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Visionary ArtコミュのJapanese Art&Visionary Art

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左    二紀会 遠藤彰子 
中央   独立美術協会  奥谷博
右    前田常作






日本の美術Japanese ArtとVisionary Artがいかなる関係にあるのか。これはかなりの難問で、国内的にも国際的にも具体的な議論が存在し難いために、このトピックを輪郭づけるには今後、多くの人々からの意見が必要とされるでしょう。

1971年に朝日新聞社主催によって開催された「現代の幻想絵画展」の出品者は、平山郁夫、工藤甲人、近藤弘明といった日本画家、そして前田常作、鷹山宇一、山本文彦、藤林叡三といった洋画家達であり、彼らは後々も日本の美術界においても教育界においても強い影響力をもちつづけ、けっしてアングラでもアウトサイダーでもありませんでした。

 生活の友社による美術雑誌、2009年6月号のアートコレクターの記事で巌谷國士氏はこう述べています。
http://www.tomosha.com/books/collector/sample/09.AC14-02.pdf

「日本で幻想美術という言葉が流やりだしたのは1960年代ごろからかな。幻想美術は正統的なリアリズムへのアンチテーゼにもなっていましたね。60年代には、大学闘争をはじめとして、それまでの秩序を覆そうとする反体制的な運動が続いていましたが、幻想美術はそれと連動する形で現れていたとも言えます。アカデミズムがあって、その牙城のもとにさまざまなレベルが並ぶというようなヒエラルキーを、崩そうとしはじめました。そんな動きの有力な拠点のひとつが幻想美術だったわけです。」

 ここから想像できることは戦後の欧米の幻想美術=Visionary Artが非具象的な現代美術へのアンチテーゼとしての役割があったのに対して、日本の場合は一貫して具象表現、リアリズムが保守勢力であったがために、幻想美術も現代美術もいわば具象画壇をアカデミックな仮想敵として活動を始めたということです。しかし現在、日本の幻想美術と呼びうる大きな部分がアカデミックな具象画壇に吸収されてしまっていると見ることもできます。あるいは現代アートシーンで活躍しながらも団体展に席を置く若い世代もいます。

 とはいえ、欧米におけるような具象美術界VS現代美術界という二分化された構図は日本にも存在しており、欧米と異なる点は圧倒的にいまだ前者が教育界や政界に大きな影響力をもっているということです。

 この二つの美術界どうしの日本におけるフリクションが380億円の公的事業であった国立新美術館という存在に象徴されているのではないかと思えてきました。あるいはこの美術館は欧米と日本との美術に対する考えの差異も浮き彫りにしています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/国立新美術館

以下抜粋引用


国立新美術館

国立新美術館(こくりつしんびじゅつかん、THE NATIONAL ART CENTER,TOKYO)は、東京都港区にある美術館。
文化庁国立新美術館設立準備室と独立行政法人国立美術館が主体となって東京大学生産技術研究所跡地に建設された美術館で、2007年1月21日開館。国立の美術館としては国立国際美術館(1977年開館)以来となる30年ぶり、5館目にあたる。 延床面積は日本最大で、これまで最大とされていた大塚国際美術館の約1.5倍に及ぶ。
コンセプトを「森の中の美術館」としており、設立目的を展覧会の開催・情報収集およびその公開・教育普及としている。また、館内にミュージアムショップ・レストラン・カフェを展開するなど、親しみのある美術館を目指している。

公募団体主導の構想

この美術館の構想はそもそも、従来は公募展のために東京都美術館を使用してきた日展ほかさまざまな美術団体(公募団体)のあいだで、作品出展数に比して展示できる面積の狭い東京都美術館に対する不満と、新たな展示スペースへの要望が高まった結果生まれたものだった。
その際、都ではなく、国が全国的な美術団体のための展示スペースを整備すべきとの意見が出て、美術家や公募団体が文化庁や政党、各地方の国会議員に働きかけた結果、1995年以降、各公募団体の代表作家たちや美術評論家を中心に、国立の新美術展示場建設構想の調査がはじまる[1]。場所は六本木の東京大学生産技術研究所(駒場に移転)の跡地があてられ、建設費は380億円を予定していた。当初はナショナル・ギャラリー(仮称)と呼ばれ、日本の芸術文化の育成・国際的な芸術情報発信拠点としての役割が期待されていた。活動内容は複数の公募展の同時並行開催と、新聞社などの主催の大規模企画展のための会場貸しとされ、美術品コレクションや学芸員は置かない方針だった。


