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史跡コミュの三条塚古墳

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 千葉県富津市下飯野989

 1973年07月06日、富津市が史跡に指定。

 6世紀末築造の前方後円墳で、墳長は約122mですが、二重の周濠を持ち、周濠部を含めた全長は約193mに及びます。墳長では内裏塚古墳群内で二番目の規模を持ちますので、須恵国造の墳墓の可能性が高いと考えられます。
 前方部高さは約7.3m・後円部高さは約6.0mです。墳丘からは埴輪が検出されていません。三条塚古墳は前方部の隅がカットされた独特な形をしていますが、前方部の両隅が共に同様の形状になっているため、後世の改変では無く、築造当初からカットされていたと推定されています。
 内裏塚古墳群とは富津市の小糸川下流域の沖積平野内にある、5世紀から7世紀にかけて築造された古墳群で、現在のところ前方後円墳11基・方墳7基・円墳29基の計47基が確認されていますが、その中で少しでも墳丘が残っている古墳は25基のみであり、22基は都市開発で完全消滅してしまいました。確認される事無く葬られた古墳も少なくないと考えられており、内裏塚古墳群で実際に築造された古墳はもっと多かったと推定されます。
 三条塚古墳は江戸時代に飯野藩の藩庁が置かれた飯野陣屋の敷地内に取り込まれました。 三条塚古墳は東側周濠の一部が二の丸と三の丸との間の周濠となっている以外は、飯野陣屋三の丸の一部となりました。飯野陣屋内には三条塚古墳の他に方墳である稲荷塚古墳があり、また同じく方墳の亀塚古墳の一部も飯野陣屋の敷地内に掛かっています。
 三条塚古墳の墳丘の東側は、幕末に藩校明進館が建てられた関係で大きく掘削されており、また墳丘そのものも飯野陣屋築造当初は陣屋物見台として用いらていたと推定されています。埋められた西側の内側周濠の一部には角場と呼ばれる弓の練習場が設けられていました。
 三条塚古墳西側の外側周濠は飯野陣屋三の丸の堀の一部として利用され、飯野陣屋の三の丸西側にある土塁の一部は、三条塚古墳の内周濠と外周濠との間の周堤を利用した物と考えられています。
 廃藩置県後、飯野陣屋が破却された後も跡地に人家が建てられる事が少なかったため、三条塚古墳墳丘西側は比較的築造当時の原型を留めています。後円部墳丘には横穴式石室の天井石が露出していますが、平成元(1989)年の発掘により主体部が未盗掘だと判明しました。

・上野塚古墳
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=82469664
*内裏塚古墳
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=82469410
+飯野陣屋濠跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=82549765
・九条塚古墳
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=82478442

コメント(2)

 古墳の原型は、かなり判りにくくなっています。

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