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史跡コミュの中山古墳群

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 長野県松本市中山

 1967年02月01日、松本市が特別史跡に指定。

 中山古墳群とは、昭和29(1954)年に松本市へ併合された旧東筑摩郡中山村エリア内に所在する古墳の総称です。
 昭和15(1940)年に長野県指定史跡とされた時の名残で、狭義には、霊園・公園となっている丘陵南麓斜面の鍬形原(クワガタハラ)・蟹堀(カニホリ)・西越(ニシコセ)地籍と、隣接している坪の内・向畑地籍にある群集墳を指します。
 中山古墳群の築造は5世紀に始まり、6世紀後半から7世紀にかけて最も多く築かれ、8世紀、即ち奈良時代に入っても利用されていました。明治初年に80余基が確認されていましたが、殆どは規模の小さな円墳です。
 5世紀築造の古墳内部は石室が無く、粘土床上に木棺を直葬したと考えられていますが、6世紀以降築造の古墳は追葬可能な横穴式石室に変わっています。
 副葬品は武器・馬具・装身具・土器で、武器の中には円頭・頭椎柄頭(カブツツツカガシラ)や倒卵形鐔(トウランケイツバ)を具えた金銅製の大刀が必ずといってよいほどに入っています。馬具は轡(クツワ)・鞍・鐙(アブミ)等の騎馬用具が大部分で、特に轡の数が多いのが特徴です。装身具は勾玉(マガタマ)・管玉(クダタマ)・切子玉・丸玉・小玉と金環があります。土器は喪葬用の須恵器(スエキ)が大半です。例外的ですが、鏡を出土している古墳もあります。
 中山霊園内で保存されている15号古墳は盛土の裾を石垣上に組み上げた方墳で、一辺の長さ20m・墳高5mと規模が大きく、正面性が決まっていて前庭部は丁寧に作られています。盛土は固く盛られていますが横穴式石室の構築は粗雑で、裏込めの施設等は全く見られません。早くから開口していたために副葬品の内容は不明ですが、辛うじて残っていた土器の破片から築造年代は7世紀後半と推測されています。既に律令時代で戸籍も編まれていたこの時代に、規模の大きい古墳が築かれている事は、当時のこの地域の様子を考える上で貴重な手掛かりとなっています。

*弘法山古墳
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=80326019
+針塚古墳
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=80331580

コメント(1)

 8月20日土曜日に小丸山古墳を訪れました。

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