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 タイムカード家族コミュのVOL.4

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給食の時間に小松まりあ弁当大噴火によって被災地となった僕の偏食火山灰まみれの顔面も昼休みのあいだに無事に修復をほどこされ、あとは古典・世界史という睡眠促進作用の双璧である午後の授業をうけるだけとなった。
 昼下がりの長閑な日差し。カーテンをなびかせる秋風。人々の和解なき争いの歴史と地球上にこびりつくさまざまな問題に耳をかたむけながら、僕はあっけなく眠りに落ちてしまう。コツコツとチョークで黒板を叩くコツコツコツが遠ざかってコツコツコツコツコツ……。
夢の中で、月明かりの下で泣いている幼い僕が、電信柱から飛び出してきた中年になった全裸の僕にビール瓶で頭を殴られていた。「すいません」。僕は寝言を自覚する。
 終業のチャイムをアラームがわりに起きると、若さをもてあましている閉塞感をふりはらうように大きく伸びをして僕は将棋部の部室に向かった。
「なあ、蓼科。たまには力を貸してくれよ」
 教室を出るとき田島に声をかけられた。遅れてきたギャング・エイジの桃色NEW党員である彼らはゆがんだ所属意識に基づいた妖しい放課後をすごしている。僕はその活動に興味がないわけではないけれど、将棋の地区大会がせまっているのでノルマの詰め将棋をとかなくてはならない。田島の誘いに軽く手をふって断り僕たちは下駄箱でわかれた。
 ピカレスク的虞犯少年のカレーパンみたいな残り香を嗅ぎながら、一階の廊下のいちばん東側にある、もともとは倉庫だった将棋部の部室へと入る。
 夕日を背に浴びて、マンドリンを弾く女の子。猪名川 鴉。将棋の駒のうごかしかたも知らない彼女が、今の将棋部の実質上、唯一の部員だ。
「ちわーす」
 と、体育会系のようなあいさつをする鴉。彼女は僕よりひとつ年下だけれど敬語をつかわない。でもそれがとても自然で、なにかに逆らってるでもなく下手に自分を主張するのでもなくて自分自身に素直になっているだけというしゃべりかただから、僕はそのことについては何もいわない。そもそも僕なんかに年功序列は必要ない。
 ただ、部の存続のために名前だけ貸してくれればいいとはいったものの、部室に来ても将棋にまったく興味を示さず壁に飾った狐のお面にむかってマンドリンを引き続けるのは少し勘弁してほしいところだ。
 棚から盤と駒の将棋セットをとりだして、僕はさっそく十五手詰めの問題にさしかかる。さて。これは難問だ。銀と馬に守られた敵将。おそらく持ち駒の香車がキーマンになるはずだ。
「ねーねー」
 演奏をやめた鴉が、マンドリンでこづく。
「ねーねー」
 でも僕は反応できない。呼ばれていることに気づきながらも意識は掌のなかの香車にある。ここでこうイクとこうクルからこっちにイクとみせかけてやっぱりあっちかなぁって盤上と格闘する僕。
「ねーねーねー。ねーってば。……隆之名人」
 名人、という言葉にハッとして僕はふりかえる。その呼び方は気恥ずかしいからやめてくれといっているのに、鴉はたまにその称で僕を呼ぶ。
見てみると鴉がマンドリンを持った逆の手で、藁半紙をひらひらさせていた。
「猪名川。名人は禁句だっていったじゃないか」
「だって、お世辞だってわかってるのに少し照れるところがキモ面白い」
「……もういいよ。で、なんの用?」
「これ。先生から頼まれたやつ。各部長へのアンケートとかいってた。昨日わたされてたんだけど完全忘却。今日中に提出だって」
 鴉の差し出した用紙には『汗を流す若人達の意識調査』と銘打たれていた。もちろん、将棋で汗を流すことなんて滅多にない。スポーツに力を入れている蟇中学では文化系の部活は僕の所属する将棋部以外にはないため、なにかとないがしろされることがよくある。それはまあ別にかまわないのだけれど、汗の前に“冷”と一度書いて消した跡が気になった。まちがいなく鴉の仕業だろう。
 アンケートの内容は、今の部活動は充実しているかとか部の目標は何だとか、設備の面で不満はあるかとか人間関係に問題はあるかとか、部長としての認識を問われていた。僕は問題ない人間関係なんてそれ自体がすでに問題なんじゃないかとか思いながらもさくさくと空白を埋めていった。
 裏面には、好きな言葉とか尊敬する人とか、僕個人についての質問が記載されている。僕は表側と同じように可も不可も建前も本音もとくに無さそうな言葉を選びながらシャープペンを走らせた。
 だけど、『苦手なこと』の部分に「嘘をつくこと」と書いた直後で『尊敬する人』の欄にさしかかったとき、「父親」と書こうとした僕の手は止まり、舌の根がピリピリと痛みだした。書けない。嘘を拒絶する僕の体質は、自分の精子より軽蔑している人間の名を書くことを許してくれない。
