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史跡コミュの四天王寺旧境内

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 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1丁目

 1951年06月09日指定

 和宗総本山荒陵山四天王寺は、『日本書紀』によると、587年の物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」 と誓願し、勝利の後、その誓いを果すために593年に至って建立されたとされる。
 『四天王寺縁起』によると建立に際し、「四箇院の制」がとられた事が示されている。「四箇院」とは「帰依渇仰 断悪修善 速証無上 大菩提所」 つまり仏法修行の道場である“敬田院”、 病者に薬を施す“施薬院”、病気の者を収容し、病気を癒す “療病院”、身寄りのない者や年老いた者を収容する“悲田院”の四つの施仏教の根本精神の実践の場でありこれらの施設は、中心伽藍の北に建てられた。
 その伽藍配置は、四天王寺式伽藍配置と言われ、南から北へ向かって中門・五重塔・金堂・講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つである。その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6〜7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な存在とされている。
 960年の火災、1099年の地震、1361年の地震、1377年の雷火、1443年の火災、1576年の火災、1801年の雷火、1934年の風害、1945年の空襲等によって何度も伽藍が失われたが、その都度復興が行われた。伽藍配置も創建当時とほぼ変りなくその遺制をとどめている。
 寺域の高麓尺のほぼ一千尺四方に相当し、地域内からしばしば飛鳥時代の古瓦が発見されている。
 焼け残った石鳥居・石舞台・六時堂・五智光院・本坊湯屋方丈・本坊西通用門が重要文化財に指定されている。
 本坊庭園は極楽浄土の庭と名付けられた池泉回遊式庭園で、面積9900?にも及び、庭内に登録文化財の八角堂がある。
 
 境内の亀井の水は、天王寺七名水の一つで、故人の追善供養のために経木を流す習慣がある。
 毎年4月22日の太子忌に石舞台で奉納される聖霊会(ショウリョウエ)は重要無形民俗文化財に指定されており、1月14日に行われる裸祭り「どやどや」と並んで浪速の風物詩となっている。
 新西国三十三箇所1番札所・西国三十三箇所番外札所でもある。
 国宝の「紙本著色扇面法華経冊子5帖(九十八葉)」・「懸守」(カケマモリ)・「七星剣」・「丙子椒林剣」・「四天王寺縁起 根本本 後醍醐天皇宸翰本」・「金銅威奈大村骨蔵器」以下、多くの寺宝が伝わり、一部は東京国立博物館や京都国立博物館に寄託されているが、境内の宝物館で公開されているものも多い。

コメント(9)

3月11日に行って来ました。
左;石鳥居〔重要文化財〕
中;西大門(極楽門)
右;中門(仁王門)
左;石舞台〔重要文化財〕
中;六時堂〔重要文化財〕
右;五智光院〔重要文化財〕
左;本坊西通用門〔重要文化財〕
中;本坊湯屋方丈〔重要文化財〕
右;八角亭〔登録文化財〕
左;本坊庭園 極楽浄土の庭 瑠璃光の池
中;本坊庭園 極楽浄土の庭 釈迦の滝
右;本坊庭園 極楽浄土の庭 瑠璃光の池と薬師の滝
左;本坊庭園 極楽浄土の庭 極楽の池
中;本坊庭園 極楽浄土の庭 普陀洛の庭
右;本坊庭園 極楽浄土の庭 普陀洛の庭
本坊庭園の極楽浄土の庭には、椿・梅に加えて、早咲きの桜や躑躅も咲いていました。
 あべのハルカス60階展望台から見下ろした四天王寺です。2月5日水曜日に訪れました。

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