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史跡コミュの旧集成館

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 鹿児島市吉野町9698-1

 1959年02月25日、文化庁が史跡に指定。
 1962年06月21日、文化庁が「旧集成館機械工場」が重要文化財に指定。
 2007年11月30日、経済産業省が近代化産業遺産に指定。
 2009年01月05日、旧集成館・旧集成館機械工場が世界遺産暫定リストに記載。

 霧島錦江湾国立公園内。
 薩摩藩第11代藩主(島津家第28代当主)の島津斉彬(1809〜58)が行なった集成館事業の博物館で、現在の正式名称は尚古集成館。
 島津斉彬は世子時代からアヘン戦争(1840〜42)等の情報を入手して欧米列強の日本侵略の時が近づいている事を看破し、嘉永4(1851)年に藩主に就任するや、それまで長年温めていたアジア初の近代洋式工場群の建設に取り掛かった。これが集成館事業で、城下北方の磯にある藩主別邸の仙巌園に隣接した地で行なわれた。
 特に製鉄・造船・紡績に力を注ぎ、大砲製造から洋式帆船の建造、武器弾薬から食品製造、ガス灯の実験など幅広い事業を展開した。この当時佐賀藩など日本各地で近代工業化が進められていたが、島津斉彬の集成館事業は軍事力の増大だけではなく、社会インフラの整備など幅広い分野まで広がっている点が他藩と一線を画す。
 安政5(1858)年に斉彬が急死した後、財政問題などから集成館事業は一時縮小され、しかも文久3(1863)年の薩英戦争において集成館は大英帝国海軍の艦砲射撃を受けて壊滅してしまった。
 しかし、欧米列強の実力を知った第12代藩主(島津家第29代当主)の島津忠義(1840〜97)は、集成館事業の重要性を改めて認識し、元治2(1865)年3月に集成館機械工場、慶応2(1866)年5月に日本初の紡績工場である鹿児島紡績所を建造するなど日本の近代化に貢献した。集成館機械工場は日本で初めてアーチを採用した石造洋風建築物であった。
 明治4(1871)年の廃藩置県によって集成館は官有となり、翌年陸軍省管轄の海軍製造所と改称された。明治10(1877)年の西南戦争では西郷軍に占領されて武器弾薬を製造したが、その後民間に払い下げられ、明治22(1889)年に再び島津忠義公爵の所有となって、集成館の旧称に復した。
 大正4(1915)年に老朽化した集成館は閉鎖され、蒸気器械所のみが倉庫として残されて石蔵と呼ばれていたが、島津家第30代当主の島津忠重公爵(1886〜1968)は旧集成館機械工場を島津家の歴史を展示する博物館に改造し、大正12(1923)年に開館した。
 大東亜戦争後は島津興業によって運営され、島津家に関する史料や薩摩切子・薩摩焼等も展示されている。
 備前国住雲次銘太刀・赤糸威大鎧・石田三成署判文禄三年島津氏分国太閤検地尺・木村嘉平関係資料・活字類8283点・印刷器具類52点・蘭文英文典1冊・島津斉彬像銀板写真・1863年オランダ製形削盤等の重要文化財の外、伝島津忠久画像等多数のの鹿児島県指定文化財も所蔵する。

◆城下町鹿児島
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=12504694&comm_id=194642
*鹿児島紡績所技師館(異人館)
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=67869613&comm_id=398257
*仙巌園
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=12510957&comm_id=360748

コメント(1)

 16日木曜日に行って来ました。別館では企画展「島津家伝来人形とひな道具展」が行われていました。

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