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史跡コミュの有馬本城跡

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 三重県熊野市有馬町

 1978年02月24日、熊野市が史跡に指定。

 https://www.google.com/maps/@33.879847,136.0819579,17z
 鎌倉時代に有馬氏によって築かれた平城です。有馬氏は熊野別当家の出である榎本氏がこの地に来て産田神社の神官となり有馬氏を名乗ったとされています。
 南北朝時代には当初南朝方でしたが、後に幕府方に転向し、永徳2(1382)年に北山合戦で兄弟三人とも討死してしまいました。
 応永年間(1394〜1428)の有馬和泉守忠永の頃には、東は九鬼(クキ)・行野、西は阿田和(アタワ)までを領する国人領主に成長しましたが、その子有馬和泉守忠親に嫡子なく、甥の河内守忠吉を養子として跡を継がせました。忠親は鬼ヶ城に隠居しましたが、後に実子が生まれたため、忠親は忠吉を自刃させています。この仕打ちが親族の怒りを招き、北山郷の者と協議して忠親の鬼ヶ城を攻め落としたため、忠親は自刃に追い込まれました。その後、忠親の実子孫三郎が家督を継ぎましだが、孫三郎にも子がなく、新宮の堀内出羽守氏重の二男楠若を養子に迎えて忠勝と名乗らせました。しかし、天正2(1574)年、堀内氏重父子が病没したため、忠勝は堀内家の家督も継ぎ、堀内安房守氏善と改名、南紀州一帯を制覇する戦国大名に成長したのです。有馬氏の名跡は氏善の五男氏時が継ぎました。
 有馬本城跡は田畑や宅地となっていて明瞭な遺構は残っていませんが、北を除く三方に一段低くなった畑があり、堀端などの地名が残っています。

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