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史跡コミュの栄山寺行宮跡

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 奈良県五條市小島町503

 1938年12月14日指定

 真言宗豊山(ブザン)派学晶山栄山寺(エイザンジ)は、右大臣藤原不比等の長子である式部卿武智麻呂が養老3(719)年に創建し、当時は前山寺(サキヤマデラ)と呼ばれていた。
 武智麻呂は左大臣まで累進したものの、天平9(737)年に天然痘で死去、平城京北方の佐保山に葬られたが、天平宝字4(760)年、息子の太師(太政大臣)恵美押勝(エミノオシカツ)によって前山寺北側の山上に改葬された。また、押勝は父の菩提を弔うため、天平宝字7(763)年に前山寺に円堂(八角堂)を建立した。
 現存する八角堂〔国宝〕は、本瓦葺の八角形の建物で、平城京および斑鳩以外の地区にある奈良時代建築として稀有のものであり、建立年次がほぼ特定できる点でも貴重な建築である。外観は平面八角形であるが、内部の身舎(モヤ)は四角形であり、内陣周囲に立つ四本の八角柱が構造上の要となっている。屋根は明治44(1911)年の解体修理以前には草葺きであったものを修理に際して瓦葺きに推定復元したものである。屋根上の宝珠は修理の際に復元したものだが、当初のものとされる石造宝珠残欠が別に保存されている。内部の四本の柱と上部の飛貫(ヒヌキ)、天井の彩色絵画は剥落が甚だしいとはいえ、奈良時代絵画の遺品として貴重なもので、建物とは別個に「絵画」として重要文化財に指定されている。柱には楽器を奏する菩薩像、飛貫には飛天や人面をもつ鳥などが描かれている。
 その後、前山寺は武智麻呂を祖とする藤原氏南家の菩提寺として栄え、平安時代に真言宗に転向して栄山寺(サキヤマデラ)と改名、後に音読みされるようになった。
 鎌倉時代にも繁栄を維持しており、南北朝時代には南朝の後村上・長慶・後亀山天皇の行在所(アンザイショ)が置かれていたため、境内は「栄山寺行宮跡」として史跡に指定された。
 青銅製の梵鐘〔国宝〕は、銘文から延喜17(917)年の製作と判り、京都の神護寺・宇治の平等院の鐘と共に「平安三絶の鐘」として知られている。四面に菅原道真撰で、小野道風の書と伝えられる陽鋳の銘文が施されている。藤原武智麻呂の5世の孫である大納言藤原道明(856〜920)と道明の母方の伯父の中納言橘澄清(859〜925)によって寄進されたもので、当初は山城国深草の道澄寺にあった。高さ157.4cm、口径89cm。
 本堂〔重要文化財〕と大日堂〔重要文化財〕は共に戦国時代の建立。
 本尊木造薬師如来坐像〔重要文化財〕は、本堂須弥壇上の黒漆塗厨子の中に安置されており、作風等から室町時代の作とされる。
 木造十二神将立像〔重要文化財〕は、像高60.7cm〜68.6cmで、6躯の台座の裏に享徳3(1454)年から翌康正元(1455)年の銘がある。
 本堂前に据えられている石灯籠〔重要文化財〕は、弘安7(1284)年の銘があり、栄山寺型と呼ばれる特殊な形状をしていて、造立当初の姿をよく残している。
 石塔婆〔重要文化財〕は石造七重塔で、平安時代後期から鎌倉時代所期の作。
 なお、重要文化財指定の下記3件の古文書は、大東亜戦争後に文化庁買上げとなり、現在は国立歴史民俗博物館の所蔵となっている。
 ・栄山寺寺領文書 3巻
 ・官宣旨 保元三年八月七日
 ・起請文 永暦元年十月二十日

*宇智川磨崖碑
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69158668&comm_id=398257
*藤原武智麿墓
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69158584&comm_id=398257

コメント(11)

昨日、行って来ました。

左;山門
中;梵鐘〔国宝〕
右;大日堂[重要文化財]
左;大日堂内陣 左から不動明王立像・観音菩薩立像・弘法大師坐像
中;七重石塔婆[重要文化財]
右;本堂[重要文化財]
左;史跡碑
中;本堂[重要文化財]と史跡碑
右;石灯籠[重要文化財]
左;木造十二神将立像 珊底羅(サンチラ)大将〔重要文化財〕
中;木造十二神将立像 因達羅(インダラ)大将〔重要文化財〕
右;八角円堂内陣柱装飾画〔重要文化財〕
左;八角円堂〔国宝〕垂木
中;八角円堂〔国宝〕と山吹
右;山門
左;御霊神社 一の鳥居 祭神;井上内親王
中;御霊神社 拝殿
右;白山吹
栄山寺は山吹の名所としても知られ、丁度満開でした。
他にも多くの花々が咲き乱れていました。

左;椿
中;白山吹
右;木蓮
栄山寺の前を吉野川の清流が流れます。
 栄山寺付近の吉野川は特に音無川と呼ばれます。ここでは、弘法大師空海が読書をしてる時、吉野川の川音が煩いので「願わくば、音を消したまえ」と言って、流れに石を投げ込んで呪法を唱えたら、川の音がぴたりとやんで、静かになったとの伝説があります。

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