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Visionary ArtコミュのContemporary Art & Visionary Art

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ロシアに住むヴィジョナリーアーティストによれば、ロシアにおいて Contemporary Artを推進している勢力はアメリカ新自由主義者達であり、彼らのほとんどは人種的にロシア人ではないのだそうです。彼らが必要としない芸術はキッチュか異端のレッテルを貼られ、その傾向は全世界に広がっているようです。
また東北青森県における初の現代美術館建設の推進主体は地元住民ではなく、外資と繋がった原燃補助金の使い道のために暗躍した人々や六本木の森美術館関係者でした。
 現代美術とは何か?ヴィジョナリーアーティスト達は何故戦わなければならないのか?その意味でContemporary Artについてこのコミュで取り上げても無意味ではないと思い、トピックを設定してみます。

 まずは抽象表現主義とCIAの関係がとっかかりとして分かりやすいのではないでしょうか。


イギリスのニュースサイト The Independent における1995年10月22日の記事より抜粋。
以下引用 http://www.independent.co.uk/news/world/modern-art-was-cia-weapon-1578808.html
・モダンアートはCIAの武器であった
Revealed: how the spy agency used unwitting artists such as Pollock and de Kooning in a cultural Cold War

Frances Stonor Saunders

数十年間、芸術界においては噂かジョークでしかなかったが、事実として確認されたことがある。アメリカ中央情報局=CIAは、ジャクソン ポロックやロバート マザウェル、あるいはウィリアム デクーニング、マーク ロスコといった芸術家によるモダンアートを冷戦時代に兵器として使用した。ルネッサンス時代の君主のように、しかしそれは秘密裏であったが、CIAは20年間に渡ってアメリカ抽象表現主義絵画を育成し世界中に広めていたのである。

 この関係性はありえないようにも見える。それは大多数のアメリカ人がモダンアートを嫌い軽蔑していた50年代と60年代における時期のことだからである。 トルーマン大統領は当時の一般的な見方をこういう表現で要約している。「これをアートと呼ぶなら、自分はホッテントッドだ、と言うのと同じだ。」
 芸術家達に関して言えば、彼らの多くは元左翼であり、マッカーシズムによる赤狩時代、かろうじてアメリカに受け入れられたに過ぎず、そして普通にはアメリカ政府の援助を得られそうもない人々だったことは間違いない。


 何故CIAは彼らを援助したのか? なぜならソ連とのプロパガンダ戦争において、この新しい芸術運動はアメリカの創造性や知的自由といった文化的力の証明になるとされたからである。ロシア美術は共産主義のイデオロギーの制服によって縛られ、太刀打ちできなかった。

 この方針の存在は何年にも渡って噂され議論されてきたのだが、現在、元CIA当局者によって初めて確認された。芸術家達には知られないまま新しいアメリカ美術はlong leash「ロング リーシュ」として知られる長い手綱によって密かに援助されていた。その計画は Stephen Spender が編集を務め、同じくCIAが援助した Encounterジャーナルのケースと似たところがある。

 冷戦のため、アメリカの兵器庫の中に文化とアートを含める決断は1947年CIAが設立されてまもなく採用された。いまだ多くの西洋の知識人や芸術家たちから共産主義の影響力は恐れられており、そこで新たな諜報機関が設置された。それはPropaganda Assets Inventory=貴重品一覧表宣伝機関といったもので、ピーク時には800を超える新聞、雑誌、公的情報機関に影響を与えることが可能であった。彼らはジョークでそれをワーリッツァー・ジュークボックスのようだと言い合った。CIAがボタンを押すとそれはどのような曲でも思いどおりに調整して世界中に聞かせることが可能だったのである。

 次に重要なステップがやってきて、1950年、International Organization Division(IOD)がTom Bradenの下に設立された。この部署はGeorge Orwellの「動物農園」のアニメ版を援助し、アメリカジャズミュージシャンやオペラリサイタル、あるいはボストン交響楽団の国際ツアーを支援した。そのエイジェント達は映画産業や出版会社に配置され、あるいは名高いフォーダーガイドのために紀行作家として活動することさえあった。そして今、判明したことによれば、それはまたアメリカのアナーキーなアヴァンギャルドムーブメント、抽象表現主義を支援していた。

