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史跡コミュの足利公園古墳

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 栃木県足利市緑町1丁目3777
https://www.google.com/maps/place/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%85%AC%E5%9C%92%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4/@36.3368862,139.4316983,17z/data=!4m14!1m7!3m6!1s0x601f21a2813a32dd:0x1ad46d0a183cf90f!2z56aF5a6a6Zmi!8m2!3d36.3223733!4d139.4376036!16s%2Fg%2F11pztbp1_9!3m5!1s0x601f2192cbcdeca5:0xa502b56a3d6f4892!8m2!3d36.3371855!4d139.4349889!16s%2Fg%2F11c6tvpv5h
 1969年03月31日、足利市が史跡に指定。

 足利公園古墳群は、古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀)の古墳群で、前方後円墳1基と円墳9基から成り、第1号墳〜第3号墳の三基が指定物件です。
 明治19(1886)年に足利公園拡大のための開墾中に偶然3号墳石室が発見され、近くの織物講習所の峰岸政逸が発掘を実施、当時たまたま講習所を訪れ出土品を見た帝国大学総長の渡辺洪基が、帰京後、坪井正五郎博士に発掘を指示、第1号墳〜第3号墳へ対する日本初の学術的古墳調査が始まったのです。
 第1号墳は二段築盛の円墳で、坪井正五郎博士の発掘調査で葺石や埴輪列の構成が明らかになり、埴輪列が完全に省略される一歩前の時代の7世紀前半頃の築造と推定されました。袖無型の横穴式石室を持ちます。石室は長さ3.5m・高さ約1.8mで、側壁は河原石小口積み、奥壁は角岩(カクガン)を二枚使用しています。装身具を伴う遺体には、直刀(チョクトウ)・鉄鏃(テツゾク)・甲(カブト)・馬具・須恵器(スエキ)等が副葬されていました。副葬品中の杏葉(ギョウヨウ)は、金銅製で棘葉形(キョクヨウガタ)、忍冬唐草文(ニントウカラクサモン)を透彫(スカシボリ)した優品です。
 第2号墳は6世紀後半に築造された直径21mの円墳です。
 足利公園古墳群で最古の物は第3号墳で、元々は円墳だと思われていましたが、平成5(1993)年の調査で6世紀中葉造成の前方後円墳だった事が判明しました。全長34m・高さ6mの二段築盛古墳で、河原石の葺石(フキイシ)で覆われていました。全長7.9mの横穴式石室を持ちます。

コメント(5)

 1月6日金曜日に訪れました。

左;MAP
中・右;第1号墳
左・中;第2号墳
右;左;第7号墳 右;第5号墳

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