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史跡コミュの桜井茶臼山古墳

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 奈良県桜井市外山

 1973年03月27日、指定。
 1981年03月31日、追加指定。
 2004年09月30日、追加指定。
 2016年10月03日、追加指定。

 墳丘長207m・高さ23mの前方後円墳で、初期の大型前方後円墳に多い前方部が細長い柄鏡(エカガミ)式になっているため、3世紀末から4世紀初頭に築造された大王墓の可能性が高いとされています。
 自然丘陵を利用して築造された物のため、長らく単なる雑木林と見做されていましたが、大東亜戦争後になって古墳だと判明しました。
 地元では饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の墓だとの伝承があります。饒速日命は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の子である天忍穗耳尊(アメノオシホミミノミコト)の子の一人で、日向国高千穂峰(タカチホノミネ)に降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の兄だとされ、天磐船(アメノイワフネ)に乗って高天原(タカマガハラ)から河内国へ降臨し、大和盆地南部の支配者長髄彦(ナガスネヒコ)に擁立されていましたが、神武天皇に降伏、物部連(モノノベノムラジ)の祖となったとされる人物です。
 後円部の頂に高さ2m弱、一辺9.75×12.5mの貼石のある矩形壇(クケイダン)があり、また二重口縁壺形土器が壇の裾周りに巡らされているのを別にすると、墳丘に埴輪を使用した痕跡がありません。
 矩形壇の下に長さ6.7mの長大な木棺を納めた幅約1.2m・高さ約1.7mの竪穴式石室があり、壁は幅30〜40cmの板状の石を煉瓦の様に積み重ねられ、天井は12枚の巨石で塞がれています。
 石室全体には水銀朱(辰砂)が塗られており、埋葬者の権力の大きさを物語っていると考えられます。また、石室の周りには方状の柱の跡が検出されており、玉垣跡だと推定されています。
 段築面には葺石が施されており、陪塚(バイチョウ)は見られません。
 斜縁二神二獣鏡(シャエンニシンニジュウキョウ)・方格規矩四神鏡(ホウカクキクシシンキョウ)・獣帯鏡(ジュウタイキョウ)・平縁神獣鏡(ヒラブチシンジュウキョウ)・内行花文鏡(ナイコウカモンキョウ)・三角縁神獣鏡(サンカクブチシンジュウキョウ)等の推計81枚以上もの膨大な銅鏡が副葬されており、これは国内最多です。銅鏡の破片の中に「是」と見られる文字が書かれていた物があり、三次元計測によって群馬県蟹沢古墳で出土した正始元(240)年の銘文を持つ三角縁神獣鏡と一致する事が確認されましたが、これを『魏志倭人伝』に記載されている魏の皇帝から卑弥呼へ下賜された銅鏡100枚の内の一つであるとする説もあります。

コメント(3)

 国指定史跡にしては解説板も貧弱でした。

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