拾芥抄(しゅうがいしょう)」西京図では、下級官人らの宿所「諸司厨町(しょしくりやまち)」の左衛門町とされていた。

 見つかったのは、池の東側にあたると考えられる部分。調査地の南側で過去に行った発掘で、同じ時期の土層の池跡が見つかっていることから、規模が判明した。邸宅全体は、親王や三位以上の高級貴族が住んだ一町(約120メートル四方)以上あると考えられる。

 池跡は平安前期から後期にかけて3時期あり、1期(前期〜中期)と3期(後期)は小石敷きで、2期(中期)には白砂敷きと、形状を造り替えていた。現在でも地下水がわいている場所があり、池は自然の泉を利用して造ったと考えられる。

 平安京の遺構では、藤原頼通が造営した高陽院(かやいん)(上京、中京区)や上皇らが住んだ冷泉院(れいぜいいん)(中京区)で120メートル以上の池跡が見つかっているが、邸宅自体が4町(250メートル四方)と別格の規模だった。

 2000年に今回の調査地の約700メートル南西で見つかり、伊勢神宮の斎宮となった皇女が住んだ邸宅跡として注目された大規模な池跡は南北40メートル、東西15メートルで、今回は全容が不明な段階でも、その4倍前後とみられる。

 調査は既に終了し、現場は埋め戻している。

■意匠も見事

 京都産業大の鈴木久男教授(歴史考古学)の話 意匠面で斎宮邸や高陽院と比較しても遜色(そんしょく)ない。平安前期からあり、造り替えもしていることなどから、所有者は相当上位の身分の人物と考えて差し支えない。
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場所は創生館から西へ500m程の位置です。館へ訪れた際に眺めてみるのも一興です!
但し、現在は工事中のフェンスが貼ってあって中は覗けません(/_;
日文研の地図は今まで画像の位置にカーソルをもっていくとリンクがあるらしいのだが…クリックをしても
「指定されたファイルへのアクセスはできません このファイルへのアクセスは国際日本文化研究センター内に限定されています。」
なんて還ってくるダケだった。

でも
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/
からリンクされている地図は拡大可能 しかもかなり細かいものまで鮮明v(^^)

早速、お気に入りに追加してますが全部はまだ見きれてません(^^)


−某コミュとはダブルポストになりますが重複メンバーが殆どおらず
またこのコミュ的には
『中古京師内外地図』−展示模型
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/08.html
『中昔京師地圖』−洛中洛外図
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/07.html
と同時期を扱った地図もあり必見です−
『小野篁~地獄巡り~』という観光ツアーがアスニー創生館を最初の訪問地として企画されているそうです。
http://www.tourland.jp/
http://www.tourland.jp/image/BDE4CEEEC6BBC2E8C6F3C3C6A1A1CEA2.jpg

そのツアーの予定地には含まれていませんが小野篁邸宅跡とされる平安京右京二条二坊四町について…


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 小野篁のファンは多いのですが、彼がどこに住んでいたということを知っている人は少ないのではないでしょうか。
 南北朝時代にできた貴族の教養書『拾芥抄』の「西京図」を見ると、西靱負小路の東、西大宮大路の西、冷泉小路の南、二条大路の北に「野篁家」という記述があります。つまり、篁の邸宅は平安京右京二条二坊四町にあったということになります。この場所は、大内裏のちょうど南西角付近にあたっています。
 現在の地名でいうと、中京区西ノ京冷泉町の真ん中付近が篁の邸宅跡になります。朱雀第四小学校の東側の住宅地の中です。残念ながら、安倍晴明邸宅跡と同様、現地に行っても篁の邸があったことを示すものは全く残っていません。
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heian/heian23.html
「小野篁にあいたい1」より
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発掘記録は残念ながら
http://www.kyoto-arc.or.jp/houkokusho/2008-18honbun.pdf
(円町での発掘記録)の付表によると平安京調査会による立会調査記録が1974年にあるようですがグーグル検索では見つかりませんでした。
日文研の考古空間情報公開用データベース
http://tunogis.nichibun.ac.jp/iseki/text_search.html
でも「平安京右京二条二坊」のキーワードで8件ヒットしましたが四町の記録はありませんでした。