批判


現在、日展はじめ公募団体は作家の技術を磨く場として機能してはいるが、世界の先端の美術(主に、ニューヨークを中心としてアメリカとヨーロッパなどの「アート・ワールド」から発信される現代美術)の動向と、日本の公募団体の作風や創作のバックとなる思想の有無には相当のずれが見られ、近年では公募団体から世界的に注目される作家は登場していない。

 ほかに、そもそも公募団体側も国側も新美術館を通して何を実現したいのか、という展望や戦略がないまま、箱の建設のみを進めていたという、ハード面のみの重視に対する批判もある[2]。これに関し、ナショナル・ギャラリーという名称になると、日本国外から来る観光客が、ワシントンD.C.のナショナルギャラリーやロンドンのナショナルギャラリーと同様の施設と勘違いして来館する恐れがあるという批判を受けて「ナショナル・ギャラリー(仮称)」の名称は無くなった。

 ロンドンやワシントンのナショナル・ギャラリーは、貸し展示場という意味のギャラリーではなく、いずれも膨大な美術品を所蔵する国立美術館であり、研究員・展示技術者・修復技術者・外部教育担当者など有能なスタッフを抱えている。常設展だけで充実した内容を持つほか、コレクションと研究実績の力をバックに世界中から美術品を借り集めて、ある作家についての代表作のほぼ全てを集めた決定版的な企画展も開くことができる。

 名称を公募した結果「国立新美術館」という名称に決定した。また、外国から美術品を借りる際に、受け入れる学芸員が必要なことや、独自の展覧会も開催すべきだとの指摘を受け、数名の学芸員を置くことになった。


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国立新美術館の問題について藤田一人さんが詳しい記事を書いています。
http://art-v.jp/tenpyo/webtenpyo/fujita/fuji-1.html
http://www.gaden.jp/info/2007/070120/0120.htm



欧米のアンダーグラウンドアートの事情を前提とするならば、日本の具象画壇から国際的な芸術家がでてこないということは、全く当然のことであり、批判としては的外れであるということになるでしょう。日本の具象画壇で現在権威をもっている美術家達がもし欧米で生まれていたら、戦後の具象美術圧殺の風潮によってアンダーグラウンドでしかあり得なかったのであり、具象美術の危機という状況を訴えていたかもしれないのです。
 団体展という日本特有のシステムは良くも悪くも日本美術の保護膜として機能してきたといえるのでしょう。

 ともかくも欧米美術界の死角であるVisionary ArtやLowbrow Artを考慮して初めて日本の具象画壇をふくめた世界の美術界の全体像が見えてくるということには違いないのでしょう。

国立新美術館の動画です。





外観からは最先端の現代アートを展示しているように見える美術館ですが、実際は美術公募団体の陳情によって建設された日本最大の貸しギャラリーなのです。欧米の具象画家達がこのようなものを国に作らせることは到底不可能に思われます。
藤田さんによれば、美術館側には美術公募団体の存在を何故か対外的に正面に出したがらない傾向があるようです。むしろ国際基準の現代美術をメインにしたいという意図が潜在しているのかもしれません。

コメント(38)

日本の美術団体の一つ、二紀展の国立新美術館における様子です。日本人にとっては見慣れた光景でありますが、作品の大部分がアメリカの美術界ではアウトサイダーアートかヴィジョナリーアートに分類されてしまうかのような作風である気がしてきます。この奇妙な相対観を言葉にするのはなかなか難しく思えます。
 エロティックな作風は少なく、審査を通すために大作主義となっていき、競合することによる平板化という問題もなくはないのですが、この展覧会が仮にニューヨークの真ん中で開催されたらどのようなことになるのか想像することも興味深いです。そして確実に地域性と庶民性を反映した美術形態であることには違いないでしょう。

