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史跡コミュの熊本城跡

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 熊本県熊本市本丸・二の丸・宮内・古城・古京町・千葉城町

 1933年02月28日、史跡に指定。

 1955年12月29日、特別史跡に指定。

 熊本城の一帯は応仁・文明年間(1467〜88)、菊池氏の一族出田秀信が現在の千葉城の地に城郭を築いたことに始まり、その後明応年間鹿子木親員入道寂心がここに拠り、後現在の古城の地に移った。
 その後、城氏や佐々成政の居城となったが、1588年、加藤清正の居城となった。清正は城の防備を強化するため千葉城と古城の中間にある茶臼山に着目し、1601年より同1607年に亘る大工事を起こし、現在の熊本城を築いた。周囲5.3km、面積980,000?の平山城である。坪井川・井芹川を内郭の防備として、天然の地形を最大限に活用し、城域には30棟をこす多重櫓を設けた。天守3・櫓49・櫓門18・城門29を持つ豪壮雄大な構えで、なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名。
 その後、1632年の加藤忠広の移封により、明治までの約240年間細川氏11代の居城となっている。
 1873年、熊本城に熊本鎮台が設置され、1876年の神風連の乱に際しては呆気無く陥落したが、翌年の西南戦争に際しては谷干城少将麾下の351名の政府軍将兵が50日余に及ぶ西郷軍2万の猛攻に耐え抜いた。この籠城戦の最中に失火から天守閣は燃亡してしまった。
 1960年に天守閣、1989年に数寄屋丸二階御広間が復元され、2007年竣工を目指して本丸御殿の再建も進められている。
 監物櫓・宇土櫓・数寄屋丸二階御広間・平櫓・不開門・五間櫓・北十八間櫓・東十八間櫓・源之進櫓・四間櫓・十四間櫓・七間櫓・田子櫓・長塀は重要文化財に指定されている。 
 城下町熊本に関しては以下を参照。
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1768582&comm_id=194642

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