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史跡コミュの足利氏宅跡

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 栃木県足利市家富町2220
https://www.google.com/maps/place/%E9%91%81%E9%98%BF%E5%AF%BA/@36.3374925,139.4479548,17z/data=!4m8!1m2!2m1!1z6Laz5Yip5a2m5qCh!3m4!1s0x601f2225d26fffff:0x6caf18b185d36715!8m2!3d36.3374923!4d139.4520747
 1922年03月08日指定

 足利荘初代地頭に任じられた足利義兼によって建てられた居館で、外縁の長さは北約223m・南約211m・東約175m・西約206mの不整台形をしており、土塁と堀により四周が囲まれています。
 現在は真言宗大日派本山金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(バンナジ)となっています。
 義兼の正室時子に関しては、建久7(1196)年に侍女藤野が汲んで来た井戸の生水を飲んだところ妊娠した様な腹になり、これを藤姓足利忠綱と密通して身籠ったのだと藤野が讒言した事から、身の潔白を示すために自害、その遺言どおりに遺体を改めると腹から大量の蛭が出て来たとする怪しげな「蛭子伝説」が伝わります。義兼は藤野を誅し、忠綱を成敗したため、藤姓足利氏本家は滅亡してしまいました。
 同年、義兼は足利荘の居館に大日如来を奉納した持仏堂である堀内御堂を建立し、時子を弔うため智願寺殿御霊屋(蛭子堂)も建立、蛭のいた井戸は閉鎖されて「開かずの井戸」となりました。
 義兼の子の義氏は足利荘居館の堀内御堂を拡大して伽藍を整備し、父の戒名に因んで鑁阿寺と名付け、以後、鑁阿寺は足利一門の氏寺として信仰を集める事となりました。
 足利尊氏が幕府を開くと、鑁阿寺は将軍家氏寺として多数の荘園を寄進され、全盛時の所領は150000石にも達する事となりますが、江戸時代に入ると所領は60石に激減してしまいました。
 その後、5代将軍綱吉生母の桂昌院は鑁阿寺の保護も行い、全盛時の十二支院が再整備されました。
 しかし、明治元(1868)年の廃仏毀釈で衰微し、支院は廃絶しましたが、本堂〔国宝〕・鐘楼〔重要文化財〕・経堂〔重要文化財〕・御霊屋〔栃木県指定文化財〕・多宝塔〔栃木県指定文化財〕・太鼓橋〔栃木県指定文化財〕・山門〔栃木県指定文化財〕・東門〔栃木県指定文化財〕・西門〔栃木県指定文化財〕・北門〔足利市指定文化財〕・宝庫〔足利市指定文化財〕・蛭子堂〔足利市指定文化財〕・中御堂〔足利市指定文化財〕・御水屋〔足利市指定文化財〕等の伽藍が維持されています。
 また、金銅鑁字御正体(コンドウバンジミショウタイ)・青磁浮牡丹香炉1口・青磁浮牡丹花瓶2口・仮名法華経・鑁阿寺文書・魯論抄等の重要文化財指定寺宝が所蔵されています。
 本尊は木造大日如来像〔栃木県指定文化財〕で、木造足利歴代将軍坐像〔栃木県指定文化財〕も伝えられています。

+鑁阿寺のイチョウ
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=320240&id=99773237

コメント(19)

左・中;楼門〔栃木県指定文化財〕と太鼓橋
右;土塁と水堀
左;土塁と水堀
中;土塁
右;心字池
左・中;鐘楼〔重要文化財〕
右;ペーパーホワイト水仙
左;御水屋〔足利市指定文化財〕
中;御水屋〔足利市指定文化財〕天井画
右;日本水仙
 多宝塔〔栃木県指定文化財〕です。
左;本堂〔国宝〕
中・右;大銀杏〔栃木県指定天然記念物〕
左;土塁と水堀
中;稲荷堂と本坊
右;蛭子堂〔足利市指定文化財〕
左;蛭子堂〔足利市指定文化財〕
中・右;大黒堂〔足利市指定文化財〕
左・中;大酉堂
右;御霊屋〔栃木県指定文化財〕
左;御霊屋〔栃木県指定文化財〕
中;右;中御堂〔栃木県指定文化財〕
左・中;西門〔栃木県指定文化財〕
右;紅梅
左・中;工事中の北門〔足利市指定文化財〕
右;土塁と水堀
左;土塁と水堀
中;大日茶屋
右;ポテト入り焼きそば400円&足利シュウマイ160円

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