巌谷國士氏が言っていた60年代の反体制的時代から現れた様々な日本のアングラな才能達を垣間見せる動画です。70年代生まれの管理人としてはこの時代状況は全く疎いのですが、公的な場で見せることを憚る、エロスとタナトスといった雰囲気が共通底としてあるような気もします。彼らは画壇ではなくメディアに登場し、結果的に公になったわけですが、エロティシズムがメディアの中で飽和状態になっている今日、反体制としての役割の意味合いが持続しているか否かには疑問が残ります。

唐十郎、四谷シモン・金子國義対談

現在の日本のアングラとはなんなのか、私はよく像がつかめないのですけども、絵でも詩でも表現できずに途方に暮れるものになりつつあるのかもしれません。
現代アートと具象画壇に引き裂かれ、あるいは互いに融合し合う相貌を伝える興味深いエッセーがありましたので紹介します。


http://www.all-japan-arts.com/essay/0901oriori41.html
折々の眼(41)  発想の現代美術系、技術の画壇系  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)


 いわゆる現代美術系の作品傾向が今、どうなっているのか。アウトラインを手っ取り早く把握したいのなら、「VOCA展」と「シェル美術賞展」の双方、あるいは、どちらか一方を必ずマークする必要があるだろう。

 昨秋「シェル美術賞展2008」を観て、現状に少なからず落胆した。必ずしも空間になりきっていない浅すぎる広い地に、若者固有の内攻的な図を添えたような平面 作品や、テクスチャーを曖昧化するペインタリーなものがほとんどである。まったく、造形的な多様性に欠ける。明らかに、審査員を意識しての賞狙い、といった印象が拭えない。それこそがまた、消費されることを前提とし、無抵抗に市場経済に流される現代美術のトレンド、といえばいえなくもないのかもしれない。

 昨今の現代美術系、画壇系を通していえるのは、発想や技術の多様性を排する類型的傾向が目立つことだ。現代美術系は意識の扉を常に広く外へ向けているといえば聞こえがよいけれど、何ということはない、アメリカ型のグローバルな市場経済へやすやすと呑み込まれているにすぎない。反骨的な個別 個性の抵抗の意識など、きわめて希薄に思われる。一方の無数の公募団体が形成する画壇系に至っては、相も変わらずの閉鎖社会。意識の扉を外へ開こうとせず、内側だけに向けている。アカデミックな作品づくりを積み重ね、″芸術信仰″というささやかな充足感に救いを求めつつ、サラリーマンのように、組織の中枢への階段を一歩一歩慎重に上がろうとしているだけに思われるけれど、どうなのだろう。

 次に、がらりと視座を変えて考えてみたい。発想、アイデア、コンセプト優先とはいえ、技術力がややもの足りない現代美術系を観ていると、このレベルなら私でも創れると錯覚させる軽さと自由がある。一方、画壇系の作品を顔前にすると、職人的な技術力はとうていかなわないとしても、その重くうっとうしい作風に、本当に現代を生きて呼吸しているのかという疑念が、ふと湧いたりもする。

 このように現代美術系と画壇系は、プラスとマイナスの両面をふところ深く、同時に内在させる。特徴とする殻をほどほどにとどめ、両方のプラス要素を互いに取り込むようにすれば、これからの日本の現代絵画一般 に望みがもてなくもないだろう。それにつけても、双方とも作風の類型化へ流れるのでなく、多様であることの豊かな意義をもう一度認識し、創造のベクトルをやせさせないように心掛ける必要があるのではないか。

 最後に駆足的に。ここ数年、人事面で珍現象が起きている。それまで画壇系などにまったく見向きもしなかった現代美術系の二、三の有力評論家が、公募団体展のレセプションでスピーチしたり、ギャラリートークに応じるなどの動きだ。これが甘い汁のせいでなく、発想の現代美術系と技術の画壇系の将来的な相互補完を見据えた前向きの歩み寄りであれば、それなりに歓迎できなくもないだろう。
日本を代表する国民的具象画家、遠藤彰子の展覧会の様子です。


死後、現代美術界と幻想絵画界の双方で評価された石田徹也の世界



全国的な十代スラング「中二病」はファンタスティック、ヴィジョナリーアートの定義とほとんど同じである。


このMixiコミュにおける調査全体を背景として国内で初めて2009年に「ヴィジョナリー・アート」というコンセプトによって実現した歴史的な展覧会です。





Visionary Art Show in Tokyo 2009 at Gallery Art Point


Artists

HAL6 NAKAMURA Kazuhiko TAKAHASHI Satoru HITODE HIROYUKI Saitou SAKAMOTO Satoshi
NOGAMI Machiko KANOMATA Saori


