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シャンカラと不二一元論コミュのバガヴァッドギーター第5章

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昨年10月にアンダー・ザ・ライト ヨガスクールから発行された
 向井田みお・著『やさしく学ぶYOGA哲学 バガヴァッドギーター』
は、ヨガスクールで使われているテキストですが、「はじめに」に「シャンカラが書いた『シャンカラバーシャ』を元に、現在世界中の多くの人々を導く スワミ・ダヤナンダ・サラスワティ先生による解釈を元に書かれています」と書かれているように、シャンカラのギーター解釈が翻訳にも反映されていて、他の翻訳と比較して読んでみると、なかなか興味深い。

例えば、第5章(2)が典型的であるが、従来の翻訳を見ると、

上村勝彦・訳 岩波文庫
「行為の放擲と行為のヨーガとは、共に至福をもたらす。しかし、その両者のうちで、行為のヨーガは行為の放擲より優れている」

鎧淳・訳 講談社学術文庫
「捨離と、行為の実修とは、両(者)、祥福に導く。されど、これなる双のうち、行為の実修は、行為の捨離にまされり」

田中嫺玉・訳
http://www.ceres.dti.ne.jp/~f-oyama/gita.html
「仕事の放棄も奉仕活動もともに人を解脱へと導く。だが、二つのうちでは奉仕活動がまさっている」

に対して、向井田みおさんの翻訳では、

「行いを放棄する生活を選んだ『サンニャーシー(出家者)』も、行いをヨーガにして生きる『カルマヨーギー(カルマヨーガを収めた人)』もどちらも同じゴール『モークシャ(自由)』へ導かれる。自由を求める方法として2つの生き方があるが、そのどちらも同じ結果へと繋がっている。しかし、『サンニャーサ(出家)』か?『カルマヨーガ(行いのヨーガ)』か?そのどちらか1つを君が選ぶとするなら、行いをして自由になる『カルマヨーガ(行いのヨーガ)』の生き方を勧めよう」

と「行為の方が優れている」と断言せずに、「勧めよう」にトーンダウンしている。

その理由は、シャンカラの思想は、知識による行為の放棄、すなわち「行為の放棄の方が優れている」とするものであるからで、きわどいロジックが展開される。

このことは向井田さんの本では、次のように解説されている。
「『カルマヨーギー』は心の中にある『ラーガ・ドヴェーシャ(好き・嫌い)』から湧く様々な思いや欲望を『ヨーガ』によって昇華させ、知識を妨げる不純な障害を取り除くことができます。『カルマヨーガ』は心を浄化する手段です。しかし、『サンニャーシー(出家)』にはこの心を浄化するための『カルマヨーガ』という手段がありません。『サンニャーサ(出家)』の生き方を選ぶ人は、すでに心の浄化はできているということが前提だからです。・・・(途中略)・・・クリシュナはアルジュナに、『カルマヨーガ』を勧めました。この時点のアルジュナにとっては、知識を理解するための心の準備がまだ必要であることを見抜いていたからです」

「行為の放棄」が優れているのだが、その段階に至ってないものには「行為のヨーガ」を勧めるという解釈です。

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