 初めのうちは、よりオープンな試みが新しいアメリカ美術を支援するために行われた。1947年に国の機関が企画し資金援助した「アメリカの前衛美術」という国際巡回展はソ連が指摘するところの「アメリカは文化的に砂漠である。」という批判に反論する目的もあった。しかし展覧会は国内においては怒りを買うことになった。それはトルーマンのホッテントット発言を引き出し、あるいはある辛口の国会議員にこう言わしめた。「俺はこのゴミ屑の類いに税金を払っているただの馬鹿なアメリカ人だ。」
巡回展はキャンセルせざるをえなかった

 アメリカ政府はついにジレンマに直面した。この俗物主義はMcCarthyのヒステリックな前衛美術に対する批判とあいまって甚だ気まずい状況をもたらした。アメリカは洗練された文化的に豊かな国であるという考え方を台無しにするものであった。 あるいはまた1930年代以降固まりつつあったパリからニューヨークへの文化的優位性の移動というアメリカ政府の方針を妨害するものであった。ジレンマの解決のためにCIAが動員された。

 この関係は見た目よりもそれほど奇妙なものではない。当時、その新たな諜報機関はおもにイェールやハーバードの卒業生が配置され、彼らの多くは余暇を使って美術品をコレクションしたり小説を書いたりしていた。それはMcCarthy やJ Edgar HooverのFBIに支配されていた政治的世界と比べると自由主義の避難所であったのである。ニューヨーク・スクールを作ったレーニン、トロツキー主義者の飲んだくれ達を賛美すべき立場の公的機関があったとするなら、それは結局CIAであった。

 今までこの関係を証明する直接的な証拠は無かった。しかし初めてかつての当局者のDonald Jamesonが沈黙を破った。はい。と彼は言った。諜報機関は抽象表現主義をある機会と看做していた。そしてそれに着手したのだと。

「抽象表現主義に関しては、私としてはこういうふうに言ってみたいのですが、つまり、CIAはニューヨークやソーホーで何が未来に起こるのかを見るために、それを発明したのだ!と。」彼はジョークを言った。
「しかし、私達が実際にやったことは違いの認識のためだったのだと思います。つまり抽象表現主義との比較によって社会主義リアリズムがさらに型にはまった閉鎖的なものだと認識させるためです。そしてこの関連性はいくつかの展覧会で利用されました。」

「ある意味、私達の理解が支持されたのは、当時のモスクワは酷い状態で、強固な画一性のために、いかなる不従順も公に非難されていましたし、そのため、彼らがあれほど手荒く非難したものは何であれなんとかして適切正確に支援する価値があったのです。」

アメリカの左翼アヴァンギャルド達のための収入源を探したもののCIAはパトロンが見つからないことを確認せざるを得なかった。
「こういった事柄に関しては、二つか三つの間隔距離をおいてなされなければならないのです。」 Mr Jameaonは説明した。「それで、Jackson Pollockの身元や背景を明確にするための如何なる質問も無かっただろうし、例えば、彼らを組織の中に巻込きこむことはなかったでしょう。それから彼らは政府に対する尊重の念はほとんどありませんでしたし、接近はできないままでした。特にCIAに関してはなおさらでしょう。もしワシントンよりモスクワになんとかして近づきたい、と思う人物を利用するのなら、たぶんそっちのほうがはるかにうまくいったでしょうね。」

これがロング リーシュというものだ。CIAのキャンペーンにおける重要拠点がCongress for Cultural Freedom 自由文化会議となった。知識人、作家、歴史学者、詩人、そして芸術家による広大な会合は1950年にCIAとそのエイジェントによって設立され運営された。それは西側においてモスクワとその同調者からの攻撃から文化を守るための足がかりとなった。そのピークにおいては35カ国に研究室をもち、2ダース以上の雑誌を出版し、それにはEncounterも含まれていた。

自由文化会議は抽象表現主義の潜在的値打ちを高めるための理想的なフロントをCIAに提供することとなった。公的なスポンサーによる巡回展、雑誌が新しいアメリカ美術に好意的な批評家達にとって格好の場となった。そして芸術家も含め、そのことは誰も知ることはなかった。

