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昭和JAZZ研究所コミュの戦後日本ジャズ界を席巻した”松本”と””渡辺”

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「戦後日本ジャズ界を席巻した”松本”と””渡辺”」

仰々しいタイトルですが、昭和JAZZを研究する者としては基本中の基本事項です。

「わかっています、松本英彦氏と渡辺貞夫氏のことですね。」

……残念ながら、不合格です。

松本英彦氏、渡辺貞夫氏という日本のJAZZジャイアンツはもちろんですが、
他にも、昭和JAZZに大きな影響を与えた、松本姓、渡辺姓のジャズメンを紹介しましょう。


終戦直後、NHKの「ニューパシフィックアワー」から流れ出したのは、
松本伸率いる新太平洋楽団(ニューパシフィックオーケストラ)の演奏でした。
この松本伸氏は、テナーサックス奏者で、松本英彦登場以前のテナーの松本と言えば、この人のことでした。
松本伸氏は、後に、日本初のバップバンドとなる「イチバン・オクテッド」を結成しました。
このバンドには、後に秋吉敏子氏などが加入し、本格的なバップバンドとして活躍しました。

「イチバン・オクテッド」に秋吉敏子氏と同時期に加入した、若いアルト奏者に、渡辺辰郎氏がいました。
テナーで松本といえば、松本伸氏であったように、アルトの渡辺といえば、ナベサダがビッグフォアーに加入して全国的知名度を得る昭和33年頃以前までは、この渡辺辰郎氏のことでした。
渡辺辰郎氏のリーコニッツ風のクールなアルトは、評判を呼び、ジャズブームの時には、与田輝雄のシックスレモンズにも参加し、文字通りアルトの第一人者でした。

同じ渡辺でも、こちらの渡辺はスケールがでかい!
何しろマイルスより何十年も前に”帝王”の名を欲しいままにした渡辺弘!
スターダスターズという戦前・戦中派のトップジャズメンばかりを集めたオールスターバンドを率いて、昭和20年代から昭和40年代前半まで、まさに四半世紀の間、日本ジャズ界のトップに君臨しました。
ここから育ったバンドマン・歌手は数知れず、昭和37年には、当時、冷戦真っ直中のソ連に、文化使節として4ヶ月間もの公演を行っています。

同じく、同姓同名の渡辺弘。
こちらは、ピアノとアコーディオンを巧みに操る弘さんで、ダンスミュージック、タンゴの分野での第一人者。
戦後のダンス界において欠くべからざるバンドマンでした。

軍楽隊出身のトランペッターとして松本文男氏がいます。
先に紹介した与田輝雄とシックスレモンズで人気を博し、ハリージェイムス風の派手なトランペットソロは大人気でした。
後に、ミュージックメイカーズという自己のビッグバンドを結成しています。

同じく、ジャズブームの際に、活躍したのが渡辺晋氏が率いたシックスジョーズ。
松本英彦氏もこのバンド出身であり、メンバーを変えつつも、有名歌手のバックバンドとして昭和40年代まで息の長いバンドとして活動しています。
渡辺晋氏は、言うまでもなく”ナベプロ”の社長。
日本のジャズ界はもとより、日本芸能界、音楽界に残した足跡はあまりにも大きなものがありました。

昭和29年に、世間のジャズブームを傍目に横浜の伊勢佐木町の一角で繰り広げられた伝説的なジャムセッション…「モカンボ・セッション」
ここに、新人の渡辺貞夫氏も登場するわけですが、明らかに渡辺貞夫氏よりも上位に立っていたのが、コロナベこと渡辺明氏。
いち早くバップイディオムを吸収し、エンバース・ファイブという自己のコンポを率いて長くナイトクラブ等で活躍しました。
モカンボ・セッション54’でもその熱狂の様は聞くことができます。


以上、早足で、松本姓、渡辺姓のジャズメン達を挙げましたが、戦後に限ってみると、何と松本姓、渡辺姓のジャズメンが多いことか!
これから昭和JAZZを研究する人は、松本姓、渡辺姓のジャズメンだけを追っていっても、大きな流れは把握できるのではないかと思います。
ジャズの新しい切り口の一つとして、材料を提供しました。

コメント(2)

アコナベさんとスターダスターズの渡辺さん、つい混同しがちでしたが、今回の記事で解消しました。
はじめまして。詳しい解説ありがとうございます。
実は私の父は、渡辺弘とスターダスターズの最後のメンバーでした。
父からも断片的に話は聞いています。

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