ヴィジョナリーアートが日本において意味するもの

「アメリカのアンダーグラウンドアート」

アンダーグラウンドアートとは体制の論理に順応しないために社会構造的に浮かび上がり難いアートだと言える。それがいかに豊穣であっても欧米型の公的美術館やメディア、批評が光を当てようとしない芸術の世界が存在し続けている。
 ジャクソン ポロックが代表するアメリカ戦後の抽象表現主義を世界中に広めるためにCIAの大規模な政治的、経済的な支援があったという情報がある。CIAの美術界における工作の意図は永くパリを芸術の中心地としてきたヨーロッパからアメリカのニューヨークへ美術のイニシアチブを移すことであり、また冷戦時代、ソ連は文化的にも強敵であり、社会主義リアリズムを完全に時代遅れにする必要があったとされている。

アメリカの世界的な文化的影響力の発端に体制側の工作が潜んでいたのであれば、戦後アメリカの前衛美術は作られた見せかけの自由革命の側面があったといえるだろう。
 
アメリカ現代美術における目覚ましい成功例は例外なく庶民の到底手が届かないような怪物的取引額が付随し、一般には殆ど理解不能な専門的批評、解釈によって成り立ってきた。ファンタスティックな想像力、伝統的な職人的技術は軽蔑され、それは素人にも理解できるイラストとみなされ、美術教育においてもそれが徹底された。そして必然的にHighとLowという過酷な二極化が発生した。
 
Lowbrow Artは低クラスのアートという皮肉で自嘲的意味合いで呼ばれているジャンルであり、抽象的概念によって支配されてきたアメリカ現代美術界への反動として70年代後半にロサンジェルス周辺で始まった庶民的なアンダーグラウンド アート ムーブメントである。
 
ポップシュールレアリスムとも呼ばれる象徴的絵画を伝統的手法で描くことも厭わないローブローアーティスト達のほとんどは公式な美術界の外側からキャリアを始めており、それはコミックやタトゥーの領域も含まれる。その代表はLori EarlyやMark Ryden、Chet Zarといった幻想的具象表現者達であり、他にも無数の才能ある芸術家たちがジャクスタポーズマガジンといったアンダーグラウンドメディアやインターネットによって紹介され独自に市場を切り開きファンやコレクターを増大させている。
 
ジャクスタポーズ マガジンの創刊者であるRobert Williamsによれば、国際的アートブローカー達は戦後、具象表現を完全に美術界全体から排除することに集中してきたという。それは後のミニマリズムやコンセプチュアリズムの前提となり、唯一キッチュなポップアートのみが具象表現として容認された。しかし彼はポップアートの本質は「リアリズムをバカにする。」ことにあると述べている。
 

圧倒的な国際的経済支援のもとに君臨してきた現代美術界の影にもう一つの美術界が存在してきた。想像力と伝統技術を守るため、それは芸術家達の、存亡をかける戦いを要するものであったのである。
 





    「ヴィジョナリーアートとは何か」

Visionary ArtとはFantastic Artと同義であり、幻想芸術と和訳することも可能であるが、より正確には幻視芸術とすべきであろう。しかし日本語の文脈上「幻想的」という表現を使わざるを得ない。実際には幻視芸術=ヴィジョナリーアートが欧米において意味する範囲は広く、サイケデリックアートやシャーマニズムアート、あるいは一種の民族芸術やアウトサイダーアートも含まれる。

 しかしアウトサイダーアートと異なりヴィジョナリーアートは必ずしも正規の教育を授けない独学の個人のみを意味するものではない。ここにしばしば語弊と混乱を見いだすことができる。ごく通常にヴィジョナリーアートが指しているジャンルとはウィーン幻想派やHR Giger 、Alex Grey による日本でも広く知られた高度で鮮烈な幻想的表現世界のことである。
 
 奇妙なことにアウトサイダーアートは学術的に研究の対象となりその市場が注目されているにも関わらず、幻想美術としてのヴィジョナリーアートはアカデミズムから微妙な形で排除されてきた。ヴィジョナリー アートもローブローアートと同様に戦後、モダニズムの繁栄の中、アンダーグラウンドであらざるをえなかった。それは必然的に彼らのコミュニティーを形成させ、批評、出版、キュレーターの役割を芸術家自らがやらざるを得なかったのである。
 