1950年代、組織はいくつかの抽象表現主義の展覧会を併合して行った。最も重要なものは「アメリカの新しい絵画」というものであった。それは1958〜59にかけて全てのヨーロッパの重要都市を回るものであった。さらに影響力の強かった展覧会は「アメリカ合衆国のモダンアート」(1955)であり、「20世紀のマスターピース」(1952)であった。

抽象表現主義が巡回展するには高予算が必要であった。億万長者や美術館は博打に参加した。そういった動きの中でもっとも有名なのがネルソン ロックフェラーである。彼の母親は他の協力とともにニューヨーク近代美術館を設立していた。「ママのミュージアム」とロックフェラーが呼ぶところの館長として彼は抽象表現主義の最大の支援者の一人であった。彼は抽象表現主義のことをフリー エンタープライズ ペインティングと呼んでいた。彼の美術館はほとんどの重要な展覧会の計画とキュレーションのために文化自由会議と契約を結んだ。

 近代美術館はまた他のいくつかの関係においてCIAとリンクしていた。CBS放送の社長であるWilliam PaleyはCIAの創設者であり、美術館の国際的プログラムのための委員会のメンバーであった。委員長のJohn Hay Whitneyは戦時中の諜報機関であるOSSで働いていた人物である。そしてTom Bradenは1949年における美術館の高官でありCIAの国際機関部門International Organizations Divisionの最初の長官であった。

 Mr Bradenは現在80代でありヴァージニアのウッドブリッジに住んでいる。家は抽象表現主義作品で覆われており、無数のシェパード犬で周囲をガードしている。彼はIODの目的について詳しく話してくれた。

「我々はあらゆる人々、作家、音楽家、芸術家、を一つにまとめようとしたのです。何を書くべきか、何を言うべきか、何をすべきか、何を描くべきかを厳しく規制するソ連のような固い壁を無くし、アメリカを含めた西側が自由な表現と知的成果を追求しているということをデモンストレーションするためでした。それは諜報機関が持ったもので最も重要な機関だったと思います。そして、またそれが冷戦時代演じた役割は巨大だったのです。」

彼の部門が秘密裏に活動していた理由はアヴァンギャルドに対する一般の反感があったためだと言った。

「我々がやろうとしていたことのために相応しい委員会を得るのは大変難しかったのです。アートを広める、演奏会を広める、雑誌出版を広める。それが秘密活動にしなければならない理由でした。オープンさを押し進めるために我々の存在は秘密でなければならなかったのです。」

 このことが今世紀におけるミケランジェロにとっての教皇の役割のようなものだとすることが、なおさら相応しい。

「それは教皇、あるいは多くの資金を持つ誰かを要するものでした。芸術を認めさせ、支援するために。」とMr Braidenは言う。

「数世紀たったのちに人々はこう言っています。見てご覧!システィーナ礼拝堂だ。歴史上もっとも美しいクリエイションだ! 文明はこうしたミケランジェロを支援したような金持ちや教皇の問題に曝されてきたといえるでしょう。しかし金持ちや教皇が居なかったら、私達が芸術を目にすることはなかったのです。」

抽象表現主義はこういったパトロン無しにも戦後、有力なアートムーブメントであり続けたであろうか? 答えは恐らくイエスだろう。よって、抽象表現主義の絵を見る事がCIAに騙されることにつながるという考えは間違いであろう。

大理石の銀行、空港、市のホール、会議室、重要なギャラリー、といったあらゆる場所に見ることができるこの芸術の結果を見るならば、冷戦の戦いがそれらを促進させたことで、それはある種の合い言葉、あるいは人々の文化とシステムの証票となった。彼らがあらゆるところに展示したことで影響力をもち。それらは成功の証となったのである。

CIAと現代美術に関した話の全体は チャンネル4で今度の土曜日の午後8時から放送される。この番組の第一話は今夜映される。 Frances Stonor Saundersは冷戦時代の文化面に関して本を書いている。

 1958年の巡回展「アメリカの新しい絵画」はパリで開かれ、ポロックやデクーニング、マザウェルを含んだその他の芸術家で構成されていた。テートギャラリーは次回、この展覧会をやることに強い興味をしめしたが、予算が無かった。遅い段階でアメリカの資産家で美術愛好家のJulius Fleischmannが金をもって乗り出し、そしてロンドンで展覧会は開催された。

