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史跡コミュの平野塚穴山古墳

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 奈良県香芝市平野

 1973年06月18日指定

 https://www.google.co.jp/maps/@34.5668999,135.6942499,18z
 新興住宅地の白鳳台(ハクホウダイ)周辺には7世紀に築造された五つの古墳から成る平野古墳群があり、横穴式石室から横口式石槨(セッカク)への変遷・変質過程を研究する上で重要視されています。但し、2号墳と4号墳は消滅してしまいました。
 江戸時代後期に記された平野古墳群関係文書〔香芝市指定文化財〕の絵図や古文書によると、江戸時代には平野塚穴山古墳が顕宗天皇陵として、平野3・4号墳が武烈陵として治定されていた事が記されています。また、平野1・2号墳は御廟所として陵墓に準じる扱いを受けていました。 
 平野古墳群の中枢を成している平野塚穴山古墳は平野5号墳とも呼ばれます。
 墳丘の大部分が削平を受けている上、昭和47(1972)年に盗掘に遭っていますが、下段は一辺25〜30m程度・高さ約2.7m、上段は一辺約17.4m・高さ約2.7m、全体高さ約5.4mの方墳です。
 墳丘は粘質土・砂質土を交互に突き固める版築によって構築されており、墳丘表面は二上山凝灰岩(ギョウカイガン)の貼石で化粧されていました。
 主体部の埋葬施設は南方向に開口する横口式石槨で、石槨の全長は4.47m、玄室は長さ3.05m・幅1.500m・高さ1.762m、玄門は長さ0.562m・幅1.192m、羨道は長さ0.820m・幅1.40mです。
 石室構造には百済の後期王陵とされる陵山里古墳群の東下塚等との類似性が指摘されています。
 この石槨は盗掘に遭っていますが、発掘調査では石槨内から夾紵棺(キョウチョカン)片・漆塗籠棺片が出土して両棺の使用が認められる外、副葬品として金環・中空玉・銅椀の破片が検出されています。
 7世紀後半の築造と推定されており、古墳の様相としては王族級であるため、被葬者は『延喜式』諸陵寮に大和国葛下(カツゲ)郡の片岡葦田墓(カタオカノアシタノハカ)と見える茅渟王(チヌノミコ)とする説が有力です。茅渟王は人皇第30代敏達(ビタツ)天皇の孫で、斉明天皇・孝徳天皇の父です。

コメント(4)

 2020年11月1日日曜日に訪れました。
 隣接する浄土宗新龍山正楽寺の石造線刻阿弥陀如来坐像〔香芝市指定文化財〕は、平野古墳群の石棺の棺台石を転用した可能性が高いと推定されています。
左;正楽寺 石造線刻阿弥陀如来坐像〔香芝市指定文化財〕
中;二上山を望む
右;吉野大峰山系を望む

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