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史跡コミュの戸田家廟園

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 長野県松本市県2-3-5

 1961年01月24日、松本市が特別史跡に指定。

 松本藩主戸田松平家は、三河以来の譜代大名で、元和3(1617)年に徳川家康の異父妹松姫(1565〜88)を妻としていた丹波守康長(1562〜1633)が70000石で松本藩主となりました。康長の後を継いだ康直は寛永10(1633)播磨国明石へ移封されましたが、享保10(1725)年に至って康直の子孫である志摩国鳥羽藩主戸田松平光慈(1712〜32;ミツチカ)が60000石で松本城へ入る事となり、戸田松平家松本藩が復活、廃藩置県まで継続する事となったのです。
 前期戸田松平家の菩提寺は城の東南に当たる中町にあった全久院でしたが、康長の墓所は城下東郊の四ツ谷東の地に設けられ、一般に丹波塚と呼ばれる様になりました。
 康長の墓所は石垣によって囲まれ、その中が東西の二区画に分かれています。前面(西側)が外域、後方(東側)が内域となっていて、内域の南側に石垣を巡らした封土のある墳丘があり、その上に大きな石造五輪塔があります。五輪塔の地輪には「祥雲院殿一運宗智大居士」と彫られ、前面に石の香鉢が供えられています。
 後期戸田松平家は、本町にあった前藩主水野家の菩提寺だった春了寺の跡に菩提寺の全久院を置きましたが、丹波塚には寺が無いままでした。
 後期6代目の光行(1769〜1840)と7代目の光年(ミツツラ;1781〜1837)の墓所も丹波塚の北側エリアに設けられ、光行の碑には「瑞光院殿祥巌道麟大居士」、光年の碑には「神龍院殿大光啓雲大居士」と彫られています。また、光年の子の光領(ミツオサ;1817〜41)と、その妻で阿波徳島藩主蜂須賀治昭の娘である光姫の墓もあります。
 安政2(1855)年に9代光則(ミツヒサ;1828〜92)が廟所の寺として前山寺を移しましたが、松本知藩事となった光則は、明治3(1870)年から徹底的な廃仏棄釈を強行したため、前山寺も破却されてしまい、長屋門のみが残っています。しかし、廟域内には前山寺の歴代住職などの墓碑があり、廟域の西道を隔てて旧松本藩士の墓碑も多く残っています。
 その後、この廟所は戸田子爵家の管理の下、閑静な住宅地の一角で「お塚」と呼ばれて来ていましたが、昭和30年(1955)に松本藩主旧子爵家当主で皇太子傅育官を務めていた戸田康英(1911〜77)侍従から松本市に寄附されたのを機会に、戸田家廟園と改められました。
 現在では、隣接して児童遊園が設けられて市民の憩いの場となっています。

◎城下町松本
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=194642&id=80428940
*松本城
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=80320043

コメント(13)

初めて投稿します。同じく我が家も戸田家になりますが。家の先祖は江戸時代に細川藩家臣で有りましたから松本の戸田家とは別に九州に居ました。同じ戸田を耳にすると嬉しく感じます。イイねさせて頂きました。失礼しました。
>>[2]
 書き込みありがとうございます。熊本藩士となった戸田家もあったのですね。御教示ありがとうございました。
熊本藩士では、戸田勝秀の名も有りました。家との関連はまだ不明なのでいつか解れば良いと。熊本藩の近い場所には島原藩が有りました。宇都宮戸田家です。宇都宮戸田家に仕えた方で家紋は花菱の方が居ましたが、家は分家で丸に剣花菱でしたので、足利等の関連もひょっとしたら有りそうです。又、大垣藩主戸田氏鉄も確か島原の乱に参戦していたと。明治になり、家は高知県窪川に移動しました。窪川には有名な谷干城が熊本城を守ったとされています。祖母が川口姓で家紋は桜を使いましたが、桜は細川家でも使われていたようです。又、祖祖母は土佐藩士だったようです。
もう一つ、家の高知県の戸田の隣村に居た戸田家は伊達忠宗だったか?秀宗でしたか?の石碑を建てています。宇和島藩に居たのかもしれません。戦いが南へ移動しているので、全てでは有りませんが、南には以外に藩士だった家系は多く居たと思われます。又、関ヶ原以降徳川側だった藩には戸田家も、結構居たのかもしれません。分家すれば、何かしらの縁が有ったのかと。徳川姓も以外に南に多く居ますよ。
>>[6]
 御教示ありがとうございます。戸田一族の足跡が詳細に判ると面白そうですね。
家紋が同じく、唐花を使えば一族に繋がるのですが、中々難しいですね。武士は家紋が幾つかあったようなので。因みに好きな武将は明智光秀ですが。因みに私自身は松本出身です。
>>[8]
 再来年の大河ドラマは明智光秀ですから、だれが演じるか楽しみですね。
私が記憶でこの明智光秀がと感じたのは唐沢寿明が演じた作品です。先祖が仕えた細川家にはガラシャが有名で、九州にはキリシタンに関わる方が居ますね。明智光秀の家紋が桔梗で、九州に確か戸田家で桔梗を家紋にしている方がおりますが、明智家臣だとしたら面白いですが、推測、想像なので、実際には分かりませんが。明智光秀も、生きていた説も有りますから謎が多く有ります。この明智光秀にしても、松本藩主戸田康長は性格が良かったようで、康長はけして、自分の功績をあらわにしなかったようですね。松本にあるアルプス公園も、戸田氏が民衆に公開させたらしいです。松本城6階には神棚があり、以前子供を連れて、拝んで来ました。近くの若宮神社はなんだかおそれ多く、近くから眺めました。大昔迄辿れば、繋がりはどこかにあるかは分かりませんが、歴史は謎も有りますし、今となれば、やはり、宗家の殿様になりますから。しかし、上田城跡地に行った時は肩が重く、何かあるかなと感じました。徳川氏が指示して、埋め立てした場所らしいので何となく納得してしまいました。
>>[10]
 松本城最上階の神棚は二十六夜様ですね。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955020800&owner_id=250900
 松本神社の妖怪伝説も興味深いです。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955056188&owner_id=250900
妖怪伝説ですか。昔はあちこちに伝説が残されてますよね。宗教にも近いような。しかし、家は明治には、神道になっていたので、宗教が分かりませんが。江戸時代には熊本県に居ましたし、菩提寺はどこに? 松本人には又は周辺の方は城主等誰であったかも知らない人が多く居ますね。私も長野県に居るのであまり知る方は居ませんね。妖怪では有りませんが上田城城跡地では肩が重くなりましたが。先祖て現世にまで続くのかもしれませんね
もう一人、戸田勝強が肥後守になってまして、この辺りも戸田松平家の人ですが、肥後にも流れている可能性が。しかし、同一人物ならばすみません、ただ家の唐花は松本藩でも使用されていたようですから分かりませんが。家が何処の流れかは分かりませんが、家紋も、同じ戸田氏でも分かれていたようなので。

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