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田母神俊雄元航空幕僚長支持!コミュの日本の良さとは何か?

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このトピでは気持を明るくしていくような日本人の美徳や長所、そして日本の文化・文明について考えていければと思います。

田母神氏も仰っています。「日本は古い歴史と優れた伝統を持つすばらしい国なのだ」と。

その具体的な中身について、個人的な感想や体験はもちろん、様々な文献からの引用や転載、動画等提示していきながら、情報を共有化し認識を深めてまいりましょう。


で、最新の週刊新潮に高山正之氏がちょうどこのトピに合った文章を書いていらっしゃるので貼らせていただきます。

【ユニーク日本】■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



ザビエルは日本人を観察して「異教徒の中では将来最も有望で、教養がある」と報告した。しかしどんな布教に努めても日本人の心を掴めなかった。彼は「日本人を理解するのを断念」した。

彼のあとにイエズス会日本布教長になったアレサンドロ・バリグナーノも「日本はすべて裏返しの世界だった。日本人に我々と似ているところは何一つなかった」と結論した。

大正期に日本で育ち近衛文麿と遊んだこともある英軍人C.パケナムも「ジャップは絶対的にユニークな国家だ。世界のいかなる国とも違う」(ジョン・ダワー『人種偏見』)とバリグナーノの日本・裏返し論を裏書きした。

先の戦争のおりの駐日英大使だったロバート・クレーギーも「日本で生活すればするほど彼らが不可解になる」と語る。

どこがどう違うのか。ロサンゼルス・タイムズ東京特派員サム・ジェムスンが阪神大震災の現場で「ここが違う」と指摘した。

通信は途絶し、警察機能も失われた混乱の中で「山口組が彼らのアジトの前で炊き出しをして被災民に配っていた」と。

こういう状況でよその国の人々の行動は決まっている。例えばアフガンだ。

ここを支配するイスラム原理主義集団タリバンは民に高いモラルを求めた。それに背いて強姦をしたら死罪、泥棒したら左手首と右足首を切り落とした。9・11のあと米国がタリバンを崩壊させると、今まで家の奥に引っ込んでいた人々は笑顔を取り戻して政府施設から商店街まで好きに略奪した。米軍はそれを温かく見守った。

クリントンの主宰するWTO閣僚会議がシアトルで開かれた折、数万のNGOが抗議に詰めかけた。警察が各国要人の警護にかまけて市内の警備が手薄になると、NGOメンバーは商店街を軒並み略奪した。

「折があれば略奪する」はアフガン人も米国人も共通した認識だ。だから震災という略奪の好機を山口組が見逃すことが信じられないのだ。

戦争は略奪を国家規模にしたものだ。イスラムは戦争を認め、略奪品の分配だけは公正にせよと教える。

キリスト教も同じ。北清事変の折、日本軍の奮闘で北京が平静を取り戻したあとドイツ軍司令官ワルデルゼーは「三日間に限って兵士に略奪を認めた」と独皇帝に書き送っている。

無制限でなく三日間に区切ったことが文明人の証しだと思っているようだ。

サダム・フセインを倒した「イラクの自由」作戦は約三週間で終わった。無警察状態のバクダッドでは「数千の市民が国立博物館に押し入りシュメールの文化財など数千点を奪った」とニューヨーク・タイムズが報じた。

正確に言うと略奪したのは市民のほかに戦争勝利者である米兵と米ジャーナリストも含まれ、盗品の大方は米国の幾つかの空港で回収されている。

マレー上陸作戦の朝、山下奉文司令官は「軍風紀を緊粛し『焼くな、奪うな、犯すな』を厳守すべし。従わざる者は処断し、上官もその責任を問う」と訓示した。よその国ならこれだけで兵が暴動を起こす。

アダム・スミスもケインズも需要と供給が経済の根本だと考えた。需要が大きく供給が小さければ、うんと儲かると。

中越地震の折、被災地は道路が落ち、生活物資もこと欠いた。そんなとき震源に近いスーパーが野菜や惣菜、缶詰など二千円相当の詰め合わせを一袋四百円で店頭に並べた。売れるほど赤字になる。