 ファンタスティック、ヴィジョナリー アートの分野の代表的な欧米の組織としては世界中に数百人の会員をもつAOI (The Society of Art of Imagination)がある。戦前の悪夢を担って生まれたウィーン幻想派の成果を国際的に共有するために、60年代前半に結成されたInscapeというイギリスを起点としたグループがAOI の前身である。
 彼らの主張は何世紀にも渡って培った西洋美術の伝統を重視するものであり、モダニズムによって滅亡しかけている霊的な想像力の継承と復活を目指すものであった。

 ヴィジョナリーアートに関わるアーティスト達が共同体を形成し、そのコンテクストを強化してきた背景としてインターネットの存在は無視できない。政治的、経済的に運営されてきた通常のメディアをネットによって飛び越えることが可能になり、人々が本来何を切実に渇望していたのかが急速に鮮明になってきたのである。
 
 ネットを中心として短期間で国際的に知られるようになった主要な活動の一つにオーストラリアのジョン ベイナートJon Beinartによるオンラインギャラリーの編集と出版活動がある。彼が対象としてきたものは世界のアンダーグラウンドアート全般であり、極めて広範囲な視野でもってウェブ上のキュレーションと論考を実現し、それはネットを超えて芸術家どうしを結びつけ実際のグループ展活動を活発化させた。またネットは芸術のメッカとしての都市拠点の重要性を弱めた。かつての美術運動のように必ずしも組織的な流派を必要としなくなったのである。そして視覚的衝撃力に乏しい現代美術よりも入念に描かれた率直な幻想的表現のほうが無数のネットユーザーの心を捉える結果となった。
 
 しかし補足すべきことは、いかにウェブ上では豊かに見えても、現実にはモダニズムの荒野の中にあって幻想的表現者達はマイノリティとして世界中に点在していることも忘れるべきではない。

 
日本美術界の可能性」

 
 ローブローアートやヴィジョナリーアートといった幻想的表現のムーブメントは全体としては国際メインストリームとしての現代美術へのアンチテーゼであると同時にキリスト教文明に対するリアクションでもある。そのため、しばしばアーティスト達はシャーマニズムやアジア密教にインスピレーションを求め、あるいはダークで魔術的な表現を追求している。
 しかし日本のようにモダニズムやキリスト教が体制の核を完全支配していない場所では事情が異なってくる。
 
 仏文学者の巌谷 國士 氏によれば日本の幻想表現は60年代の大学闘争のような反体制運動と連動しながら、階級的牙城としてのアカデミックな具象的リアリズムに対する反発として始まったのだという。このことは抽象芸術に対する反動として起こった欧米の幻想芸術ムーブメントとは事情が反対である。
 
 1971年に朝日新聞社主催によって開催された「現代の幻想絵画展」の出品者は、平山郁夫、近藤弘明、工藤甲人、といった日本画家、そして前田常作、山本文彦、藤林叡三といった洋画家達であり、彼らは後々も日本の美術界においても教育界においても強い影響力をもち続け、決してアングラでもアウトサイダーでもなかった。

 日本人は欧米におけるような具象美術の危機を経験したことがなく、教育においても市場においても具象表現が中心的であったのであり、具象美術を支持、実践する無数の一般庶民によって多くの美術団体が運営されてきた。日本の美術教科書には必ず幻想表現についての項目が掲載され、古典的なテンペラ技法を教える美術大学も少なくない。そして具象美術団体は国を動かし380億円の公共事業として国立新美術館を建設することも可能にしたのである。日本の美術界は欧米のアンダーグラウンドアートの状況から見ればまさに夢にも叶わないようなことを実現していたといえる。
 
 日本の具象美術界から国際的な芸術家が出ないという批判は欧米型現代美術界の虚構性を考えれば必ずしも当たっていない。半世紀遅れをとってきたと言われる日本美術界は図らずも西洋型モダニズムから半世紀身を守ってきたとも言えるのである。さらに伝統的な具象美術界と前衛的な現代美術界とを分け隔てる壁が欧米ほど深刻ではないことが日本における特徴であるといえよう。
 
