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史跡コミュの安倍寺跡

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 奈良県桜井市安倍木材団地1-86

 1970年03月11日指定

 正しくは華厳宗別格本山安倍山崇敬(ソウキョウ)寺。大化元(645)年に左大臣に就任した阿倍倉梯麻呂(アベノクラハシマロ;?〜649)が阿倍氏の氏寺として建立した古刹で、倉梯麻呂の息子の右大臣阿倍御主人(アベノミウシ;635〜703)の時代に、塔・金堂が東西に並ぶ法隆寺式配置の伽藍が整備された。
 蝦夷征伐を行なった将軍阿倍比羅夫(アベノヒラフ)やその曾孫で遣唐使として名高い阿倍仲麻呂(アベノナカマロ;698〜770)は阿倍氏分家の人物である。
 阿倍氏は平安時代になると安倍氏と表記されるようになり、御主人の子孫であり陰陽師として名高い安倍清明(アベノセイメイ;921〜1005)はこの地で産まれたとの伝説もある。
 平安時代の崇敬寺は『大鏡』等によると十五大寺に数えられる巨刹で、平安後期に暹覚(センカク)が寺の北東に別所として文殊菩薩を祭る文殊院を建立した。
 戦国時代に崇敬寺本坊は戦火で焼失し、文殊院が崇敬寺の名跡を継いだ。文殊院本尊の木造騎獅文殊菩薩像〔重要文化財〕は、建仁3(1203)年に快慶が作ったものである。
 文殊院は江戸時代には、丹後国の切戸文殊・出羽国の亀岡文殊と並ぶ日本三文殊に数えられるようになり、現在もぼけ封じ霊場として信仰を集めている。
 文殊院境内の文殊院西古墳〔特別史跡〕は、阿倍倉梯麻呂の墓と推定されている。

 崇敬寺本坊跡には、仲麿屋敷と呼ばれている方形の土壇、その南北に長い土壇、東方土壇の西北に三角形の土壇が遺存している。仲麿屋敷は方15mの塔跡で、その西に接して幅5mの基壇があり、塔の北約20mの所で東に曲がっていることが確認された。また、塔跡の西約60mの所で、南北方向に2列の柱穴列も発見されている。

☆文殊院西古墳
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52136813&comm_id=398257
+文殊院東古墳 
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52137433&comm_id=398257

コメント(9)

寺跡では多くの花々が咲き乱れていました。

左;八重桜
中;白山桜
右;西洋菜の花
左;ジャーマンアイリス
中;白山吹
右;桜草
安倍文殊院です。

左;山門
中;本堂〔桜井市指定文化財〕
右;五台閣
左;金閣浮御堂(仲麻呂堂)
中;阿倍仲麻呂歌碑「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
右;不動堂
左;花の広場
中;白山堂〔重要文化財〕
右;青銅製十一面観音菩薩立像
左;奥の院参道 合格門
中;奥の院 清明堂
右;奥の院より花の広場干支刈り込みを望む
左;稲荷神社 祭神;宇迦之御魂神
中;稲荷神社より金閣浮御堂を望む
右;稲荷神社より多武峰を望む

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