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史跡コミュの土井利勝父母夫人供養塔

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 千葉県佐倉市弥勒町96ー1

 1977年01月19日、佐倉市が史跡に指定。

https://www.google.com/maps/place/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AE%97+%E7%8E%89%E5%AE%9D%E5%B1%B1+%E6%9D%BE%E6%9E%97%E5%AF%BA/@35.7192058,140.235868,18z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x60228e97fe783713:0x84427f6143ce3dc2!2z6ZW354aK5buD5a-66Leh!8m2!3d35.7146021!4d140.2550404!3m4!1s0x60228ece3fbc19a5:0x8525064db89e461f!8m2!3d35.7197672!4d140.2359365

 浄土宗玉宝山清光院松林寺にあります。
 松林寺は、寛永年間(1624〜44)に佐倉藩主土井利勝(ドイトシカツ;1573〜1644)が照誉了学(ショウヨリョウガク)を開山として開基した寺院で、本尊は阿弥陀如来です。佐倉七福神巡りの毘沙門天(ビシャモンテン)担当にもなっていますが、その毘沙門天像は、文禄2(1593)年から慶長7(1602)年まで大佐倉陣屋を居館として佐倉40000石を治めた武田信吉(徳川家康五男)が祀った物で、信吉の死後、松林寺へ奉納されたと伝えられています。
 土井利勝父母夫人供養塔は、土井利勝が養父・養母・正室の菩提を弔うために造立した宝篋印塔(ホウキョウイントウ)です。
 中央の塔は、慶長3(1598)年7月11日に死去した養母(葉佐田則勝の長女)供養塔です。33回忌にあたる寛永7(1630)年7月11日に造立された物で「玉等院殿清誉壽安大禅定尼」と刻まれています。
 正面向かって左側の石塔は、慶長11(1606)年9月11日に死去した養父土居利昌の供養塔です。寛永7(1630)年7月11日に造立された物で「宝光院殿本誉見貞大禅定門」と刻まれています。利勝は三河国刈谷(カリヤ)城主水野信元の庶子でしたが、天正3(1575)年に信元が讒言によって織田信長の命で殺害されると、徳川家康の計らいで土井利昌の養子になりました。利昌には実子の甚三郎元政がいたにもかかわらず、それを差し置いて利勝が家督を継いでいるため、実は利勝は家康の隠し子だったとの説もあります。
 右側の石塔は、元和3(1617)年9月5日に死去した正室(松平近清の娘)の供養塔です。13回忌にあたる寛永7(1630)年9月5日に造立された物で「清光院殿浄誉明徹大姉」と刻まれています。

コメント(2)

 松林寺本堂〔千葉県指定文化財〕です。

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