 Fleiscmanが提供した金は彼の懐からではなくCIAのものだった。それはFarfield ファーフィールド基金呼ばれる本体から引き出されたもので、Fleischmannはそこの会長だったのである。しかしなお資産家によるチャリティーを目的としたものであったにも関わらず、その基金はCIA財源のための秘密のパイプをもっていた。

テートギャラリーや芸術家、あるいは一般には知られない形で、この展覧会のロンドンへの移動は冷戦時代の巧妙なプロパガンダによって得たアメリカの税収をもとに行われたのである。元CIAの Tom Bradenはいかにしてそのようなファーフィールド基金のパイプができたかを説明した。

「誰かニューヨークにいる有名な金持ちのところへ行くとしますよね。それでこう言うわけです。基金を設立したいんです。と。それでこれから何をしようとしているのかを言って、秘密遵守を約束します。それで彼はこう言うでしょう。もちろん、やりましょう。と。そしてレターヘッドを公表してそこに彼の名前がのるわけです。極めてシンプルなやり方です。」

 Julius Fleischmannはよくこの役割に就いた。彼はニューヨーク近代美術館の国際プログラムの委員会の席につき、CIAに近い幾人かの大立て者も関わっていたのである。

コメント(35)

冷戦終了後、CIAの目的がどう変化したのか? 当局による情報はまた半世紀後に明らかになるのかもしれません。ドイツ ベルリン在住のヴィジョナリーアーティスト Leo Plawさんによる2009年3月のレポートを紹介したいと思います。




以下引用 http://leoplaw.com/news/page/2/

「世界的金融危機」の波が迫るにつれ、世論によればアート界は窮地の曲がり角にきたようである。

世界における最も有力なディーラー David Nahmadは 今週、現代美術市場に対して攻撃を始めた。「およそインチキ」ないくつかの作品に関して膨大な値を付けてきたのである。人々はイギリスの彫刻家のアンソニー カロによる「常規を逸した馬鹿げた値段。」というコメントを引用し合い、その問題が作品そのものよりも重要になってしまった。

こういったコメントは現代美術市場の崩壊に応じたものだ。 過去三、四年間、この市場は二、三人のバイヤーが互いに競り合って値をあげている、ごく疎らなものであり続けている。払った額よりも価値が無くなったアートを所有してしまった多くの人々がいる。経済の下落は見せかけのバブルを修正させ、その値打ちに不相応なアーティスト達が高値を支配していたのだ、という理解となった。

スペインのアーティスト Eugenio Merinoは 神殿の中で自分を射撃しているハーストの等身大の彫刻を作り、それを銀行が並ぶ地区に展示した。そして美術市場における馬鹿げた値段に対するコメントを付け加えた。「神への愛のために」と題されたこの彫刻は第28回マドリッド現代美術祭(ARCO)にて、開催されたとたん多くの注目を集めた。ハーストの作品、ダイアモンド髑髏「神への愛のために」を参照したものであった。

Merinoはインタヴューの中で、「ハーストは自分の作品の値段をいかに最も高くするかをいつも考えている。もし彼が自分を殺したら、彼の作品の値段はさらに上がるだろう。」 と述べた。

このことはまた、ハーストにとって、他人の芸術作品に関しては安値であっても一向にかまわないことも意味している。彼は16歳の学生Cartainを脅す行動に出たことがある。この少年はダイアモンド髑髏のイメージを盗作し、無数の大学でそれを65リラで売った。この若い芸術家は非を認め、自分の作品の売上げをハーストに手渡したのである。

 世界におけるジョーカーあるいは盗作者たちの中でハーストは最大の大物である。しかしながら、ジョークが終わるときに彼のユーモアのセンスはまさに試されるであろう。彼のスピンペインティングはBlur Peterからインスパイアされたものである。あるいはまた彼が「盗作」されたというところの先の作品はJohn Lekayという別な芸術家からの影響なのである。