 かつて西洋近代美術を感化した浮世絵は日本ではありふれているため、その価値が認識されなかったように、日本人が未だ自覚していない日本美術界の大きな国際的役割が潜在している。世界中のアンダーグラウンド文化を何の抵抗も無く受け入れ、その魅力を世界のどこよりも認め感動する国民的気風が損なわれていないと思われるからである。
  
 芸術に関する真の国際的世論は公的なメディアや論評を超えたところにあると言わねばならない。あるいは世界的な経済的崩壊によって現代美術界の後ろ盾であった巨大な資本力も衰退せざるを得ないだろう。グローバリズムによって覆い隠され、知られることのなかった美術界の全体像がようやく明らかになる時期にきているのではないだろうか。


                                                                  文責 坂本 智史 2009年
澁澤龍彦特集の日曜美術館の記録動画は著作権によって削除されるたび再度投稿されています。それほど根強いファンが国内に居る証左でしょう。


国内におけるヴィジョナリーアートの理解者、実践者として大阪のアーティスト 中島修一さんがいます。

日本初のヴィジョナリーアート ギャラリーを開設した大串英宣さんのエッセーがあります。許可を得ないままですが転載します。この記事は2010年のものです。http://tinascafe.seesaa.net/article/169053922.html

【ヴィジョナリーアートについて】
INTERVIEW 大串英宣 ZQ art collective  
『ヴィジョナリーの新しい波』2010年10月22日

*ヴィジョナリーアートとは、いったいどういうものでしょうか?

VISIONARYという英語を翻訳すると、「先見の明のある」「非現実的な」「空想的な」、「幻想的な」などという意味が出てくると思います。この言葉は2006年頃から、ビジネスの分野で盛んに使用されるようになりましたが、その際は、先進的で独創的な企画を立案し、社会的に影響力のある事業を明確なヴィジョンを持って実現してゆく経営者や企業を指したものでした。
しかし、実はこの言葉は、そのようなビジネスの現場で活躍するリーダーとはかけ離れたような存在を指す意味をも含んでいるのです。それはすなわち、「幻視者」、「神秘家」などです。ヴィジョナリーアートを説明する際、クローズアップされてくるのは、ビジネス分野でのヴィジョナリーブームにおいては陰に隠れて見えなかったそれらの存在です。
端的に言えば、ヴィジョナリーアートとは、幻視者によって描かれた絵画などの芸術的な作品のことです。

*幻視者によって描かれた作品は、普通の美術作品と比べて、どのような違いがあるのでしょうか?

簡単に言えば、肉眼で捉えた現実世界の画像をモチーフとして作品を創り上げるのか、それとも意識下で受像した情景(ヴィジョン)を作品として創り上げるのか、の違いです。
世の中には、一般人には見えない世界を見ることが出来る視力を持つ人が希に存在します。もちろん誰もが、多少はヴィジョンを見る能力は備えていると思います。
例えば、目を閉じていたとしても、リンゴ!と言われれば、脳裏に心像を浮かべることが出来るでしょう?また、夢というものは、映画のようなストーリー性を持つ動画ですが、眠っている間に見るのが普通ですので、この映像も肉眼を通さぬ意識下のヴィジョンであると言えます。
*それならば、夢で見たものを絵に描いたり、空想したものを絵に描いたりしたものも、ヴィジョナリーアートと捉えていいのでしょうか?

はい、おおまかに言えば、そうなります。そういう意味では、ヴィジョナリーアートの裾野は自由で広大なものです。しかし、それが芸術の領域にまで到達するには幾つかの要素が必要となってきます。
まず、第一に、当たり前の話ですが、そのヴィジョンそのものの質やレベルが重要です。
夢で見たからといって、ありきたりな絵を見せられたところで惹かれることはありません。
夢はヴィジョンと呼ぶに値しない単なる日常の記億の残像である場合も多いからです。
ですから、夢を見るからといって幻視者とはいえないのです。見たことも無いような感動や恍惚を感じさせるヴィジョンに無意識の領域で到達し、それを現実世界に持ち帰る力を持つ者こそ、幻視者と呼ぶに値するのです。そして更に、そのヴィジョンを芸術の域にまで再現出る才能をも併せ持つ人こそがヴィジョナリーアーティストです。
*空想画とかシュールレアリスムとの違いはどうでしょう?

