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史跡コミュの長熊廃寺跡

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 千葉県佐倉市長熊260

 1967年03月07日、千葉県が史跡に指定。

https://www.google.com/maps/place/%E9%95%B7%E7%86%8A%E5%BB%83%E5%AF%BA%E8%B7%A1/@35.7146021,140.2528517,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x60228e97fe783713:0x84427f6143ce3dc2!8m2!3d35.7146021!4d140.2550404

 鎌倉権五郎景政(カマクラゴンゴロウカゲマサ;1069〜?)を祭る五良(ゴリョウ)神社〔村社〕境内にあります。五良神社は、元は御霊社(ゴリョウシャ)、又は鎌倉権五郎社と称していました。鎌倉権五郎景政は後三年の役(1083〜87)に際して、右目を射られながらも奮闘した猛将として知られる人物です。
 この地は、古くから瓦片の出土する事で知られており、昭和26(1951)年に立正大学史学研究室石田茂作博士を中心とする調査団によって発掘されました。その結果、金堂跡・講堂跡等が確認され、塔を東、金堂を西に配置した法起寺(ホッキジ)式の伽藍配置を持つ地方豪族の氏寺であると結論付けました。また、八葉蓮弁重圏文縁軒丸瓦(ハチヨウレンベンジュウケンモンブチノキマルガワラ)や忍冬唐草文軒平瓦(ニントウカラクサモンノキヒラガワラ)等の白鳳(ハクホウ)期の様式を伝える遺物から奈良時代末の創建であるとの報告が発表されました。
 昭和62(1987)年に千葉県文化財センターが再び調査を実施しましたが、期間・面積共に制約があり、全容を明かす迄には至りませんでした。しかし、従来、金堂跡・講堂跡とされた遺構は否定され、伽藍配置そのものに対して疑義を現すなどの問題提起がなされました。
 出土遺物には、瓦・土器の外に瓦塔(ガトウ)と呼ばれる木造の塔を模して粘土を素材として作られた小さな塔の小片が見られます。このため、長熊廃寺跡は本格的な伽藍配置を備えた寺院では無く、基壇を伴う堂宇は一堂のみで、その中に大型木造塔の代用である瓦塔を安置してあったと推測される様になったのです。
 なお、「高岡寺」の銘のある墨書土器が出土しているため、この寺院の名は高岡寺だったのが確実になり、出土した瓦の精査から8世紀前半(奈良時代前期)の創建の可能性が高まりました。北総台地に残る数少ない古代寺院跡として貴重な存在です。

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