ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

史跡コミュの下総総社跡

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 市川市国府台1丁目6番4号

 1975年01月08日、市川市が史跡に指定。

 https://www.google.co.jp/maps/@35.7430749,139.9052078,17z?hl=ja
 六所神社(下総総社)は、社伝によると人皇12代景行天皇〔位;A.D.71〜130〕が西暦123年から翌年にかけて息子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の事績を確認するため東国を巡幸した際の勅願による創建とされます。平安時代初期に総社とされたと考えられていますが、鎮座地は下総国府の北隣で、それまでは竪穴式住居の並ぶ地区だった事が発掘調査で確認されていますので、近くから遷座したのかもしれません。
 律令制下では、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していましたが、平安時代に入ると、効率化のため各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、一括して祭祀を行うようになったのです。
 下総総社の祭神は、大己貴尊(オオナムチノミコト)・伊弉諾尊(イザナギノミコト)・寒川神社の素盞嗚尊(スサノオノミコト)・大宮売尊(オオミヤメノキコト)・布留之御魂(フルノミタマ)・彦火瓊々杵尊(ヒコホニニギノミコト)です。下総国一宮香取神宮の祭神である経津主大神(フツヌシノオオカミ)は含まれていませんので、香取神宮への国司巡拝は省略される事無く続けられたのでしょう。
 総社一帯は大樹が多く、六所の森と呼ばれていました。
 室町時代になって国府が衰微した後も、総社は六所神社と呼ばれて存続し、戦国時代になって近隣に市河城や国府台(コウノダイ)城が築かれたため、千葉氏・里見氏・北条氏等の守護を受ける事となり、江戸開府後は徳川将軍家から御朱印を賜って崇敬されていました。
 江戸時代には、須和田・真間(ママ)・根本・市川の四カ村の鎮守である一方、勇武・幸運招来・厄払い・縁結び・学問等多くの分野の神として佐倉道を通る旅人の参拝も多かった様です。
 明治維新後は村社に列しましたが、明治19(1886)年の陸軍練兵場造成に伴って、東方の須和田2丁目にあった神主屋敷地へ遷座しました。
 旧鎮座地は、戦後、市川市スポーツセンターとなり、敷地内に石碑やパネルが設けられています。

コメント(2)

 国衙跡は国府台公園になっています。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

史跡 更新情報

史跡のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング