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日本愛国主義コミュのホンダ、花王、明治乳業といった日本企業が反日ドラマを支援!!! タイで反日テレビドラマ

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「タイで反日テレビドラマ

裏に中国筋

十月末から親日国タイの地上波第三プログラムで始まった連続ドラマ「七人の戦士」は、対戦中のタイを舞台に暴虐、卑劣、好色、傲慢なくせに弱虫という日本軍将兵の像がこれでもかというくらいに流されている。

その上、この番組複数の日本企業の広告が出ている。

一年前から中国筋がタイの学者などを焚きつけて、日本とタイの関係史の書き換えを謀っている。

今年になって
「血塗られたサムライ」
という通俗本も出た。」
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/blog-entry-2463.html


「タイで反日歴史ドラマ
 タイのバンコクに居られる日本人の方から、タイで反日ドラマをやっているというメールをいただきました。

 いわゆる娯楽アクションドラマというやつで、日本軍が徹底的に一方的な悪役として描かれており、主人公は日本軍に対する個人的な恨み(身重の妻を殺害されたり、父親を拉致されたり)から始まり、次第にナショナリズム的思いを高揚させて反日的なテロ活動を繰り広げるというものだそうです。

−科学兵器の開発・生体実験を民間人を対象に行った。

−同実験場には有毒ガス噴射の設備も兼ね備える。

−女性を拉致、日本軍将校が酒に酔いなぐさみものに。

 と、こんな大嘘まであり、しかもホンダ・花王・日本ペイントなどなど日系企業がCMで流されているという。なんという情けないことでしょう。また、現地に居る日本人の肩身の狭い思いを考えるといたたまれません。

 youtubeを探しますとありました。


http://www.youtube.com/watch?v=8gwxT20LZcc

 役者は日本人ではありませんね。日本語が下手すぎます。支那人か韓国人でしょう。日本軍が連合軍の捕虜を銃殺しているところ、勇気あるタイ人が短銃で向かっていくところです。かなりの銃の名手のようで、無理のあるシナリオです。そして家に帰ると妻が殺されているのを発見します。

 たしかに、大東亜戦争期に「自由タイ」という抗日組織はありましたが、ひどいドラマです。しかも日本企業がスポンサーになっているとは恥知らずもいいところです。これは早速抗議です。※1

 どうもこれは中共のプロパガンダ攻撃の臭いがします。日本を排除し、タイへの影響力を強める。以前、チェンマイ在住の方からいただいた情報では、中共はメコン上流に世界一のダムを作ってメコンの流れをコントロールしているといいます。たしか、ニュースでも問題視されていたと思います。タイ・ラオスではかつて捕れた巨大なまずが今は姿を消し、流れが変わって川岸が侵食され、水産資源は枯渇し、タイ最北部のメコンの魚に頼っていた漁師は死活問題になっているそうです。中共南部からラオス、カンボジア、タイ、マレーシアを経由してシンガポールまでの鉄道施設計画を中共主導で行いますが、これは東南アジアが中共の支配下に入ることを意味します。華僑は大喜びなんだそうです。

 タイは親日なので、直ぐにどうこうはないでしょうけど、ほっておくとじわじわと中共の影響下にはいっていくでしょう。まずはこういうことが行われていることを日本国民が知ることです。テレビや新聞は報じないでしょうから、ネットで広げていきましょう。



※1 youtube書き込み情報

初期放送時7社の日本企業のCMが流れていたようですが、在タイ有志の抗議により22日放送分では3社へと減じたようです。

11月22日の時点「日産」「花王」「明治乳業」の3社は残念ながらCMを続けているようです。=>11月25日の放送では数10本のCM中で日本企業は「花王」1社でした。」
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20101204/1291449984

コメント(3)

「戦場に架ける橋」の元になった出来事は実際にあった出来事ですが、
その映画は当時敵であったイギリスが作った映画なので
意図的に日本軍を悪く描写している箇所も有る筈ですので、
その映画を見たままを事実だと認識するのは危険です。