 彼はユーモアのセンスを失ったのだろうか?あるいはただ、自分の知的財産を守っただけなのだろうか? おそらく現代美術市場の失速は彼を悩ませるだろう。


※参考までにデミアン ハーストに関する動画です。
ロシアのヴィジョナリーアーティストのOleg KorolevさんがContemporary Art とVisionary Artの関係を知る上での印象的なエッセーを書いています。彼はロシア正教のクリスチャンであり、現代文化、現代美術に対する独自の危機感と問題意識をもっているように伺われるので翻訳を試みました。彼の論考はスペインの自由主義哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセトに対する批判に基づいています。



ちなみに日本版ウィキペディアにてホセ・オルテガ・イ・ガセトの略歴を見ることができます。以下引用。

        -----------------------------------------------------------


オルテガの思想は、「生の理性 (razón vital)」をめぐって形成されている。「生の理性」とは、個々人の限られた「生」を媒介し統合して、より普遍的なものへと高めていくような理性のことである。
オルテガは、みずからの思想を体系的に構築しようとはせず、「明示的論証なき学問」と呼んだエッセイや、ジャーナリズムに発表した啓蒙的な論説や、一般市民を対象とした公開講義などによって、自己の思想を表現した。
オルテガの関心は、形而上学にとどまらず、文明論や国家論、文学や美術など多岐にわたり、著述をおこなった。
大衆を批判し、貴族・エリートを擁護した。彼の定義によれば、大衆とは、「ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない」、つまり、「みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間である」という。
20世紀に台頭したボリシェヴィズム(マルクス・レーニン主義)とファシズムを「野蛮状態への後退」、「原始主義」として批判した。特にボリシェヴィズム、ロシア革命に対しては、「人間的な生のはじまりとは逆なのである」と述べている。
       http://meaus.com/0-151-korolev-2.htm
   "The Dehumanization of Art" and "Mules, without understanding".
             By Oleg Korolev


      「芸術の非人間化」と「悟りの無い驢馬」

            オレグ コロレブ




上:ロマン主義のスタイル、 Casper David Friedrichnによる
「霧の海を眺めるさすらい人」(1818年)100年ほどの間はこの作品は当時の「モダンアート」の模範であった



1925年にスペインの自由主義哲学者José Ortega y Gasset(1883〜1955)は「芸術の非人間化」というエッセーを書き、出版した。今日の時代にまで続く現代美術の発展段階を映し出す、ある種の偏向した見解をそのエッセーは表明しているのにも関わらず、それは事実、彼より後の世代における現代美術家達にとってのプログラムとなっていったのである。

 このOrtega y Gassetのエッセーが説明していることは、芸術界の、ある部分のエリート達がいかに伝統的芸術における「メロドラマ性」にうんざりしていたかということであり、また同時にそういった伝統芸術はいかに不誠実に感情を喚起させ、鑑賞者を泣かせたり笑わせたり、あるいはやや実利的なものを感じさせるかということであった。

 なぜなら普通の鑑賞者による「美的な愉しみ」は、「本質的に他の普段の日常における感情体験と大差が無い。」とされていたからである。彼は躊躇なく、新しい芸術の傾向を理解する彼のような人々を賢く知的に遥かに先を行く者とし、古く古典的な伝統へ傅くことに留まろうとする人間的な感情をもった人々を、単に馬鹿な意識の狭い「大衆」と看做している。

また同時に彼は、「人間的な、あまりに人間的な。」というヨーロッパにおける古典的観念とともに振舞う「新しい芸術」を歓迎し、芸術における「人間的」なあらゆるものを拒絶している。

「新しい芸術」としてのモダニズムは芸術におけるあらゆる生き生きとした形態を抹殺し、単純な二元論の境界線の中において芸術創造過程を密室の中に閉じ込め、感情的で霊的な人間の体験に関与するあらゆるものが、その中に侵入することを許さないようにした。

 その傾向はなおも先へと続き、そして現実に死んだ機械的精神構造と化した。知らず知らずにそれは人間の魂を無用で時代遅れのものとして拒絶するようになり、愚鈍で視野の狭い「大衆」の特徴とされたのである。

 そして「超越性」という人間の魂が目指す究極地点を言及することすら完全に禁じられるところまで、それは行き着いたのである。
上:20世紀における「新しい芸術」 Kazimir Malevitchによる「黒の正方形」1915年