『拾芥抄』西京図には記載があるようで「平安京提要」や山田邦和先生の平安京図(の孫引きも)には右京二条二坊四町には「小野篁」と記されています。http://www.kyoto-arc.or.jp/KYOU.PDFなど…
ですが、最近愛用の歴史地図『中古京師内外地図』
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/08.html
には「雀森」と記載されているだけで「小野篁」の文字はありませんでした。
先日、アスニーの平安京創生館を訪れたところ森幸安展示の「中昔京師内外地図」を前にボランティア解説者の面々がなにやら談義。
僕の前に訪れた閲覧者さんが「西の京に書かれている文字が御土居の袖の起源のヒントになるのでは」と言われていたとのこと。目を凝らして見たが読めない…

ならば、と日文研のhttp://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/07.htmlで
拡大して読んでみた。
「右京長安ノ部残ル地/應仁記及ヒ其乱後記西京ト云是/西京ノ名古ヨリ号ナリ」
と記されていた。

御土居の袖については中村武生氏の『御土居堀ものがたり』では
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江戸前期の絵図によって、この付近では下立売通に面したあたりだけが街区を形成していることに注目した。そして過去の説を踏まえて、街道町や寺などを取り込むために「袖」をつくったとされた(大塚隆/1979)
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と記されている。−第十七話−

この「中昔京師内外地図」で描かれた京都と同じ時期を描写したものに「洛中洛外図屏風−上杉本」があり、レプリカが同じアスニーの平安京創生館にあるので眺めてみると左隻の4扇か5扇の北野神社の南、双ヶ丘の東に家並みはあるような、ないような…(笑)西京の文字は6扇にあることはあるが…やや南に過ぎるような?これで位置はいいのかな??
どうやら御土居の袖の起源については、マタマダ宿題の様子(^^;


ともあれ「西ノ京」を「京都の西方向にある町」と今まで解釈していたが(今の京北と似たようなもの)森幸安の解釈は「(平安)京の西側の町(の残滓)」としていたらしい。納得!
森幸安展示の『中古京師内外地図』
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/08.html
を見ていると南に不思議な道路名を発見!
十条・十一条・十二条・十三条と書かれているのがおわかりでしょうか?

現在の十条通は大正期にできた道とか...
十一条は祥鳥橋通、十二条は久世橋あたりだろうか?
いずれにせよ現代まで通じる道では無いだろうが、ほぼ似た位置に大きな道路があるのは面白い。
創生館ボランティアの方から転載されてきた情報です。
確認は
http://www.kyoto-arc.or.jp/setumeikai.html
http://www.kyoto-arc.or.jp/butudai1.pdf
で行ないました。
> -----Original Message-----
> From: 財団法人京都市埋蔵文化財研究所 [mailto:annai@kyoto-arc.or.jp]
> Sent: Friday, December 02, 2011 5:59 PM
> To: イベント情報希望各位
> Subject: イベント情報 現地説明会のお知らせ
>
> 各位
> 平安京右京三条一坊六町跡発掘調査現地説明会のお知らせ
> 財団法人京都市埋蔵文化財研究所では、今年4月から佛教大学
> 二条西キャンパス予定地において平安京跡の発掘調査を実施
> しています。調査では、貴族の邸宅跡と思われる平安時代前期
> の建物跡や庭園跡などが見つかりました。
> つきましては、下記のとおり現地説明会を開催しますのでご案内
> 申し上げます。
>                記
> 日  時:平成23年12月10日(土)
>      午前10時〜午前12時・午後1時〜午後3時の2回
>      *当日午前7時現在、京都府南部に気象警報が発令さ
>       れている場合は中止します。
> 場  所:京都市中京区西ノ京星池町17番地59ほか
> 参 加 費:無料
> 問い合せ;現場事務所(当日) 電話075-802-4106
> 交  通:JR「二条」駅下車 西側すぐ
>      京都市地下鉄「二条」駅 2番出口から西すぐ
>      京都市バス「二条駅前」下車 御池通を西徒歩5分
> なお、詳細は京都市埋蔵文化財研究所ホームページ
> http://www.kyoto-arc.or.jp/
> をご覧下さい。
>                 京都市埋蔵文化財研究所
最近 配布している復元模型のパンフをスキャンしてみました。
それと同じ構図のGooleEarthの視点を探してみましたが…

広角レンズなのか、巧く収まりませんあせあせ(飛び散る汗)
でも、2つの写真を比べて判ること…

現在の京都市は全然碁盤の目ではない!ウインク
今、創生館でボランティアの募集をしています。
応募条件は
118歳以上
2月2回以上活動できる
3養成講座 平成24年2月4日 AM10〜PM5 を受講できる
4平安京や京都の歴史、文化に関心がある

