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史跡コミュの九条塚古墳

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 千葉県富津市下飯野767

 1973年07月06日、富津市が史跡に指定。

 6世紀中葉築造の前方後円墳で、一旦中断していた内裏塚古墳群の築造が再開された嚆矢(コウシ)となった物です。
 墳丘長103mで、二重の周溝が巡らされてり、周溝部を加えると全長約150mに達します。内裏塚古墳群では第五番目の墳丘長の古墳であり、須恵国造(スエクニノミヤツコ)の墳墓の可能性が高いと思われます。墳丘の高さは、前方部7.9m・後円部7.0mと古墳の規模に比べてかなり低い上に段築も認められません。これは、数十年後に築造された三条塚古墳でも見られる特徴です。6世紀後半の関東の古墳では、下野国では基壇と呼ばれる低い一段目を設けたり、武蔵国埼玉古墳群では長方形をした二重の周溝を造るなど、前方後円墳にその地域の独自性を見せるケースが多く、内裏塚古墳群の低墳丘もそうした地域独自性の発露と考えられます。
 現在、九条塚古墳の墳丘部は山林となっており、墳丘は西側を中心に一部は削られています。周溝の東側と南側は空き地となっていますが、西側と北側は宅地となっています。また後円部の墳頂には「九條塚」と書かれた石碑が建てられていますが、石碑の台座に用いられている石は九条塚古墳の石室の天井石であったと考えられています。
 九条塚古墳は明治42(1910)年に後円部の主体部について発掘調査が行われ、検出された遺物は飯野小学校に保管されています。
 内裏塚古墳群とは富津市の小糸川下流域の沖積平野内にある、5世紀から7世紀にかけて築造された古墳群で、現在のところ前方後円墳11基・方墳7基・円墳29基の計47基が確認されていますが、その中で少しでも墳丘が残っている古墳は25基のみであり、22基は都市開発で完全消滅してしまいました。確認される事無く葬られた古墳も少なくないと考えられており、内裏塚古墳群で実際に築造された古墳はもっと多かったと推定されます。

・上野塚古墳
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=82469664
*内裏塚古墳
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=82469410
・三条塚古墳
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=82475894

コメント(1)

 3月4日土曜日に訪れました。近くから富士山を遠望する事が出来ました。

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