空想画もヴィジョナリーアートの範疇に入りますが、ポイントとされるのは、その空想がどれだけ意識の深いところと関与しているかです。日常生活の表層部やSF映画などの印象を材料にして、思考のコントロールによって構成されたイメージを私はヴィジョンとは捉えません。空想といっても、ある段階を超えると、自ずとそれは瞑想の段階へと進化する場合があり、思考によって組み立てられるイメージではなく、そこに在る内面宇宙の情景をそのまま受信する段階へと至ります。ここからがヴィジョナリーの領域です。
また、シュールレアリスムにも数々の作品があります。内面宇宙から超現実的なヴィジョンを捉えて作品のモチーフとしているものはシュールレアリスムと呼ばれているとしても、それは同時にヴィジョナリーアートでもあります。しかし、一見非現実的な世界を描いていても、そこに作為が読み取れる作品の場合、多分に頭で考えて構成された幻想的演出を施した通常の作品に過ぎず、それは真のヴィジョナリーではありません。

*芸術とは、人間の創造的行為であって、それを行うには思考が伴うのは当然のように思われるのですが?

もちろん思考が無ければ、極端に言えば、キャンバスを張ったり筆を持ち上げることすらままならず、絵画なりの作品をまとめあげることは不可能でしょう。ですので、そのような創作の局面で思考が働くのは当然のことです。ところがその作品の源泉たる部分、創作意欲を湧き出させられるモチーフそのものについては、ヴィジョナリーの場合、思考の関与無しに立ち現れるということです。
*モチーフが思考に影響されているかどうかは、どのようにして見極めるのですか?

その見極めは、ヴィジョナリーの感性を持つ者によって見極められます。
申しましたように、ヴィジョナリーの裾野は自由で広いものです。サイケデリックアートやシュールレアリスム、オートマティスム、と呼ばれる作品の中にはヴィジョナリーアートの領域と重なる作品も多く存在します。これらの超現実を描いたものの中で、ヴィジョナリーと呼べるものの条件として、作品が導くヴィジョンの方向性があげられます。
作家である幻視者が、いったいどのようなヴィジョンに到達したのか?その結果、観賞者の意識に直接訴えかける力を持つヴィジョンを作品として転写することが出来たのか?
視覚的に幻惑を誘うような色彩を使ったり、力を持つ宗教的アイコンを引用したり、神話の世界の印象を空想で描いてみても、ヴィジョナリーアート風の作品は描けると思いますが、本物は、そこに内在する根源的な世界観によって判断されます。そこに人々の意識を高い次元に導く力を有するものこそが、ヴィジョナリーアートの真髄だと言えます。
音叉というものをご存知だと思います。鳴っている音叉を鳴っていない音叉に近づけると、バイブレーションが伝わって、鳴っていなかった音叉も鳴りだします。良質のヴィジョナリーアートに求められるものは、この音叉のように、観賞者の意識を共鳴させて高次元へと導く力そのものです。
*ビジョナリーアーティストとなるには、どうすればよいのでしょう?

ヴィジョナリーと呼ばれる幻視力は先天的な体質として現れるものですが、瞑想やある種の訓練によって後天的に獲得することも可能であると思われます。顕在意識によって抑制されている集合的無意識とも呼ばれる領域へと通じる回路を開放することが、ヴィジョナリーへの道です。ヴィジョナリーを得たとすれば、次にそれを物質次元に絵画として転写する技法を身につけねばなりません。意識の中で見た情景(ヴィジョン)を再現するのは、容易なことではありません。何故ならヴィジョンは、多次元的であり光や距離の感覚も通常の世界とは異なる場合が多いからです。感動を呼び起こすそのヴィジョンを生のまま、どのように伝えるか?その手法を発見し習熟することがヴィジョナリーアーティストには求められます。
*誰もが知る著名な芸術家の中で、ヴィジョナリーの作家を挙げていただけますか?