とのことです。
興味があれば
TEL075−812−7222の京都市生涯学習総合センターまで
先日より考古資料館で配布している、京都歴史散策マップ
一度に貰えるマップは一人三部ですが、何度か再訪すればコンプリートで揃えることも可能だそうです。


http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000120267.html
にpdfファイルが置いてあり、ダウンロード可能なので、これで拡大表示させてイロイロと下調べしてから今出川大宮へ行くと「どの3部にすべきかあせあせ(飛び散る汗)」と、迷わなくて良いかも…わーい(嬉しい顔)

でも、とりあえずお勧め!3部だけでも入手すべきマップです。
拙日記より転載


京都の古刹・臨済宗妙心寺派の総本山−妙心寺の北門の前に立ち、世界遺産の1つ仁和寺への道を尋ねられたら…どう答えるだろう?

おそらくは「この道をみちなりに斜め西へ進み嵐電妙心寺の駅を越え数百m程で五叉路にでます。そこが仁和寺の南東角であと200m程西に二王門があり入口です」が現在なら正答だろう。

でも18世紀半ばの森幸安の地図には、そのような道は描かれておらず妙心寺北門の前の道を直線的に双ヶ丘の麓まで進み北に折れると二王門となる道しか書かれていない。(図1)

おや?と思い明治22年(1889年)の測量を大日本帝國陸地測量部が作成した地図を眺めると同じくL字型の道しか書かれていない。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2334.html
(図2)

だが、同じく大日本帝國陸地測量部の大正11年(1922年)の地図には斜めの道がかかれている。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2349.html

どうやら、この33年間に斜めの道は作られたのらしい。
日文研の所蔵地図データベースでその間の地図を漁ってみる。

約50枚の地図がヒットしたが、この頃の京都市上京の西端は紙屋川(下京は大宮)。京都市郊外は今の市バス路線図と同じく圧縮されてお座なりなものが多く、しかも仁和寺まで書かれているのは少数あせあせ(飛び散る汗)
公式な測量地図はこの間にもあるのだが、日文研の所蔵リストにはない!
しからば「地形図の楽しみ」
http://www.geocities.jp/nomonomo2008/
で探ってみると明治42年(1909年)測量、大正元年の5万分の1地図
http://www.geocities.jp/nomonomomaps20000/Kyoto/KyotoNorth/KyotoNorth.jpg
があった。ここには斜めの道がかかれている。
−20年間に道路作成期間は短縮−
(図3)

その間の地図を日文研で再検索してみると…
「明治京都」−明治30年頃ヵ(1897年)には斜めの道が描かれ
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_25.html
「最新實測京都新地圖」−明治41年(1908年)には記入されていない。
(東が上の地図)

どうやら明治30年代に作られ知れ渡ったのが明治40代(大正)
この期間にナニがあったかを当たってみると…
京都電灯の北野線−現京福電鉄北野線(嵐電)が開業したのは1925年
上記の地図のどれにも軌道マークは書かれていない。

ただ、御室小学校−学校の歴史
http://www.edu.city.kyoto.jp/hp//omuro-s/sub2.htm
によると
『1898(明治31)年 現在の場所に移転。その後,御室尋常小学校と改称。』
とあり、1909年の地図には「文」マークが書かれているが、この移転が契機となっての道路敷設かどうかは確証はない。



ただ、アスニーの平安京模型には、この斜めの道は造られていますウインクあせあせ(飛び散る汗)
はじめまして。

つくづく思いますが、政治や人物とはちがって、景観については、本当に不確定な部分が多いですね。
それを思うと、創生館の立体地図は、ほんとうに偉業だと思います。
京都だからこそ復元できたとも言えるでしょう。
今後も細部を検討して、正確さを向上してもらえれば、と思います。
>>[16]
いらっしゃいませ!

この模型はホントに眺めていて厭きません。それどころか妄想が逞しく湧き立つ始末(笑)
でも
》今後も細部を検討して、正確さを向上してもらえれば
は残念ながら予算の関係上、期待薄の様子です泣き顔

それどころか現在の天神川以西の模型の再展示も難しそうで…
現在は京都市の倉庫の中で眠っているそうです涙
5月23日より梶川敏夫先生の平安京復元図の展示が始まります。原画展示と拡大パネルの2本立てだそうで、期待してよい企画展です。

http://www.doyo-juku.com/sp/detail.html?id=5664&PHPSESSID=6ff58387afcce3a7c6bdb2c14064b18f
『よみがえる古代京都の風景〜遺跡復元鳥瞰図の世界〜』展

図録が2Fの事務所行けば買えます。A470Pの豪華版 是非是非入手をお勧め
尚、展示は写真撮影可とのことです。

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