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戦史研究室コミュの【独ソ戦】東部戦線について【大祖国戦争】

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1941年6月22日午前3時から始まった独ソ戦は、史上最大規模の陸戦であり、また、史上最悪の死傷者を記録した、戦史を語る上で避けては通れない出来事です。


このトピでは、その独ソ戦を題として皆様の考え、知識を思う存分、語って頂きたいです。

コメント(244)

201を補足、訂正

誤 その翌年もCSIRは赤軍と激戦を繰り広げていますが

203に書き込んだように、42年5月1日にはARMIRに拡大していますので、
正 その翌年もCSIR(42年5月1日にARMIRに拡大。CSIRはその一部の第35軍団となった)は赤軍と激戦を繰り広げていますが

と、補足、訂正させて頂きます。
>>199、200,201

大変勉強になりました。有り難うございました。
さて、独ソ戦の大きな流れはるーでる@柏葉さんに任せるとして、ちょっと余談を。

WW1後、各国は総力戦の意義を確認し、WW2は総力戦で戦われたといわれていますが、実際はどうだったのでしょう。
総力戦を否定し、あくまで限定戦の枠組みで戦おうととしたのが他ならぬヒトラーです。彼はWW1で女性まで動員し、崩壊した経験から、戦争末期まで女性動員を避けてとおしました。その代わり、不足する労働力を捕虜でまかなおうとしました。ヒトラーのユダヤ人や、捕虜となったスラブ民族の強制労働はそうした面からも考察しなければならないでしょう。
東部戦線も1942の夏季攻勢までは電撃戦によえう短期決戦で勝敗をつけようとした節が見られますね。

これと対照的なのがイギリスで、戦争開始直後から女性動員、学童疎開などをすすめています。もっとも、それに伴う弊害もすさまじいのですが。特に学童疎開における幼児虐待の例は日本でも数少ないくらい・・

結局、総力戦、総力戦と口では言えても、実際にそれを実行できるのは充分な国力を持った国だけだという証明なのでしょうか。

以上、雑談でした。
>207

第2次大戦下のドイツ第3帝国において、国民経済が完全に戦時体制に切り替わったのは
大戦末期の1944年になってからのこと!

ドイツの軍需生産額が最高潮に達したのは(激しい空襲にも拘わらず)1944年9月だと
いわれている。

厳しい戦時統制経済下で戦われた第1次世界大戦とは違って、
第2次大戦のドイツでは、(戦運が完全に傾くまでは)平時の趣きを残しながら
戦っていました。。
>16 かず色さん
>小学校時代(約30年前)の事です。田宮模型の米軍戦車(シャーマン?)を使った「クルスク大戦車戦」のディオラマ写真を、専門誌か或いはタミヤニュースで見た記憶があります。ああいった事実は実際にあったのでしょうかね。

遅レスですが、買ったはいいけど読む時間がなくて放置していた箱からクルスク関連の本を発掘してざっと読んでみましたがクルスク戦だとM3リ−/グラントはいますがM4はいないようです

M3は「7人兄弟の棺桶」といわれたように評判は悪かったようですが・・・あとはチャ−チル、ヴァレンタインとわずかながら残ったマチルダ2型あたりがいくつかの戦車旅団で使用されたようですね

1945年初頭のブタペスト攻防戦の頃なら第1親衛機械化軍団がM4を運用しているようです

1945年1月1日
第1親衛機械化軍団
M4A2シェ−ルマン(シャ−マン)184両
1945年2月1日以降
第1親衛機械化軍団
M4A2シェ−ルマン(シャ−マン)47両
(数値は「バラトン湖の戦い」P84図表より)

http://www.amazon.co.jp/%E5%86%99%E7%9C%9F%E9%9B%86-%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3%E6%B9%96%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84%E2%80%95%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%BB%8D%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%88%A6%E8%BB%8A%E6%88%A61945%E5%B9%B41%E6%9C%88~3%E6%9C%88-M-%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3/dp/4499227194

>IKKI様

 トピズレになるかと思いますが、Amazonのリンクはこの形でも張ることができますです。%などの部分が、実はカットできると言うことで…。

http://www.amazon.co.jp/dp/4499227194
IKKI(ASDIC)さんへ

43年1月には東部戦線への配備が始まっていたので、M4もクルスクにいたと思い込んでました。

訂正、有り難う御座いました。
217に自己レス

>43年1月には東部戦線への

これはM4A2の事です。
>215 IKKIさん

情報ありがとうございます。
クルスクではM4は使用されていなかったとの事、長年の疑問が解消しました。
>216 ていとくさん

ご教示いただきありがとうございます。早速次回より使わせていただきます

>217 る-でる@柏葉さん

ソ−スは「クルスクの戦い―戦場写真集 南部戦区1943年7月」だけですからもし他の本に使用されていたという話があればご教示いただけたら助かります。
私もどちらかといえば東部戦線は苦手な分野ですので・・・
http://www.amazon.co.jp/4499228336

