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史跡コミュの岩屋山古墳

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 奈良県高市郡明日香村大字越小字岩屋山516

 1968年05月11日指定。

 この古墳は、横穴式石室が開口していた事から、古くから存在が広く知られており、昭和53(1978)年に水害で、以前から削り取られていた墳丘西側が崩壊したため、環境整備事業と発掘調査が実施されました。
 石室は、用材に全て花崗岩を使用した両袖式の横穴式石室で、内面には精巧な切石加工が施されています。玄室の壁面は二段積みで奥壁は上下各一枚、側壁は上段二枚、下段三枚の切石からなり、各壁共に上段は内側へ傾いた構造です。
 天井石は大きな一枚岩から成っています。羨道(センドウ)の側壁は奥半分は一段ですが、前半は二段積みとなっています。玄室は長さ4.9m・幅2.7m・高さ3.0m、羨道は長さ12m・幅1.9mを測ります。
 奈良県から南河内にかけての地域には、本古墳の石室と平面・立面の規格が同一である古墳、或いは同一の仕様で規模を縮小した古墳が複数存在し、これらを総称して岩屋山式と呼び、古墳時代終末期の横穴式石室の代表的な形式の一つとする説もあります。
 なお、発掘調査によると石室内は既に乱掘されており、しかも中世頃と推定される墓が玄室中央に掘られており、埋葬当時の遺物は発見出来ませんでした。
 墳丘は西側を大きく破壊されていますが、発掘調査によって本来は一辺約45m前後、高さは12mの規模で二段に築成されていたのが明らかにされました。また、盛土は丁寧に版築されています。墳形は下段部が明らかに方形である事から、発掘調査では方墳とされましたが、下段部が方形で上段部を八角形に築いた八角墳ではないかとの説もあります。八角墳は天智天皇陵や天武天皇・持統天皇合葬陵等の白鳳時代の天皇陵に見られる形式です。
 岩屋山式の横穴式石室の古墳の築造時期は大化の改新から壬申の乱の時期と推定されており、岩屋山古墳が八角墳だとすれば、天智6(667)年に越智岡上陵(オチノオカノエノミササギ)に葬られたとされる斉明女帝の可能性が高いとの説もあります。

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