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マルクス経済学(社会経済学)コミュの資本家とは誰のことですか

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資本論には唐突に「資本家」が登場するので驚きます。

資本家の定義は、資本論に出ていますか?

確かにマルクスが、資本論を書いた時代は、「資本家」については言うまでもないほど明確な共通認識があったのかもしれませんが、それにしても片手落ちの感はいなめません。

たとえば、一人親方の大工さんや左官屋さんは、資本家ですか?労働者ですか?
おそらく労働者でしょうね。

じゃ、人を雇わない個人商店の店主は、資本家ですか?労働者ですか?


現代でも、ファミリービジネスやオーナー社長の形式で、いわゆる典型的な「資本家」は存在します。
しかし、多くは資本と経営が分離しているのが現代の株式会社だと思います。
こういった株式会社形態での「資本家」は誰を言うのでしょうか。

また、会社員(労働者)でありながら、株式を持っている人(株主)は、どちら側の人間とみなすべきか。

こう考えると、資本論で言う「資本家」を、いまの(少なくとも)日本に当てはめるのは、かなり無理があるように思いますが・・・。

コメント(7)

マルクスが資本主義を否定する根拠は、
資本主義が脆弱かつ不安定で、そしてその性質上必ずや、共産主義にたどり着かねばならないものである、まったく未熟で原始的な仕組みだから、という話ですよね。

資本主義社会においては、権力はたやすく移動してしまう。
今日はブルジョアジーとして権力をふるっていたものが、明日には搾取されるプロレタリアになる。
そういう社会を容認するプロレタリアたちのことをルンペン・プロレタリアートと表現していたのも面白いと思いました。
ルンペン・プロレタリアートも、その時々のブルジョアとの闘争に巻き込まれ、一見労働者の革命に参加しているようにみえるって。。


人間の社会の成熟した形である共産主義の状態が実現したら、つまり労働者の革命が完成したときにはあらゆる階級闘争も消滅し、国家の生滅も起こり、戦争も消滅する。より完全な軍縮と世界平和が実現する。

ここまでの考え方はとても面白いです。
具体的な話をつめていけないものか、楽しみです。

どうぞよろしく☆
宇野流の定義によれば資本とは、自己増殖する価値の運動態であり、したがって資本家とはその人格的表現、すなわち生産手段と労働力を購入しそれを生産的に投下する人ということになります。
しかし金融資本(株式会社)の出現以降は、資本概念は、機能資本と株式資本に二重化し、それゆえ資本家の概念も、資本の増殖運動を担う機能資本家すなわち経営者と、資本の投下者である株式資本家すなわち所有者とに分化します。
一般にこの事態を、資本の所有と経営への分離といいます。しかもこの株式資本家は機能資本の支配を目的とする大株主と利潤の配当および株価の値上がりだけを目的とする中小株主に再分裂します。
さらに20世紀後半以降は、現実の機能資本を支配しうるような大株主はすべて法人株主となり、自然人の資本家は消滅します。また、機能資本家は株式を所有しない労働者の社内昇進によって担われ、上層ホワイトカラー労働者と機能資本家はほとんど区別できなくなります。
私はこうした現代資本主義を「資本家のいない資本主義」と命名しました。
詳しくは拙著『ポスト・マルクスの所有理論』(社会評論社)を参照ください。
>>[3]

青木さんご自身の見解ではなく一般論ということのようですが、、「資本の所有と経営への分離」というのは、かなり問題のある捉え方だと思います.

まず、自己分裂を起こす主体は、直接的には、資本ですが、その根底には労働の自己分裂があると思います.労働と資本が分離し、資本が経営と所有に分離するのですが、話はそこで終わらず、最終的には労働から経営までが、所有に対立することになによって、分離は、機能と所有の分離へと至るのです.

結局、「「所有と経営の分離」論は、分離の起点と到達の両方で、〈労働〉を忘失し、分離をその一局面に矮小化しています.
>>[1]

>資本主義が脆弱かつ不安定で、そしてその性質上必ずや、共産主義にたどり着かねばならないもの
>である、まったく未熟で原始的な仕組みだから、という話ですよね。


違うと思いますね.

資本主義が未熟で原始的だなんて、トンでもない!


寧ろ、人類史における画期的な前進が資本主義なのですよ.ところが、その偉大な成果を自ら食いつぶしてしまうという面があるのが問題なのです.

「資本の文明化作用」をマルクスは、明らかに肯定的契機として認めているのです.

その前進が、前進そのものを無意味にさせかねないほどの犠牲を伴ってしか進展しえないところが問題なのです.

それゆえ、新社会への意向は、資本主義の全否定ではなく、その積極面の継承を含んだ否定でなければならないのです.






