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Bernard Tschumiコミュの建築と人工社会(ラヴィレット公園を出発点として)

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ラヴィレット公園とは、本来は数学者や社会学者の頭の中やコンピュータの中で行なわれる人工社会におけるマルチエージェントのやりとりを現実空間に再現したものだと、考えられるように思われる。常に不定常状態を探って、変化し続ける箱庭としての風景は、まさに遺伝的アルゴリズムのプールの中の状況や、マルチエージェントシミュレータの「空間」の中の状況に近似している。

ラヴィレットに敷かれたグリッドは人工社会のウィンドウに映るグリッドやハニカムなどのパターンにしか見えない、フォリーのことをエージェントと呼ぶところ、終わりなき差異のゲームや相互作用の彼方を目指す姿勢。公園には様々なエージェントが入り込み、それぞれが独自のシナリオ追求し、それらの相互作用の結果として「公園」というものは均衡を保つ。

なにかが定常状態にあるには、その周囲でいろんなものが動き続けていなくはならないと、誰かが言った。「ラヴィレット公園」というある一つのイメージが成立し、流通するのにもまた様々な要素の衝突の中で生まれる均衡の結果である、ということをこのプロジェクトを通して暴露したのだと思われる。

しかし、そのような挑戦的な行為も 訳者の山形浩生氏には「利用者」の欠如として、すっぱりと切られているし、デザインの手法としては認められても、建築そのものを評価する人間は必ずしも多いとは言えないのが現状である。

ラヴィレット公園が完成してから既に10年を超えてた現在において、
この建築の功罪はなにか?
この建築がその後、どのような形で展開されて来ているのか?
この設計手法が今後、展開される可能性があるのか?

改めて、考え直すにはちょうど良い時期なのではないかと思う。



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http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38468922&comm_id=1799755

(ラヴィレット公演計画案において)一つの部分は別の部分と置き換えられ、建物のプログラムは改定され、実例を挙げれば、レストランから造園センターから芸術工房へと変わる。このようにして、講演のアイデンティティは保たれる一方で、国家や体制の政治はそれぞれ独自のシナリオを追求する事が出来る。
建築と断絶 p.186-187

ラヴィレットの格子点は、別の敷地中にランダムに分布した点であってもよかったのだ、ということは述べておくべきだろう。
建築と断絶 p.189

差異を維持し、いかなる特権的体系や構成要素の優勢をも拒絶する。いずれの体系も「主体」である建築家によって決定されるのだが、それが重ね合わされたとき、主体―すなわち建築家―は消去される。建築家は、その重ね合わせを演出する事で、支配的な権威を維持し続けるのだ。
建築と断絶 p.189

この距離化は、プログラムの期待を計算ずくでずらすか、または何か媒介エージェントー建てられたものの領域と、ユーザーの要求との間で距離をもたらす存在として働く抽象的パラメーターの使用によって導入する事が出来る。ラヴィレットで使われたエージェントはフォリーのグリッドだった。
建築と断絶 p.198

プログラムは他の領域における「語り」と同じ役割を果たす。それは建築家によって再解釈され、書き直され、脱構築される事が可能だし、またそうされなくてはならないのだ。ラ・ヴィレットは、この意味で語り不全であり、プログラム不全だと言っていいいだろう。
建築と断絶 p.198

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