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Bernard Tschumiコミュの建築と腐敗

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 Tschumiは近代建築家が考え方を次のようにまとめる。

若い生命と真っ当な死、これが建築の秩序だった。
p.74 建築と断絶

「死に対する苦悩は、腐敗段階だけに関わるものなのだ。なぜなら白骨は、腐る肉のもつ耐え難い側面を持っていないからだ。建築はこうした深い気持ちを反映した」
p.74-75

 ル・コルビジェに代表される(白い)抽象的な形態が作り出す世界は「生の否定」だったのだと言い切る。もちろん、コルビジェが考えていたスロープなどを使った「運動」を建築へと取り入れようとしていたことには関心を寄せていたようであるので、近代建築の全てを否定しているわけではない事は明らかである(「建築と暴力」の章において儀式化された行為と管理による暴力の問題に触れてはいるが)。続けてサヴォア邸を取り上げるなどして

著者の私見では、―もちろん主観的な意見だがーヴィラ・サヴォイはコンクリート・ブロックから石膏が剥がれ落ちたときに、もっとも感動的だった。モダニズム運動やその支持者たちのピューリタン主義はしばしば指摘されて来たが、それが時間の経過を認めようとしない点はほとんど見過ごされて来た(ガラスや、タイルがこの運動のお好きな材料だったのもうなずけようーこれらは時間の経過を示さないからだ)。
p.77

私が主張したいのは、建築の瞬間とは、建築が同時に生でもあり死でもある瞬間、空間の体験が空間のコンセプトとなる瞬間なのだ、ということだ。建築のパラドックスにおいて建築的コンセプトと感覚的体験との矛盾は、ある一つの接点において解消される。それは腐敗の地点である。
p.77

 という事を述べている。「若い生命」とは建築が出来たその瞬間の姿を指し示し、「白骨化」とはそれが博物館の展示品のように扱われた状況を指し示しているだろう。その二つに対して「腐敗」というのはまさにその間の部分に該当する部分だと言う事はすぐに気がつく。

 では、「腐敗」の状況とはどのようなものであろうか。上でも少し述べたが「儀式化された運動」は管理の手の中にある、それは「祭り」のようなものが果たした役割についても同等である。「祭り」は神への感謝であると同時に民のうっぷんはらしの役割が強くあった。腐敗とは「新規な予期せぬこと」が起こる状態である。
 建築と断絶の中ではル・コルビジェの大工センター(ハーヴァードの視覚芸術センターのことだと思われる。)を取り上げて儀式化された運動だと言っている。これは「軌跡」としての運動だと捉えられるだろう。そのように考えればニュートン物理学と熱力学、統計力学との違いが腐敗を考える上で重要な役割を果たしてくれると考えられる。
 二つの物理学の記述するものを違いを「軌跡」(ニュートン力学)と「雲」(統計力学)と喩えることが出来る。イリヤ・ブリゴジンは著書「確実性の終焉」において「時間の矢」について述べ、それをもたらすものとして「確率」というものを挙げている。これは「偶然」とは違う。大雑把に言えば「選択肢」がある、「ゆらぎ」がある状態を指している。「軌跡」にはそのようなゆらぎを持たず、軌跡上では過去,現在、未来の違いに大した意味はない。ある点から未来も過去も予測出来る時間の可逆性を持った世界である。逆に、「雲」の状況は次居る位置を現在から明確に決定出来ない、しかし過去からの連続として現在という位置からある範囲(雲)へ行くことは推測される。そのどこになるかは、ある確率によって示されるという状況である。そこでは、時間は明確に過去、現在、未来を分けられ、不可逆である。仮に未来から過去に返るには、まさに偶然の力が起こる必要がある、偶然戻る力が働く可能性があり、偶然、その確率より決定されたものが、それであった、という状況がなければならない。もはやそれは、過去というよりも、未来と考えるべきだと思われるほどに、不安定な存在である。
 Tschumiが考えた建築における時間とは、そのような不安定な存在によって得られるものだったと言えるのではないだろうか?それはラヴィレットにおいて常に変わり続けることを望んでいたことから容易に推測出来る。
 その上で、近代建築を全て否定していたわけではないことがラヴィレットから推測出来ると思う。ラヴィレットに描かれるグリッド、それはグリッドである必要性がないとTschumiは言うが、しかしあえてグリッドを選択した。このグリッドは、まさにコルビジェのドミノシステムのグリッドそのものだと言えるように思える。グリッドに並んだ柱を媒介にして成立する「自由な平面」「自由な立面」。Tschumiがラヴィレットでやろうとしたことは、コルビジェがドミノシステムで長い年月を掛けて様々な場所を通してやろうとしたことを一箇所で行なおうとする、そのようなものであったと言えるようにも思える。近代建築が描いた「自由」をよりその本質に近づける「生きた自由」を得ること、そしてそのためには「時間」の概念を「腐敗」を受け止める、「確率」を受け止める必要があると言うことをTschumiは示しているように思える。

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