確かに一か所にまめられているわけではないので、非常にわかりにくいですが、数か所に散らばっている記述を整理すれば、定義らしきものを析出させることは可能です。


(1)《私は決して、資本家や土地所有者の姿態をバラ色には描いていない。そしてここで諸人格が問題になるのは、ただ彼らが経済的諸カテゴリーの人格化であり、特定の階級諸関係や階級利害の担い手である限りにおいてである。》(第1版序文)


(2)《この運動[G-W−G']の意識的な担い手として、貨幣所有者は資本家になる。彼の人格、またはむしろ彼のポケットは、貨幣の出発点であり帰着点である。あの流通〔G・W・G〕の客観的内容・・価値の増殖・・は彼の主観的目的である。そして、ただ抽象的富をますます多く取得することが彼の操作の唯一の推進的動機である限り、彼は資本家として、または人格化された・・意志と意識とを与えられた・・資本として、機能するのである。》(第1部第4章)

(3)《資本家としては、彼はただ人格化された資本にすぎない。彼の魂は資本の魂である。ところが、資本は唯一の生活本能を、すなわち自己を増殖し、剰余価値を創造し、その不変部分である生産諸手段で、できる限り大きな量の剰余労働を吸収しようとする本能を、持っている。》(同第8章)

(4)《生産過程の内部では、資本は、労働に対する・・すなわち自己を発現している労働力、または労働者そのものに対する・・指揮権にまで発展した。人格化された資本である資本家は、労働者が自分の仕事を秩序正しく、ふさわしい強度で遂行するように監視する。》(同第9章)

とりあえず、これらの叙述から、すぐに見いだせる共通規定だけを抜き出しておくと、それは、「資本家とは資本の人格化である」です.それを踏まえて、以下、もう少し詳しく見ていきます.

本文中で最初に、「資本家」が出てくるのが、引用(2)です。そして、この記述が最も重要です.「貨幣所有者は資本家になる」とあります。資本家は、資本の人格化である前に貨幣の人格化であるということです.貨幣が資本としての運動をする限りで、その所持者は、資本の人格化となるのです.

しかし、《剰余価値は流通からは生じえないのであり、したがって、それが形成される場合には、流通そのものの中では目に見えない何ごとかが、流通の背後で起っているに相違ない。》《貨幣所有者自身が交換で受け取る使用価値は、労働力の現実の使用、すなわちその消費過程においてはじめて現われる。貨幣所有者は、原料その他のようなこの過程に必要なすべての物を商品市場で買い、それらに価格どおりに支払う。労働力の消費過程は、同時に、商品の生産過程であり剰余価値の生産過程である。労働力の消費は、他のどの商品の消費とも同じく、市場すなわち流通部面の外で行なわれる。》

つまり、貨幣所有者を資本家に転化せるのは、貨幣所有者が労働力商品を流通部面で見出したそのあとで、この労働力を消費することによって、貨幣に対象化されていた価値をより大きな価値へと増殖させるからに他ならないということです.この余蘊ら他人の労働力の消費による資本の自己増殖過程を自分の行う「操作の唯一の推進動機」としているような人格が資本家です.

>一人親方の大工さんや左官屋さんは、資本家ですか?労働者ですか?
>おそらく労働者でしょうね。

いいえ、違います.彼らは他人に自分労働力を売りませんから、資本の対概念である賃労働の人格化である賃銀労働者ではありません.また、人を雇わないということは、他人の労働力を消費しないのですから、資本家でもありません.労働者でも資本家でもなく、あくまでも独立手工業者です.商店主についても同じです.人を雇っていないから資本家でないし、人に雇われていないから陳儀労働者ではありません.

>株式会社形態での「資本家」は誰を言うのでしょうか。

所有資本家と機能資本家を分けて考える必要があります.所有資本家は、個々の株主です.彼らは、自分の資本(企業)を他の資本(企業)から区別し、囲い込み保護(部外者の介入を排除し独自の運動を展開ることを正当化)するという役割を果たします.

機能資本家は、株主の集合体である社団は、資本の自己増殖運動を直接指揮・管理・監督します.勿論、総株主が全員企業運営の細部に直接タッチすることはできませんから、実際の機能をいわゆる経営者層に移譲します.この機能資本家としての総株主(=遮断)からいわゆるエグゼクティヴへの機能移譲が、マルクスが問題にする「所有と機能」の分離です.

なお、所有と機能の分離については、こちら↓もご参照ください.
http://blogs.yahoo.co.jp/assocy/26585107.html
書き忘れました.マルクスは、機能資本家の消失を、彼の資本主義分析の主要な結論の一つとみなしています.

>資本論で言う「資本家」を、いまの(少なくとも)日本に当てはめるのは、
>かなり無理があるように思いますが・・・。

当然ですね.

いまの日本も何も、発達した資本主義においては、「機能資本家」は消えるというのが資本論の主張ですから、「当てはめるのは、かなり無理がある」とすれば、資本家が消えたということで、資本論が正しいということです.

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