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史跡コミュの宗応寺石造五輪塔

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 和歌山県新宮市千穂1丁目3-34

 1989年03月25日、新宮市が史跡に指定。

 https://www.google.com/maps/@33.7253451,135.983751,19z
 曹洞宗東陽山宗応寺は寺伝によると宗応寺の源流は聖徳太子が丹鶴山南麓に創建した崗輪寺(香林寺;コウリンジ)だとされ、熊野速玉大社の神宮寺でもある天台・法相兼学の律宗寺院として栄えました。本尊は釈迦如来です。その後、天正年間(1573〜92)に曹洞宗へ転向し、慶長6(1601)年に浅野忠吉が丹鶴山に新宮築城を開始したため現在地へ移転します。慶長11(1606)年に忠吉の一人息子が亡くなった際に菩提寺となり、その戒名である「関芝宗応居士」に因(チナ)んで宗応寺と改名されました。なお、忠吉は浅野家の広島転封後は備後国三原30000石を与えられ、広島藩城代家老も務めますが、その地位は外孫忠長が継ぐ事となりました。
 宗応寺は明治元(1868)年の神仏分離令によって神宮寺の地位を失って衰微しましたが、新宮市内最古刹の寺院として知られています。
 宗応寺の寺宝に木造聖徳太子立像〔和歌山県指定文化財〕があります。14世紀の作で、像高67cm、聖徳太子が東方に手を合わせて「南無仏」と唱えたとされる2歳の時の姿を現した像です。
 境内の五輪石塔六基のうち、慶長11(1606)年の年号が刻まれた物が新宮城主浅野忠吉の息子のお墓です。他の五基には寛永年間(1624〜44)の年号が刻まれています。

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