判断の基礎となったソ−スをP59-60より引用(注釈15も()に追記)
--------------------------------------------------
すべてのソ連軍戦車旅団がT-34かKV戦車のバリエ−ションを装備していたわけではなかった。いくつかはまだT-70のような能力の劣る車両を装備していた。ツィタデレ作戦開始時までに、ソ連はおよそ6000両のアメリカ、イギリス、カナダ製の装甲車両を受け取った。これらレンドリ−ス車両は高い損失を被ったが、これによってソ連軍は256個のうちの61個の戦車旅団を、部分的にまたは完全にリ−あるいはヴァレンタインで編成することができた(ひとたび工場を出てからそれが前線で破壊されるまでのT-34の寿命は、平均して7日間であった。おそらくグラントあるいはヴァレンタインの運用寿命も似たようなものであったろう)

わずかな数のチャ−チルとスチュア−ト、そしてほとんど信じがたいことだがマチルダ?もソ連軍の保有リストに入っている。これらの車両のほとんどは、ツィタデレ作戦防御の第一線に配備され、そして破壊された。彼らはある種の「大砲の餌」として使用され、T-34のようなもっといい戦車は、ドイツ戦車やドイツ対戦車砲を確認し、効率的に戦う事ができた。犠牲となったグラントの乗員は、ほとんど間違いなく彼らの任務を彼らの任務を教えられていなかっただろう。これらの車両には「鉄の棺桶」という、適切な用語が与えられていた。
--------------------------------------------------------------

>223
dpまで消してましたね・・・訂正・・・

http://www.amazon.co.jp/dp/4499228336
IKKI(ASDIC)さんへ

私もIKKI(ASDIC)さんの御指摘の後、手持ちの資料とサイトを再度、チェックしましたが、M4をリストに加えている資料、サイトは(私が見た範囲では)ありませんでした
私自身、資料はチェック済みだったのですが、先述したように、M4の配備時期、レンドリースでソ連に渡された量からクルスクにもあったものと思い込んでいました。

ですから、IKKI(ASDIC)さんの御指摘が正しいものと思われます。

訂正、有り難う御座いました。

かず色さん並びに皆様へ

勿論、意図してではありませんが、思い込みから偽の情報を宣伝してしまい、真に申し訳ありませんでした。

>>223
IKKIさん

戦車戦の様子が見えてきました、有り難うございます。
>226 るーでる@柏葉さん

いえ、そのようなつもりではなく余計なお気を使わせてしまったのなら申し訳ありません。専門書は高いですからこうやって必要な情報をそれぞれ本を持っている人が引用して情報交換できればいいなぁと個人的に思っているだけですし・・・例えば「愛国丸」の時の情報交換はご存知でしょうか?あれは皆様のご協力のおかげでそれだけで一つのスト−リ-になっていましたしものすごく面白くて知的興奮をいたしました。あんな感じでまた楽しめないかなぁというものが根底にあるのでただそれだけなのです。

勘違いなどは私もよくしますのでもし勘違いがありましたら平にご容赦を・・・
といいますか引用でも「彼らの任務を」を本を見直しながら打っていたので二回も打ってますし、私はおっちょこちょいなので間違いがあればご指摘いただけたらうれしく思います

お互いに面白い情報を交換できたら楽しいですよね

>227 亜斗州さん

喜んでいただけたようで私もうれしいです
>自己レス

さっそくやってしまいましたw
「愛国丸」じゃなくて「博愛丸」ですね・・・
まだ頭が寝ているらしい・・・

すいません
>226 るーでるさん

いつも有意義且つ貴重な情報を頂いておりますので、貴方には本当に感謝しております。
>柳先生さん

どちらかといえばわりと上層部や政治系のお話が多いのでそっち系はちょっと苦手なので勉強させていただいている次第です。資料の提示いつもありがとうございます。

最近出た本はソ連崩壊後の新資料を基にしていますから面白いですよね。いつだったか大学時代に戦史から離れていたので東部戦線の研究進展については浦島太郎だったので柳先生さんにポロホロフカについて教えてもらった事は良く覚えておりますw。まぁそれからとりあえずある程度資料をそろえてみたのですが今度はじっくり読む時間がなくて・・・まだまだですねぇ
「萌えよ!戦車学校4型」(イカロス出版)を読んでいます。
タイトルだけでみると読む価値なしの駄本みたいですが、なかなかどうして奥の深い本ですよ。

この本の中で、アメリカの武器貸与法についてのコラムがあるのですが、武器貸与法にもとづいてソ連はアメリカから大量の物資援助を受けましたが、これは無料ではなく有料でした。そして、ソ連は冷戦中も借金をアメリカに払い続け、返済終了は冷戦終結間際だったそうです。もっともソ連も半額近くまで値切ったそうですが。ソ連崩壊の一因はアメリカへの借金返済もあったかもしれません。

一方、中国はどうなっているんでしょうね。負債の支払い義務は中共か台湾か。筋で言えば台湾政府なんでしょうが。まとも支払ったとは思えませんが。
>>[239]
・・・・。
なにかこー、世界中でナショナリズムが蔓延しているのでしょうかね?
ネットの時代になり、情報は世界を秒速で駆け巡ると言うのに、結局ヒトはそこに退行してしまうのでしょうかね?残念です。
立石洋子著『国民統合と歴史学 スターリン期ソ連における「国民史」論争』という本によるとソ連による「愛国主義・伝統回帰」は戦前から徐々になされていたものであって、例えばバルト3国併合の時にそれに歴史的正統性を付与する文脈でイヴァン4世のリヴォニア戦争を持ち出したりしていたそうです。

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