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史跡コミュの伊賀家墓地

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 高知県宿毛市桜町16−2−2

 1972年08月00日、宿毛市が史跡に指定。

 伊賀氏は藤原秀郷(ヒデサト)流で、伊賀守朝光が鎌倉幕府政所別当二階堂行政の娘婿となって以後、一族は幕府重臣として重きを成すようになった。朝光の子の一人である光資は行政が築いた美濃国稲葉山城に入り、以後子孫が稲葉山城主を務めたとされる。
 鎌倉幕府滅亡に伴って稲葉山城が一旦廃城となると、伊賀氏は大野郡に移り、代々伊賀守を自称して美濃守護土岐氏に仕えた。戦国時代になると伊賀守守就(1503?〜82)は斎藤道三の重臣となって北方城に移り、安藤に改姓、稲葉一鉄・氏家卜全(ウジイエボクゼン)と共に西美濃三人衆と称された。
 安藤伊賀守守就は永禄10(1567)年に斎藤龍興を見限って織田信長に下り、本領を安堵されたが、天正8(1580)年に至って、嫡男尚就が武田勝頼に内通したと疑われて所領を没収され、守就は武儀郡谷口村に蟄居した。
 天正10(1582)年6月、本能寺の変が突発すると、守就・尚就親子は北方城に入って旧領奪回の挙兵を行ったが、稲葉一鉄に討たれ、守就の末弟郷氏(サトウジ)も運命を共にした。
 しかし、郷氏の子可氏(ヨシウジ;1571〜1629)は母が羽柴秀吉家臣の山内一豊の姉だったため助命され、天正13(1585)年以後、近江長浜城主の一豊に仕える事となり、山内姓を名乗る事を許された。
 慶長6(1601)年、一豊が土佐国202600石を与えられて高知に入府すると、山内可氏は幡多(ハタ)郡宿毛に7000石を与えられて宿毛城に入り、土佐藩家老となった。可氏は藩内領主扱いだったため、元和元(1615)年の一国一城令で宿毛城は廃城となったが、城の麓に「宿毛土居」と呼ばれる居館を設けて宿毛統治を続けた。
 可氏の死後は嫡男定氏が宿毛領の内6800石を相続し、以後、この石高が世襲される事となった。可氏は曹洞宗南泉山東福寺の西山墓地に葬られ五輪塔が建てられた。以後の歴代宿毛領主は同寺の東山墓地に葬られている。
 歴代宿毛領主と領主在職年は以下の通り。
・01 可氏(1601〜30)
・02 定氏(1630〜46)
・03 節氏(1646〜99)
・04 倫氏(1699〜1709)
・05 晴氏(1709〜24)
・06 郷俊(1724〜48) 晴氏の弟
・07 氏篤(1748〜86) 晴氏の子
・08 保氏(1786〜1802) 土佐藩家老深尾苞実の三男
・09 氏睦(1802〜11)
・10 氏固(1811〜56) 氏睦の弟
・11 氏理(1856〜69)

 第11代宿毛領主山内氏理(ウジサト)は、明治2(1869)年の版籍奉還に伴って宿毛領を土佐藩知藩事山内豊範に返上して高知城下へ移り、山内姓を下賜されていた家臣は旧姓に復せとの命に従って、遠祖の姓である伊賀氏を名乗る事となった。
 東福寺は廃仏毀釈と廃藩置県の影響で明治4(1871)年に廃寺となったが、明治12(1879)年に臨済宗東福寺派によって再興され、東福院と改称した。
 伊賀氏理(1817〜89)の嫡男陽太郎氏成(1851〜97)は、慶應義塾卒業後、農商務省勤務を経て高等商業学校で教鞭を取った。 また、土佐藩主山内容堂の弟山内豊盈の子である氏広(1886〜1966)を養子とした。
 伊賀氏広は明治33(1900)年に男爵に叙され、民間の飛行機研究家として名を馳せたが、大正4(1915)年に幼い息子の氏英(1911〜?)に爵位を譲り、以後は宿毛に隠居した。氏英の後の当主は清英(1948〜)、正広(1971〜)となっている。
 氏英の弟信俊(1914〜66)は、旧陸奥国七戸藩主家の南部信孝子爵の養子となって、子爵位を襲っている。
 陽太郎氏成・氏広の墓も東福寺東山墓地にある。
 初代の可氏夫婦の墓は、昭和36(1961)年に野中兼山一族の墓に含めて宿毛市指定史跡となっていたが、二代目以後の墓も別枠で史跡指定された。

◎城下町宿毛
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=194642&id=77630326
*宿毛貝塚
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=77658879
・宿毛城跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=77901165
・野中兼山遺族の墓地
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=77660651
・河戸堰と宿毛水門
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=77892990

コメント(2)

 2月5日木曜日に山内可氏の墓を訪れました。東山墓地の歴代領主の墓地は探したんですが、見つける事が出来ませんでした。
左 左;野中兼山養母よめ(山内可氏の娘)墓 右;山内可氏室(堀尾吉晴の養女)墓
右 野中兼山正室市(山内可氏孫)の墓

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