 そうして哲学者のOrtega y Gasset はこのように結論を下している。「非超越性」、「非人間化」、「もはや芸術がゲームであることを努めて理解しようとすること。」「自然の形態の描写を避けること。」そして「深いアイロニー」、こういったことが「新しい芸術」にとっての主な前提となったのである。そしてなおも彼はこう言明している。「新しい芸術のシンボルは今や牧羊神パンの魔法のフルートとなった。森のはずれで子供達は魔法で躍らずにはいられないだろう。」


 ここで我々が気付くことは、最後の彼の言葉は明らかに召使の「牧羊神パン」の密かな喜悦を意味しているということである。それは芸術の世界を彼の闇の中に巻き込むという幸福なのであり、それは超越性や魔法への道を塞ぐと同時に、一方ではルネッサンス美術で描かれた異教のイメージをも暗示している。こうして「新しい芸術」が何らかの偉大なるものとくっ付くように試みられた。

 私はOrtega y Gasset が非常に洗練されたマニピュレーターであったことを認めざるを得ない。そしてこの彼のトリックは非常に効果的であったのである。

 彼が書いているように「新しい芸術」が「ポピュラー」でもなく「庶民」にも理解されないものである以上、哲学者として彼はこう結論を下す。つまり今後永遠に「新しい芸術」を理解する人々と、一方の理解できない人々は分離され続けると。

 既に彼の時代における「ヨーロッパ啓蒙運動」は「人間の平等」を時代錯誤の概念であることを自明の前提としていた。その事態から進んでいくことで彼は二つの新しい社会階級の存在を公言した。それらは「新しい芸術」に対して理解があるか無理解であるかが証左となることによって分けられることになったのである。「二つの秩序あるいはランク、卓越した人々の秩序と普通の人々の秩序」として。


 聖書からの引用を付け加え提示するなら、「悟りのない馬や驢馬のようであってはならない。それは轡や手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。」"Be not like a horse or a mule, without understanding, which must be curbed with bit and bridle, else it will not keep with you",

 彼はいわゆる「普通の人々」を驢馬であると指摘しているのである


 霊的で超越的な事柄を理解しない人々に対する言葉である「悟りの無い驢馬」という聖書的表現を、倒錯的精神性、モダニズムの代表であるニヒリスティックな「新しい芸術」に関しては使わず、むしろ霊的に調律された心情や感受性を批判するために使っていることは全く驚くべきことである。

 彼らはまさに聖書が言うところの本物の「悟りのない驢馬」である。つまり彼はアンチ スピリチュアルな声明をスピリチュアルなものによって裏付けようとしているのである! これは言葉上のトリックなのであり、非神聖なものを神聖化しようとする目的のためなのである!

 このフレーズは単純な観念を伝えるための代理人となり、それは傲慢でありながら霊的に無知な男によって作られた。彼は自身のみならず、膨大な数の芸術家達と彼らに従う多くの芸術愛好者達を混乱させた。外道による無明であるところの捻くれた人間精神の大いなる典型を見出そうとするのなら、この事例を忘れるべきではない。

 また、彼が宣言するには、今後、男や女といった人間の肖像を描かないほうがより、「恥ずべき感情的偶像」から開放されることができるようになるだろうというのである。 彼は「新しい芸術」を「新しい偶像破壊」と呼び、「イメージ」の神聖化に対する戦いであると述べている。
上:ゴシック様式による聖母「Belle Verri屍re」 Chartres Cathedral (13世紀)の南側窓にある聖歌隊



 Ortega y Gassetはいくつかの類型的例を世界の美術史の中で挙げている。例えば現代的なキュビスムに見られる「幾何学的芸術の時代」と「聖像破壊」、そしては古い時代における「幾何学的」、「聖像破壊」な様式は「新たな自然形態の探求」によってその傾向を変え反対のほうへ向かうに至った事、などである。このことはゴシック様式の後に、ルネッサンス時代にも同じことが起こった。


 もちろん、彼は心的な原理における振り子のことを言おうとしているのであり、それは美術史発展過程において互いの影響関係に見ることができる二つの極における揺れであり、それはまた蛇が蛇行する姿にも似ている。

 しかしながら、彼は単に混乱させているのである。モダニズムの芸術が「生きた形態」を取り除くために努力しており、それは「ルネッサンス芸術がゴシックの幾何学的規範の悪夢から脱しようと試みた」のと同じだと彼は言う。
しかし全ては逆もまた可ではないか!モダニズムは人間と生命に反したものであって、ルネッサンスはむしろ人間と生命のためのものであった!

