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日本語しつもん箱コミュの和語の意味範囲

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漢字で書き慣れているために、まったく別の言葉のように思っている同音語の和語・・・
もしかしたら、本来の日本語では意味の広い言葉ではなかったのでしょうか? 同音異義の、異なる語源のことばの可能性はありますが、どうも、現代語にまで生き残っている言葉は、漢字で書くことが前提となっているために、今のような形の語義の役割分担を与えられて機能しているように思えます。

かく・・・・・書く、掻く
うつる・・・・移る、写る、映る
さす・・・・・指す、刺す、挿す
わかる(理解する・)/わかれる(分岐する)
かかる・・・・掛かる、係る、罹る

視覚的には漢字を使うほうがわかりやすいのですが、和語はひらがなで書いたほうが、本当は和語の表現力を高めるためにはよいのではないかと思う時があります。漢字に頼らなければ、和語の類義語の使い分けが、もっと豊かになるように思うのです。
漢字は日本語の一部ですが、漢字に頼ること・漢字語に置き換えられてしまったことで、現代語では和語で表現できなくなってしまった概念がたくさんあるように思えます。

皆さんは、和語と漢字表記、日本語本来のニュアンスを取り戻すことについて、疑問に思ったことはないでしょうか?

コメント(4)

わたしは、日本語に漢字表記が生まれたことで、単語の意味が明確になり、概念の細分化が進んで、むしろ豊かになったのではないかと感じます。
「日本語本来のニュアンス」が失われていくのは、長い歴史、社会の変化の中で、物質的にも精神的にも表現しなければならない概念が変化していることが、いちばん大きな原因であるように思います。
また、これは日本語に限った現象ではなく、どんな言語でも社会の変化に伴って起きていることだと思います。(ときには、言語ごと消滅することもあります。)

> 漢字に頼らなければ、和語の類義語の使い分けが、もっと豊かになるように思うのです。
> 漢字に頼ること・漢字語に置き換えられてしまったことで、現代語では和語で表現できなくなってしまった概念がたくさんあるように思えます。

具体的にはどのようなことでしょうか。
もしそういう事例があるなら、一緒に考えてみたいです。
上で皆さんに尋ねたかったのは、漢字語に頼らずに、さまざまなニュアンスのことばを探る方法はないだろうか、と考えたからです。

たとえば、硬い語幹の「希望」「待望」「切望」と同じことを和語で言えないだろうか、といったことです。

「のぞむ」・・・「まちのぞむ」「まちわびる」---- たしかに漢字語を使うことで語彙は増えますが、もともとの和語の表現力が侵食されて、自分も含めて、なくしてしまった語彙がたくさんあるように思えるのです。

類義語辞典とかを見ても、半分以上が漢字の言葉というのが、なんだか悲しい気がして。。。
わたしは、(例としては適当でないのを承知の上で申し上げますが)実は、キリスト教の聖書の翻訳文体と、平安時代の文学の現代語訳を念頭において、上記のトピを立てました。

源氏物語などでも、既に漢字語が現れますが、その比率は現代語訳に比べたら低いです。

また、理知的な訴求力よりも、魂に訴えかける聖書の現代語訳に、特に旧約聖書の詩文の部分に、意外に和語の多いことに気づきました。これは、翻訳者の、意識してか、無意識的にか、文体と言葉の選び方に方向性を与えようとした試みの現われであろうと推察します。

あるいは、これは、大正時代に改定されて完成した、文語訳の聖書の影響を受けているからかもしれません。文語訳聖書は、特に旧約の部分で、擬古的に平安時代の詩歌の文体で訳そうとした気配があります。当然、和語を多用し、できるだけ漢字語には、「るび」で和語の読みを当てるようにしています。

同じ聖書でも、新約聖書の理屈をこねる部分は、漢字語が頻出します。

↑↑
といって、自分のこの書き込みを見直して見ると、漢字語だらけです。。。。!!!

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