「 泰緬鉄道建設に従事した日本軍1万人。連合軍捕虜は3万人、5 万人、5 .5万人、6万1800人、6.8 万人、7万3502人。アジア人労務者7万人、10万人、10.5 万人、3 0万人(泰緬鉄道に30万人のロウムシャ。日本軍憲兵隊通訳 永瀬隆さんのお話2005.12.10)。とまちまちである。南方各国労務者は、クワイ川たもとの説明文によると、インド人、ビルマ人、マレーシア人、インドネシア人、中国人、タイ人などである。

 この大建設作業の途中で不幸にも例年よりも早い雨季が到来した。そのため山奥の多数の現場が孤立し、食料、医薬品の供給が途絶した。そこを風土病のコレラ、悪性マラリヤが襲い、日本人、欧米人、現地労務者がバタバタ倒れた。カンチャナブリーの2ヶ所の連合軍墓地記載の死亡年月日は、1943年6月から10月の雨季がほとんどだ。工期は1942年7月5日から1943年10月25日までの1年4ヶ月。完成目前に疫病大発生しての不可抗力の病死。これが真相だ。

 「食料も医薬品も満足に与 えないで鉄道建設に酷使した捕虜は次々に倒れたのである」と沢山の死者が出たので捕虜虐待と宣伝する人がいますが、虐待すれば作業は進まないのでありえない。肉を食べたいという捕虜のために生きた牛を調達して提供したこともあったと言う。ただ日本軍人でさえ食料不足で苦しんでいたので、捕虜も苦しんだことは間違いない。

 泰緬鉄道建設に従事した日本軍病死者1千人。連合軍捕虜病死者は1 万人、1 .2 万人、遺骨収集され共同墓地に埋葬された連合軍捕虜だけで1万2487人。1万3千人、1万5 千人、1万6千人、1 万672 人、2万4490人。アジア人労務者病死者3 万人、3 万1 千人、3 万3千人(1946年裁判の検事) 、10 万人(泰緬鉄道に10万人のロウムシャの病死。日本軍憲兵隊通訳 永瀬隆さんのお話2005.12.10)。

 バターン死の行進と同じなのだ、参加労務者数と病死者の数がまちまちなのだ。日本軍はインドネシアなどから労務者を募り賃金を払って現場作業に使った。これは捕虜ではないから自由であった。途中で帰った労務者もいた。ドイツ軍やソ連軍のような労働者狩りのようなことはあり得なかった。

 カンチャナブリの郊外には、1977年に設立された戦争博物館は 「JEATH War Museum」と名付けられている。そこには次のような説明文が書かれている。「この建設にあたって連合軍の捕虜、タイ人、マレーシア、ビルマ人などたくさんの労働者が狩り出され酷使されたため栄養失調、伝染病(コレラ、マラリア)等多くの犠牲者をだした。その数は連合軍捕虜15000人、現地労働者30000人にも及んだ」

 日本(JAPAN)、英国(ENGLAND)、米国(AMERICAN)、オーストラリア (AUSTRALIA)、オランダ(HOLLAND)、タイ(THAILAND)のそれぞれの頭文字をとったもので、DEATH(死)という言葉があまりにも残酷な印象を与えるためにおきかえられた言葉だといわれている。