 モダニズムとルネッサンスは二つの異なるものである。一方は“非人間化”と“幾何学化”への道であり、もう一方は生きた人間的な形態の探求、人間化としてのゴシック幾何学主義への反発である。

 アンチスピリチュアルであり、ニヒリスティックな「新しい芸術」を新たな偉大な芸術としてルネッサンスの霊的、宗教的芸術の延長に付け加えようとする彼の試みは分からなくもない。(同じトリックが現代の名工によって実行された。既に古くなった「新しい芸術」のために!)

 さらになお重要なことは彼らが懸命に自らの権威を過去の中に見つけようとしており、時代によって既に証明された宗教や偉大な芸術といった最高権威にそれは寄り添っている。しかしそれはむしろ自らの脆弱な歴史的立場を証明するかのような姿勢であり、彼らの明らかな非論理性や不誠意といったマニピュレーターとしての特徴は隠せるものではない。

 もちろん、Ortega y Gasset はモダニズムとルネッサンス芸術運動との間にある共通点を提示しようとしていた、と想像することは可能である。霊的なものに関するある欠落と拒絶によって。

 このことは「新しい芸術」におけるあらゆる名工たちに典型的に言えることである!
つまり彼も他の者達もルネッサンスはゴシックと比べて超越性との関連が薄いものであると看做そうとしていた。

 肝心な点とは、ルネッサンス運動がメインストリームとしてのカソリック教会に対して新しいものをもたらしたということであり、それはギリシャローマやキリスト教以前の思想や、あるいは錬金術的教義などを模範としたものであったという事実である。なおそれは最も輝かしい超越主義者としての特徴をもっていた。

 ルネッサンスでは人間の中にある神々しいもの、そして既に人間の身体の中に存在している完璧な生命といったものを現そうとした。つまりルネッサンスは人間的感情、情熱、官能性、性表現 を芸術にもたらしたのであり、そういった要素はちょうどまさにモダニズムが容認しなかったものなのである。
上:Leonardo da Vinchi による ルネッサンス様式「Mandonna Litta」(1490)



 現代性における前提的見解のみに基づいてモダニズムとルネッサンスを結びつけることには全く妥当性が無い。その両者がともに革命的に見えるとしても。

 それら二つの芸術の革命性は違うものである。あるいは全く正反対のものである!

 モダン、あるいは芸術におけるモダニズムとはまったく新しい事態であり、それは過去における何ものにも比較することができない。
 
 モダン以前のアルカイックな時代であれば一般的な「大衆」であった人々が歴史上初めて、司祭や司教、あるいは王よりも教育を受ける機会をもったのである。

 もちろん、それはヨーロッパの教育制度の成果であった。そして才能ある文化的人間は、彼がたとえ下層階級社会を代表する人物であっても、自身の意見を言い、あるいは実存的な疑問に対する答えを出す権利を得ることができたのである。

 もし15世紀であれば、Leonardoのようなユニークな天才のみにとってそれは可能であった。しかし今後は、社会の大部分にとって道は開かれている。そこで「モダンな人間」は意志でもって行動して自らを得、集団によらない独自の知性を持ったのであった。

 このことは人類の歴史上無かったことであった。例えシャーマンの時代や石器時代に遡ったとしても。

 しかし、アルカイックな宗教システムやそのコントロールを受け無い、孤独な「モダン」意識はすぐにあまりに尊大となり、「客観性」を重視するようになった。

 モダンな状態の社会は科学において偉大な進歩を成し遂げた。この意味においては、それは非常にポジティヴな現象であった。しかし同時に多くの場合、このことは全くの倒錯ともなり、人間の魂を超越性から切り離し、人が霊的に成長する上での袋小路となった。

 これが、我々がモダニズムの中に見ることができるものである。モダニズムとは霊的な行き止まりである!
上:1960年代の「新しい芸術」Willem de Kooningによる「Pink Lady」(1965)




