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史跡コミュの石のカラト古墳

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 奈良県奈良市神功1丁目・京都府木津川市兜台2丁目

 1996年07月16日指定。

 京都・奈良県境に跨る7世紀末から8世紀前半の古墳時代終末期の上円下方墳。
 横穴式の石室が南側に向かって開いている事から、古くから「石のカラト」と称されており古墳であろうという推測はされていたものの、石室開口の原因が中世期の盗掘によるものと推定されていたこともあって戦後に至るまで調査は行われて来なかった。
 昭和54(1979)年に平城・相楽(ヘイジョウソウラク)ニュータウン建設計画に伴って初めて発掘調査が実施され、葺石を持つ上円下方墳である事、古墳の周囲に排水のための溝が掘られていた事が確認された。
 墳丘は二段階に分けられ、下方の第一段は一辺13.6m・高さ1.2m、上円部分の第二段は径9.2m・高さ1.3mで本来は全体に河原石が葺かれていた。
 石室は墳丘のほぼ中央部に位置しており、16枚の凝灰岩の板石を組み合わせて築かれ、奥行2.6m・幅1.04m・高さ1.06m。
 以前からの推測通り、盗掘によって棺や副葬品は全て奪われていたものの、その欠片とみられる部品や金箔や漆の断片等が確認されている。石室の構造は高松塚古墳・キトラ古墳・マルコ山古墳と類似しており、平城京に近い事から朝廷高官の墳墓の可能性もある。

コメント(7)

左;西面
中;ヒペリカム・カリシナム
右;東面
 周囲では多くの花々が咲き乱れていました。

左;山桜
中;江戸彼岸桜
右;房アカシア(ミモザ)

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