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史跡コミュの醍醐寺境内

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 京都府京都市伏見区醍醐伽藍町
https://www.google.com/maps/place/%E7%B7%8F%E9%96%80/@34.9517759,135.8190477,18z/data=!4m5!3m4!1s0x60010f30e970888b:0x35bb11acabd8b634!8m2!3d34.9516996!4d135.8182803
 1927年06月14日、三宝院庭園が史跡・名勝に指定。
 1952年03月29日、三宝院庭園が特別史跡・特別名勝に指定。
 1967年12月27日、境内全体が史跡に指定。
 1994年12月17日、境内全体がUNESCO世界文化遺産に指定。

 醍醐寺の起源は、貞観16(874)年に弘法大師空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝(リゲンダイシショウボウ)が准胝(ジュンテイ)観音と如意輪観音を標高450mの笠取山頂上に迎えて開山したのが始まりで、聖宝は『大般涅槃経』等の仏典に尊い教えの比喩として登場する乳製品「醍醐」に因んで同山頂付近を「醍醐山」と名付けました。貞観18(876)年には聖宝によって准胝堂と如意輪堂が建立されています。
 山深い醍醐山頂上一帯は修験道(シュゲンドウ)の霊場として発展、人皇第60代醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、勅願によって延喜7(907)年には薬師堂、延長4(926)年には山麓に釈迦堂(金堂)を建立(コンリュウ)しています。以後、釈迦堂一帯の広大な平地には次々に大伽藍が建立されて、山上の上醍醐(カミダイゴ)に対して下醍醐(シモダイゴ)と呼ばれる事となります。下醍醐には塔頭(タッチュウ)として理性院(リショウイン)・三宝院(灌頂院)・金剛王院(現;一言寺)・無量光院・報恩院の門跡寺院が成立、この醍醐五門跡から歴代座主(ザス)が選ばれていました。また、上醍醐の准胝堂は西国三十三所第11番札所とされています。
 その後、応仁の乱(1467〜77)で下醍醐は西軍の大内政弘の焼き討ちに遭って衰微し、文明元(1469)年には周辺集落である御境内の村民たちが寺に納める年貢を半分にする半済(ハンゼイ)を要求する暴動を起こした際には、僧兵による弾圧が行なわれ。首謀者達を呪殺する目的の大規模な護摩祈祷が実施されるなど人心も荒廃、五重塔のみが残される状況となってしまいました。
 しかし、太閤豊臣秀吉によって花見が行われる事が決まると、三宝院が再興されるなど伽藍が復興され始め、慶長3(1598)年3月に「醍醐の花見」が盛大に行われました。
 続いて、豊臣秀頼の名義で伽藍の整備が続けられ、慶長5(1600)年には秀吉の時代から行われていた金堂の移築工事が完成、慶長10(1605)年には西大門、慶長11(1606)年には上醍醐の如意輪堂・開山堂・五大堂の再建が行われています。豊臣政権下での醍醐寺については、二条関白家出身で醍醐寺座主を務めた義演の著した『義演准后(ギエンジュゴウ)日記』が詳細を伝えています。
 慶長18(1613)年、大御所徳川家康は修験道法度(シュゲンドウハット)を定め、修験者は醍醐寺三宝院を本山とする真言宗系の当山派と、三井寺聖護院(ショウゴイン)を本山とする天台宗系の本山派のどちらかに属さねばならないと決定、両派に分けて競合させる事としました。この結果、江戸時代を通じて醍醐寺は殷賑を極める事となります。
 明治元(1868)年に神仏分離令、明治5(1872)年に修験禁止令が出されると、醍醐寺は大きなダメージを受けますが、廃寺や伽藍破壊は免れ、多くの寺宝も流出する事無く維持されました。
 昭和10(1935)年には霊宝館が開館して寺宝の公開が始まりますが、昭和14(1939)年8月の山火事で上醍醐の経蔵・准胝堂が焼失してしまいました。
 昭和43(1968)年に准胝堂は再建されますが、平成20(2008)年8月に落雷による火災でまたもや全焼してしまったため、現在は西国三十三所札所が下醍醐の観音堂に仮に移されています。

★醍醐寺
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16095526&comm_id=273468
☆醍醐寺三宝院庭園
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16097554&comm_id=360748
・一言寺のヤマモモ
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=320240&id=99604274

コメント(60)

 三宝院です。

左;秋草の間〔重要文化財〕
中;庭園〔特別史跡〕〔特別名勝〕
右;勅使の間〔重要文化財〕
 三宝院庭園〔特別史跡〕〔特別名勝〕です。
 三宝院庭園〔特別史跡〕〔特別名勝〕です。

左;表書院〔国宝〕
中;賀茂の三石
右;正面が藤戸石
 三宝院庭園〔特別史跡〕〔特別名勝〕です。
 三宝院です。

左;表書院〔国宝〕下段の間
中;表書院〔国宝〕上段の間
右;純浄観〔重要文化財〕
 三宝院純浄観〔重要文化財〕です。
 三宝院庭園〔特別史跡〕〔特別名勝〕です。
 三宝院です。

左;枕流亭
中;本堂〔重要文化財〕
右;聖天堂
 三宝院です。

左;松月亭
中;万両
右;純浄観〔重要文化財〕
左・中;三宝院 奥宸殿〔重要文化財〕
右;霊宝館
左;霊宝館
中;霊宝館仏像棟
右;伊呂波紅葉
左;雨月茶屋
中・右;別格本山 報恩院
左;上醍醐参道入口
中;女人堂
右;槍山
左;醍醐の花見
中;不動滝
右;上醍醐参道
左;上醍醐参道
中;上醍醐
右;音羽魔王大権現社
 上醍醐です。

左;摂受庵(寺務所)
中・右;清龍宮拝殿〔国宝〕
左;清龍宮拝殿〔国宝〕
中;万両
右;醍醐水
 上醍醐です。

左;横尾大明神
中;清瀧宮本殿
右;清瀧宮本殿からの眺望
 上醍醐です。

左;准胝堂跡
中;柏木稲荷大明神
右;眺望
 上醍醐です。

左;鐘楼
中;縁結白山大権現
右;如意輪堂〔重要文化財〕
 上醍醐の如意輪堂〔重要文化財〕です。
 上醍醐の開山堂〔重要文化財〕です。
 上醍醐です。

左;地蔵堂
中;醍醐山頂
右;経蔵跡
左;理性院 千体地蔵
中;理性院 本堂
右;南門
 12月10日土曜日に飛び地境内になっている別格本山金剛王院一言寺を訪れました。
 一言寺です。

左;表参道
中;山門
右;庭園と地蔵堂
 一言寺です。

左・中;本堂
右;鐘楼
 一言寺です。

左;弁天堂
中・右;びんずる尊者
 一言寺のヤマモモ〔京都市指定登録天然記念物〕です。
 10日土曜日のランチは、醍醐寺直営の“Le Clos Sous le cerisier”でハンバーグオールセット2331円也を食べました。
 大寺院の境内にフレンチレストランがあると違和感アリアリですね。

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