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史跡コミュの櫛山古墳

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 奈良県天理市柳本町

 1957年06月19日指定

 大和青垣国定公園内。
 柳本古墳群の一つで、人皇第10代崇神天皇山辺道勾岡上陵(ヤマベノミチノマガリノオカノエノミササギ;行燈山古墳)の後円部に接して、より山側の高い位置にある。4世紀の築造で、双方中円墳という特異な墳形をしている。
 墳丘長152m、中円部直径約90m、前方部の長さおよび幅とも60m、後方部の長さ25m。中円部の西側に前方部、東側に後方部を備えた双方中円墳である。前方部と中円部の頂上は平坦で、3〜4cmの白い小石が埋葬施設周辺に敷き詰められていたと推定される。 段築は中円部・後方部3段と前方部2段に築かれている。30cmぐらいの大きさの板状の葺き石が墳丘全体に葺かれていたと見られている。
 二つの方形突出部がほぼ均等な大きさでなく、むしろ普通の前方後円部にもう一つの短い突出部を付けたような形状に変形している。現在、周濠は無いが、周囲に周濠の区画が残り水田となっており、当初の姿を残しているといえる。周濠の範囲は東西190m、南北165mあって、前方部側面での周濠幅は約56m余である。
 中円部はほぼ正円形、前方部は正方形で前面の広がりや正面の弧状がない。 後方部は短く、わずかに開いている。排水施設を備えていて、長さ5m、幅3.4mの土壙も検出されている。
 昭和18(1943)年の調査の結果、中円部の頂上で長さ7.1m、幅1.4mの竪穴式石室が発掘され、内部には組合せ式の長持形石棺の一部が検出された。後方部には埋葬施設はなかったが、祭祀施設がある。埋葬が終わった後、様々な日常品や土製の勾玉や管玉を故意に破損させて石塊と共に、大きく掘られた穴の中に投げ入れるという祭祀が行われた。
 後方部の祭祀状遺構で、石釧(イシクシロ)・車輪石・鍬形石と呼ばれる碧玉製腕飾類の破片・これら三種の碧玉製品を模造した土製品の破片・碧玉の管玉・鉄剣や刀子の破片と鉄斧・位牌形石製品と呼ばれ人形の形骸化した石製品と想像される遺物・高坏や壺などの土師器が出土した。碧玉製腕飾類は、もとの個体数にして石釧107、車輪石105、鍬形石23という多数にのぼり、これでも乱掘後に残された数に過ぎないから、当初は膨大な数が納められたことが分かる。
 後方部の白礫が堆積した層からは直弧文を着けた鍬形石形の土製品が出土している。

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