 ベストアンサーを潔くあきらめた僕は、書きかけた父という字の一画目を消して正直に「小池重明」と書いた(新宿の殺し屋と呼ばれた凄腕の将棋指しだ)。
アンケート用紙にはもう一枚、紙がくっついてあった。そこには部員全員の顔写真を貼るための枠が大きめの将棋盤みたいに描かれている。うちの中学では一ヶ月に一度、顔写真を撮って校長先生にみせなくてはいけないという校則がある。
これは校長が中学生のあどけない表情をみつめて如何わしい妄想をするため――ではなく、校長式教育理論に基づいたカリキュラムなのだ。曰く、なにかに熱中している人間は顔つきも変わってくる。その人間が正しい方向に成長しているかどうかは顔の遷移を見ればわかる、というのが持論だ。学期末には『いい顔で賞』なる授賞式すら行われる。
パシャリ。僕は部に一台ずつ支給されているポラロイドカメラで自写撮りをした。
「猪名川の分も撮ってやるよ」
出てきた写真の現像を待つあいだ、僕は鴉にカメラをむける。レンズ越しでみる鴉は苦虫を百匹ほどジューサーにかけたドロドロの液体を一気飲みしたみたいなしかめ面で、あっかんべぇをしていた。
鴉は写真を撮られるのが嫌いだ。それはもう。シャレが通らないほどに。家族にも撮影は断固お断りだし、身分を証明するための写真にすら歴史の教科書の偉い人にするみたいにマジックでグジャグジャと落書きしている。僕と鴉が出会ってからしばらく経ってちょっとキツめの冗談も笑って言い合えるようになった頃、不意をつき携帯でピロロロ〜ンと激写したら、鬼のような顔でひったくり携帯を粉々に踏み散らかしたことがある。
 そんなわけだから校長に顔写真の提出を求められても、いつも部室に飾ってある狐のお面をかぶってから撮影をする。はじめは呼び出され注意をうけていたけれど鴉は聞く耳をもたず、最後はパパラッチじみた撮影を試みた校長があやうくご自慢のライカR9を損壊させられそうになったため、しぶしぶお面の着用を認めさせた。
 なんだか僕の周りには校長の特例をうけている女の子が多い。
 だけど――、僕は思う。こんな吊り上った目と耳の狐面なんかかぶるより、二重瞼のくりくり目に出来立てのマシュマロみたいなふんわり耳をした鴉の素顔のほうがよっぽど可愛いのに。
(鴉の一瞬を永遠に変えてみたい。時を止めたい。死を禁じたい。いつもポケットに入れて持ち歩きたい)
まぁこれら愛情なのか性欲なのかよくわからない心の叫びは、本人の前ではいえないけれど。
 こんなとき、僕の舌が嘘をいうことで痛むのではなく、本音をいわないことで痛むのであれば、僕の振る舞いかたに若干の変化があったんじゃないかって考えたりする。
 とかなんとか思い巡らせて脳に運ばれていくブドウ糖を無駄使いしていると、狐面での撮影をすでに終えた鴉ができあがった写真をプリントにはりつけていた。
「じゃあこれ持ってく。アンケート用紙とへんなの」
 鴉はそういって、二枚のプリントを手に取り部室のドアへむかう。そしてドアの前で急に立ち止まると、アンケート用紙を胸の高さまであげて読み上げはじめた。
「将棋部・部長。蓼科隆之。好きな言葉は、感謝。あはは、なにこれ」
「わぁ。別に声に出さなくてもいいよ」
「ねえ、これって本気?」
「無難に答えておこうと思っただけだよ」
「ふふふっ。感謝って言葉を大切にするタイプは、なんとなく人を殺しそうだよね」
「どうだろう」
「最近不安なこと。タイムカード。……? なにこれ」
「ああ、それね」
 僕は昨日の晩、父が発案したタイムカード家族計画について説明する。むきだしの心を見せ合うことで本当の家族になれるんだと信じた男の野望を。
「……というわけでね、今日の夕御飯からはじまるんだ。僕は不安というよりちょっと面白そうとか思ってるんだけど。ただね、お姉ちゃんが嫌がってるし、それにお姉ちゃんには秘密にしておかなきゃいけないことが結構あるんだ」
 そこまで話してちらっと鴉の方をみると、なぜかニヤニヤしていた。今の話にどこか笑うところなんてあったかなと違和を感じて鴉の視線を追っていったら、窓の外で野良猫がスズメの死骸を弄んでいた。
 聞いちゃいないし。
 ふう。僕が大げさについた溜め息に、鴉の声が重なった。
「みんな、心にハート型の仮面をしているの」
 よく聞き取れなかった。いや、聞き取れたけど、意味が汲み取れなかった。
 そのまま黙って部室を出ていく鴉。去り際のセリフは詩的表現を孕んだ冗談かと思ったけれど、途中で変えた鴉の表情は笑いを期待しているようには見えなかった。すごく意味深で、哀しげで、それでいて、不吉な予感がした。
 つるべ落としの秋の日はほとんど沈んでしまって、半分暗い教室にひとりポツンと取り残された僕は相手の思考を七回も想定する気力もないまま手の中の香車だけがしっとりと汗ばんでいった。

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