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史跡コミュの上野(彦馬)家墓地

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 長崎県長崎市伊良林3丁目4番

 2006年01月10日、長崎市が史跡に指定。

 https://www.google.com/maps/@32.7455505,129.8853443,19z

 上野家は絵師の家系であり、絵画・鋳金(チュウキン)等に秀でている事で知られました。墓地には上野家初代の左衛門尉英傳(サエモンノジョウエイデン)・三代若元(ジャクゲン)・五代若瑞(ジャクズイ)・六代俊之丞(シュンノジョウ)・七代彦馬(ヒコマ)等の墓碑が立ちますが、最も古い英傳の墓碑は五輪塔様式であり、延宝3(1677)年の造立です。
 幕末の当主であった俊之丞(1790〜1851)・彦馬(1838〜1904)父子は二代に亙り、写真技術の習得と普及に多大の功績を挙げ、日本の近代化学研究の発展に寄与しました。
 彦馬は、豊後国日田(ヒタ)の広瀬淡窓(ヒロセタンソウ)の咸宜園(カンギエン)で二年間学んだ後、安政5(1858)年にオランダ軍医ポンペ=ファン=メールデルフォールトを教官とする医学伝習所《https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981961911&owner_id=250900》の中に新設された舎密(セイミ)試験所に入り、舎密学(化学)を学びました。その際、蘭書から湿板写真術を知って大いに関心を持ち、同僚の堀江鍬次郎らと共に蘭書を頼りにその技術を習得、感光剤に用いられる化学薬品の自製に成功するなど、化学の視点から写真術の研究を深めました。また、折から来日したプロの写真家であるピエール=ロシエにも学んだ後、堀江と共に江戸へ出て数々の写真を撮影して耳目を開き、文久2(1862)年には堀江と共同で化学解説書『舎密局必携』を執筆しています。
 同年、故郷の長崎に戻って中島河畔で上野撮影局を開業しました。これは日本に於ける最初期の写真館の一つであり、彦馬は日本に於ける最初期の職業写真師です。同撮影局では高杉晋作(タカスギシンサク)・桂小五郎(カツラコゴロウ)等の撮影も行われ、有名なブーツを履いた坂本龍馬の写真は彦馬の弟子である井上俊三の撮影です。
 明治7(1874)年には金星の太陽面通過の観測写真を撮影していますが、これは日本初の天体写真になります。
 明治10(1877)年の西南戦争に際しては政府軍の従軍カメラマンとして戦跡を撮影しており、日本初の従軍カメラマンとなりました。同年に開催された第一回内国勧業博覧会では鳳紋褒賞(ホウモンホウショウ)を受賞するなど、その写真は歴史的・文化的にも高く評価されています。
 ウラジヴォストク・上海・香港等の海外にも支店を持つなど実業家として活躍する一方では、後進の指導にも当たり、多くの優秀な門人が輩出しました。

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