↓に続く、、
>2の続き、、、

 日本軍病死者1割(1 千人/ 1 万人)、連合軍捕虜(風土病に対して抵抗力弱い)病死者2割(1万3千人/ 7 万人)(プロパガンダは15000人)。
 現地人労務者は、風土病に対して強い耐性があるので今がある。欧米人や、日本人のように弱くは無い。現地人労務者の病死者は日本人より強いので少ないと考えるのが妥当だ。そして現地人労務者は最盛期10万人(工事開始時が最大人数で、鉄道隊と捕虜で間に合う時点では、給料と食費がかかるので皆帰省させた)で、風土病蔓延期(連合軍墓地記載の死亡年月日は、1943年6月から10月の雨季)は仕上げの微調整段階なので、少なかったはずだ。日本軍死者1千人、捕虜死者1万3千人にもかかわらず工期遅れの記録も無い、工事人員は十分に足りていたと、想像出来る。結果この時期の現地人労務者は皆無。
 「現地労働者の犠牲者は30000人にも及んだ」プロパガンダでさえこの人数である。暴動の記録が皆無なので、現地労働者の死者はほとんど無く、役目を終え、風土病蔓延期以前に帰省した。結果5年かかる仕事をわずか16ヶ月の短期間で開通した。現地労働者の協力以外工期短縮の術は無い。プロパガンダ5万人〜20万人犠牲者では仕事にならない。わずか16ヶ月の短期間での開通は、主力の現地労働者の健康状態を証明している。主力の現地労働者が皆健康だったから、短期間で開通出来たのだ。食費のかかる労務者は役目を終えると給料を払いすみやかに皆帰省させた。残った日本鉄道隊1万人と、捕虜7万人だけが風土病蔓延期に遭遇し、鉄道隊一千人、捕虜1万3千人の病死者が出た。労務者は既に帰省し居なかったので病死者無し。これが戦後の労務者の犠牲者数、3万人〜10万人の起因となった。つまり帰省したものを犠牲者と数えて捏造で犠牲者数を1/3にしたのだ。
 鉄道第九連隊資料・泰緬鉄道の史実、鉄道隊大隊長元陸軍少佐菅野廉一も「死者は日本軍人1千人(1万人の1割)、欧米人1万2千人(7万人の2割弱)、現地人多数となりました(石田英熊証言1万人)(1946年の軍事裁判検事でさえ3万3千人)」とあるのみ。捕虜の死亡率が高いのは、虐待死ではなく、風土病に対して、もっとも耐性が弱かったからだ。不可抗力の死で、偽善者永瀬隆の捏造証言、虐待死犠牲者ではない。捕虜虐待死論などは論外、捕虜は大本営から鉄道隊が借りた、大事な戦力なのだ。

 泰緬鉄道建設後日本本土に輸送された一部の白人捕虜は途中で輸送船が米国の潜水艦に撃沈され二千名が死亡した。米国は「阿波丸事件」のように国際協定で緑十字の印をつけた船でも撃沈していた。

 クワイ川鉄橋から歩いて10分のところに、戦前日本軍によって建てられた慰霊碑がある。「泰緬旬連接鉄道建設間不幸病ヲ得テ斃レタル南方各国労務者及俘虜ノ為此ノ碑ヲ建テ恭シク其ノ霊ヲ慰ム 昭和19年2月 日本軍鉄道隊」戦前日本軍は現地カンチャナブリとビルマ側のタンビュザヤに日本軍人除き、犠牲者全員の慰霊塔を建立した。日本軍人は靖国神社に祀られた。泰緬鉄道工事で命を落とされたすべての人々を祀る慰霊塔で日本語の他に、英語、マレー語、タルミ語、ベトナム語などが碑文に刻まれている。

 日本人も現地労務者も、犠牲者がでると、念仏を書いた丸木一本だけ立てられた土まんじゅうの墓に埋葬。

 日本軍は木の十字架をたて、捕虜の遺体はそれぞれ一斗缶と共に埋葬し、その中に当時の日本軍の隊長、捕虜係の名前とともに死因等を詳しく書いたメモが添えられた。連合軍は捕虜の墓を探して遺骨を収集し、タイのカンチャナブリおよびビルマのタンビュザヤに大墓地を作った。メモを基にして、2ヶ所の連合軍墓地に埋葬されているひとつひとつの墓に氏名、所属部隊、死亡年月日、年齢が添えられた。

 連合軍は日本軍の各地の墓地を破壊した。ここが日本人と欧米人の慰霊感覚の違うところだ。ただ日本軍人の霊は靖国神社にお祀りされている。

 戦争が終わると、英軍が鉄道を接収し、建設した日本軍人を戦争犯罪人として逮捕した。泰緬鉄道全体で有罪の先刻を受けた人111人、死刑は32人にのぼった。そして捕虜収容所の関係者が多数虐待され処刑された。鉄道隊の人も処刑された。報復だった。

 ビルマ側は戦後の占領期に英軍が破壊した。ビルマ独立後も再建されていない。タイ側の鉄道は一部(130Km)が観光や生活に利用され、この大プロジェクトの資料館「泰緬鉄道センター」が作られて多くの観光客が訪れている。泰緬鉄道の史実

 

映画「戦場に架ける橋」は仏人ピエール・プールの創作で史実ではない」
http://sinzitusikan.iza.ne.jp/blog/entry/304242/

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