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史跡コミュの奈良山瓦窯跡(ナラヤマカワラガマアト)

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1976年04月15日、歌姫瓦窯跡が指定。
2010年08月05日、音如ヶ谷瓦窯跡・市坂瓦窯跡・梅谷瓦窯跡・鹿背山瓦窯跡が追加指定され、奈良山瓦窯跡に名称変更。
2016年03月01日、中山瓦窯跡を追加指定。

 平城京の後背にあたる北方には、標高90〜100mのなだらかな丘陵が続き、奈良山丘陵と呼ばれているが、この一帯には平城宮の宮殿や寺院の瓦を焼いた瓦窯跡群が数ヵ所に点在している。この地は良質の粘土が得やすく、燃料として利用出来る樹木も多かったため、官窯を設けるのに適していた。

*歌姫(ウタヒメ)瓦窯跡
 奈良県奈良市佐保台西町
 奈良市歌姫町の鹿川に面した西側丘陵の東向き斜面に設けられ、昭和28(1953)年に奈良県教育委員会により発掘調査されて、南北に連なる半地下式の6基の平窯が確認された。窯壁には平瓦と粘土を用い、焚き口には石材を使用しており、平城宮屋根瓦を焼成する官窯として重要な役割を果たした。特に南端の全長4.2mの窯は保存状態が良好で、平瓦を用いて側室を造り、六本の分焔柱を備えた構造になっている。

*音如ヶ谷(オンジョガダニ)瓦窯跡
 京都府木津川市相楽(サガナカ)台7−6
 奈良市に接した音浄ヶ谷公園内にある。奈良山丘陵東側裾部に位置する475m²の遺構で、L字に並ぶロストル式の平窯4基が確認されているが、そのうち3・4号窯は削平が著しく、3号窯は焼成室と燃焼室の一部、4号窯は燃焼室のみが確認された。発掘調査の結果、1・2号窯と3・4号窯とでは窯壁の瓦の積み方と排水処理方法が異なる事が判明、両者は稼働時期が違うものである事が明らかとなった。軒丸瓦29個体・軒平瓦195個体の外、丸瓦・平瓦・鬼瓦・塼(セン)等の瓦類、多量の杯・皿等の土師器(ハジキ)と少量の須恵器、土馬1点、円筒埴輪2点が出土している。このうち軒瓦は法華寺阿弥陀浄土院出土の瓦と同范関係にある事から、阿弥陀浄土院造営に関連する瓦窯だったのではないかと推定されている。現在は埋め戻されているが、2基の原寸大レプリカが展示されている。また、北東部平坦地には100以上の小柱群が検出され、そのうち建物としては作業場や資材置き場とみられる5棟が確認された。なお、窯跡からは弥生時代中期中葉の第三様式土器も出土しており、音如ヶ谷瓦窯跡は弥生時代集落の大畠遺跡の南端に当たる。南側に連続する奈良市歌姫近隣公園には、歌姫西瓦窯跡がある。

*市坂(イチサカ)瓦窯跡
 京都府木津川市州見台(クニミダイ)4ー1
 8基の瓦窯があった大規模な瓦製造工場で、平城京の造営・維持のために瓦の大量生産が行われていた。瓦工房と推定される長大な東西棟掘立柱建造物が整然と南北に4棟並んでいた。平城宮大膳職(ダイゼンシキ)の建物跡からここで作成された瓦が出土している。この一帯は弥生時代から室町時代までの複合遺跡となっている上人ヶ平遺跡であり、上人ヶ平遺跡公園として整備されている。

*梅谷(ウメダニ)瓦窯跡
 京都府木津川市梅見台5丁目
 興福寺創建期の瓦である軒丸瓦 6301Aと軒平瓦 6671Aを生産していた興 福寺所属の瓦窯で、和同年間(708〜715)から養老年間(717〜724)が稼働時期と推定される。 ...

*鹿背山(カセヤマ)瓦窯跡
 京都府木津川市鹿背山須原
 奈良山丘陵の東北部に位置し、平成20(2008)年に奈良時代中期の粘土採掘場・運搬用通路跡・運搬に使われた「もっこ」の一部等が、2基の窯跡と共に発掘された。軒先を飾る「軒丸瓦」や「軒平瓦」も出土し、少なくとも11点は平城宮の建物の屋根に葺かれた瓦と文様が一致、平城京で使用した瓦の生産拠点の一つであった。瓦の粘土の採掘から製造・搬出まで、一連の生産の流れが分かる奈良時代の遺跡が見つかったのは全国で初めてである。瓦を成形・乾燥するための建物跡(長さ約22m・幅約4.5m)も確認され。通路跡には小石が敷き詰められていた。通路の一つは幅3〜4m・長さ約48mで採掘場から建物跡に向かい、もう一つは幅が同じで長さが約34mあり、窯から瓦置き場に延びていた。いずれも瓦や粘土を運ぶための一輪車の車輸跡と思われる窪み確認されている。瓦の文様から730〜745年頃に稼働していたと推定される。

*中山(ナカヤマ)瓦窯跡
 奈良県奈良市中山町
 奈良時代初頭に稼働しており、平城宮第一次大極殿に瓦を供給した窯跡。平城山瓦窯跡の中で最も古い。作り替えを含めて登窯形式の10基が確認されており、構造に違いが見られる。操業されていた時期は、和銅3(710)年の平城遷都から、天平12(740)年の恭仁京遷都までの間と推定される。

コメント(11)

 3月29日火曜日に歌姫瓦窯跡を訪れました。
 小公園に説明版が一枚立っているだけで、国指定史跡にしては愛想の無い所でした…。
 史跡指定を受けていない歌姫西瓦窯跡です。
 奈良市神功6丁目緑地内にある押熊(オシクマ)瓦窯跡です。史跡指定は受けていませんが、奈良山瓦窯群の一つです。

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