古くは15世紀の画家ヒエロニムス・ボスや18世紀の画家ウイリアム・ブレイクの名が挙げられます。彼らは宗教画家と位置づけられることもありますが、ヴィジョナリーとは宗教として分類される以前の根源的な存在を対象としており、それが絵画として物質化される際に、当時の思想や時代背景を反映することは考えられます。また、シュールレアリストとして特に有名なサルバドール・ダリも幻視者であると推察されます。その作品群は、卓越した画力でまさに幻覚を絵にしたものであると感じられます。無意識と強力な作為(エゴ)のミックスがダリの絵からは感じられます。
日本国内では、横尾忠則画伯の作品の中にヴィジョナリーを感じることが出来ます。横尾画伯の絵画には、死後の世界(冥界、霊界)の描写が多く含まれており、これは彼自身の霊能者的な体質によって受信されたヴィジョンをモチーフとしたものだと思われます。
横尾画伯は、それを現代美術的な手法とミックスして独創的な芸術作品として完成させることができる類希な才能を持った存在と言えます。
*中島修一氏について話していただけますか?

ヴィジョナリーアートという分野がまだ新しいので、彼の名を知る人はまだ少ないと思います。18歳の時に体験した神秘体験をきっかけにして、幻視者としての能力に目覚めた中島氏は、まずそのヴィジョナリーをアパレルデザインの現場で発揮します。降り注ぐヴィジョンやアイデアの閃きをデザインとして活かして、1987年に独創的なアパレルブランドを設立し、一世を風靡します。その後、内面から突き上げてくるような創作意欲に任せて絵画制作に没頭し始めると、その作品は国内屈指の密教図像学の権威である正木晃氏の眼に留まり、アカデミックな注目を受け始めます。1994年には、作品に描かれた世界と密教図像との関連性が認められて、空海が開いた真言密教の総本山、高野山金剛峰寺壇上伽藍根本大塔内で前代未聞の個展を成功させます。
創作を続ける過程で彼は、ヴィジョナリーアートの製作には、その根本となるヴィジョンを如何にして獲得するか?また、如何にして更に高次元のヴィジョンに到達するか?が重要であることに気付きます。そこで、アトリエを人里離れた自然の中に移しますが、それはエコロジカルな感性を呼び起こし、そのヴィジョナリーを示唆するメッセージを小説として出版し、多くの若者達の魂を奮い立たせました。
真のヴィジョナリーアーティストを観察すると、彼らには先見の明が備わっている場合も多いのです。感動に値するヴィジョンを見ることが出来る能力は、同時に様々な形而上学的な閃きを得る場合も多い。また、ビジネスに活用できる閃きを受けることもある。
実際、中島氏をメンターとして、アドバイスを求める経営者やスポーツマンがよくアトリエを訪れて来ます。
ところで、アウトサイダーアートと呼ばれる分野に、精神異常者による無意識の領域から持ち帰った生の表現を目にすることがあります。そこには、強烈なエネルギーを感じるものもありますが、そのエネルギーは多くの場合、不安定で方向性は不明です。もちろん、ヴィジョンとは、明るい方向性を持つものとは限らず、不安や怒り、暗闇など、集合的無意識の領域に渦巻くネガティブな面を捉えることもあるでしょう。しかし、私自身が心酔するヴィジョナリーアーティストとしての目指すべき道は、ネガティブなものを引き寄せることなく、眩く輝く高次元の光を受信する意識のレベルに到達し、それをアートとして公開することによって、人々の魂を癒し、清め、進化させるという意志をもった情熱ある生き方です。
ポジティヴで快活な社会生活のバランスを保ったまま、幻視者としての能力を駆使して、常に前向きなメッセージを発信する中島氏のような存在は、非常に希だと思います。
2020年 東京オリンピック エンブレムの審査員であった松井 冬子は幻想的で伝統的な画風で現代美術メディアでも広く知られる画家であり、幻想画家が国内ではアングラではないことの証左となっています。


日本人アーティスト、オノ ヨーコと ヴィジョナリー アートの巨匠 エルンスト フックスとの2013年における接触が何を意味しているのかが気になっていました。動画は削除されたようですが、現代美術と非現代美術との融合を日本人現代アーティスト、 オノ ヨーコが仲立ちをしたという点において、芸術界を支配する国際的実力者の意向を汲み取ることができるのかもしれせん。
http://www.klasan.com/veranstaltungen/yoko/?L=1
オノ ヨーコとエルンスト フックスの動画は生き残っていました。


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