よく考えた末にOrtega y Gassetは明らかに我々のポストシュールリアリストの時代を抜かした。神秘リアリズム、ヴィジョナリーアート ファンタスティック リアリズム といったスタイルが生存をかけて戦っている相手は単に今日の時代遅れのキュビスム的な「幾何学主義」の悪夢のみではなく、また全ての芸術における倒錯であり、「闇夜の魂」にその起源を持つ、超越性からの分離に対抗するためである。

 新しい霊的なヴィジョナリーアートは非人間化の重い遺産のプレッシャーの下、全的な人間学としての新しい、霊的な、「生きた形態」を維持するために、生き残るために戦っている。その重い遺産とは今日「コンテンポラリーアート」として代表されるものである。
 
 もちろん、全く同じとは言えないにしろ、この状況はそのままルネッサンス時代における何かと似てはいないだろうか!


 ここで、似たように聞こえる言葉どうしの混乱を避けるために、注釈するなら、「モダン」とは哲学的、社会的、時代的な意識におけるものであり、「モダニズム」とは芸術運動である。(アート モダンとは芸術様式であり、例えば、アールヌーボーや、ユーゲントスタイル、という言い方のように。)


 同様に「ポストモダン」とは哲学的、社会システム的な見方であり、「ポストモダニズム」とは芸術における時代区分である。(コンテンポラリーアートとは芸術スタイルである。)

 そして今日、非人間化を出発点としたモダニズムだけではなく、既にポストモダニズムが、いかなる構想や意味をも拒否する形で退廃したものになっている。ほとんど中世時代の全体主義のようでありながら、自らの前提を守るために、それはゴシック時代よりも雰囲気的でジェラシーを感じさせるものとなっている。

 ポストモダニズムによる「コンテンポラリーアート」は手当たり次第に過去の偉大な芸術上の発明発見を「引用」している。

 それ自体は何も生み出していない。むき出しのアイロニー以外は。自らの芸術的引用をさらに引用することによって前進しようとし、それは円周率πへと向かっている。

 ポストモダニズムは今日、ひたすらアイロニカルな「牧羊神パン」を思い起こさせる。その「深いユーモア」はモダニズムによって使い尽くされ、そしてポストモダニズムにおいては完全なるマラスマス(栄養失調症)へと行き着いた。

José Ortega y Gasset 自身へと戻るなら、彼は聖書から非常に良い引用をしている。「悟りの無い馬や驢馬のようであってはならない。それは、轡や手綱の馬具で押さえなければあなたに近づかない。」彼が思い描き、確証しようとしたものと全く反対の意味を、今、我々ははっきりと認識できる!

「非超越性」、「非人間化」、「もはや芸術がゲームであることを努めて理解しようとすること。」「自然の形態の描写を避けること。」そして「深いアイロニー」、これらが「悟りの無い馬や驢馬のようであってはならない〜」ための主な前提となっていた。これらは実は倒錯した機械的な意識であり、最も卑しく愚かな動物として聖書の詩編で言及されているものなのである。

 Ortega y Gasset'sのアイディアである、「二つの秩序あるいはランク、卓越した人々の秩序と普通の人々の秩序」は素晴らしいものであろう。しかしそれは全く正反対の方向に対して適用すべきものである!

 真の芸術的貴族としての「卓越した人々」とは超越性や人間の魂の中にある神聖なもの、そして真の芸術の中に内在的に映し出されている「自然の生きた形態」を理解し引き受けた者達のことである。芸術的な平民としての「普通の人々」とは「驢馬」であって、そのような神聖な賜物をなんら持たない人々である。

 最近までの美術史において、全ての芸術家達が非人間化としてのバール神を崇拝していたのではなく、非精神化と芸術における超越性の排除に賛同していたのではない、と言えることは喜ばしい。 

 神は常にそういった10人の正しい者達を守ってきた。彼らは町を究極の破滅から救うであろう!

  このことについては、次回にて。


Oleg Korolevはロシアの神秘的、宗教的なヴィジョナリーアーティストである。

彼の作品はロシア、ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリアにおいて個人および団体のコレクションの中で展示され続けている。

Oleg Korolevの公式サイト http://www.koro-art.com

http://www.facebook.com/Korolev.Oleg
http://www.myspace.com/oleg_korolev
今は亡き、デイビット・ロックフェラーとのアートをめぐるインタヴュー動画があります。


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