「でも苦しいときはお互いさまですから」

供給が小さいとき、値下げして商売する。よその国では真理になるケインズ理論も日本では単にあくどい商法に見られる。

そんな日本の鳩山政権は二億ドルのスパコン開発費を出し惜しんだ。その一方で排出削減にそっぽを向く支那の温暖化対策のために百五十億ドルを出しますと約束した。

これはユニークとは言わない。単に馬鹿と言う。


コメント(191)


■敵国ロシア兵が称賛した日本女性の美しさ

ハーバート・G・ポンティングというイギリス人写真家は、とりわけ日本の女性に魅了されました。一つは日露戦争の最中の松山捕虜収容所の病院の看護婦さんの話です。彼は日本の看護婦さんが献身的で非常に優しい。敵国ロシア兵が日本の看護婦にメロメロになっている、と書いています。

「松山で、ロシア兵たちは優しい日本の看護婦に限りない称賛を捧げた。寝たきりの患者が可愛らしい守護天使の動作一つ一つを目で追う様子は、明瞭で単純な事実を物語っていた。何人かの勇士が病床を離れるまでに、彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼の胸に突き刺さっていたのである」
「日本の女性は賢く、強く、自立心があり、しかも優しく、憐れみ深く、親切で、言い換えれば、寛容と優しさと慈悲心を備えた救いの女神そのものである」(『英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本』講談社学術文庫)

これは最高の賛辞です。皮肉を言えば、ロシア兵に対する日本の厚遇は、第二次大戦後に強制されたシベリア抑留と格段の違いです。日本はこれだけ厚遇しているのです。

ポンディングはこんなことも書いています。一部を要約してみます。

日本は「婦人たちが大きな力をもってい」る国。婦人が支配しているのは家庭と宿屋。外国人は食事が口に合うわけでもないのに、外国式ホテルではなく日本風の旅館に泊まりたがる。「それは日本の家に一歩踏み入れば、そこに婦人の優雅な支配力が感じられるからである」。家庭では「彼女は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているように見えないところまで支配しているが、それを極めて巧妙に行っているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている。そして、可愛らしい妻が実際にはしっかり方向を定めていて、彼女が導くままに従っているだけなのを知らないのだ」(同右)

日本の夫婦関係、男女関係を非常に正確に見ています。これを読んだ男性は、思わず苦笑してしまうのではないでしょうか。現在のどこの家でも、たいていはこうだと思います。変わっていません。日本人にとっては当たり前の光景ですが、外国人が客観的に見て対比すると、このような分析になるわけです。

また、明治八年、フランス海軍士官のディユバールという人物は大阪から京都の伏見まで船に乗ってこんな経験をしたといいます。

小型のスチームボートで機関の調子が悪いらしく、凄まじい音が続きます。最後には大音響がとどろき、船体がぞっとするほど揺れますが、その調子に故障が直ったらしく、あとは順調に進みました。「この騒ぎのあいだ、私は同行者の様子をずっと観察していた。とくにご婦人や娘さんの表情には注意を怠らなかったが、彼女らは眉ひとつ動かさなかった。フランスの女性ならこんなとき、現実、非現実を問わず、どんなに些細な危険にも、かならず不快で有害な金切り声を上げるものだが、同乗した日本女性の小さな口から、つい一言もその種の声は洩れなかった」。

デュバールはこんな話も紹介しています。

あるとき、彼は日本の政府高官の屋敷に招かれ、宿泊します。隣室は高官夫人の部屋でしたが、夜中その部屋で何人かの足音や話し声がしました。翌朝、彼は主人から「昨夜はお耳障りだったでしょう。家内が男の子を産んだのです」と聞かされます。

彼は「足音や小声はたしかに聞えましたが、つらそうなお声のようなものには、まったく気づきませんでした」と答えながら、信じられない気分でした。

夫人に会ってその勇気を賞賛すると、彼女は言下に答えます。

「このようなときに声を立てる女はバカです」。

彼は感動します。日本女性の自制と沈着さに胸を打たれたのです(渡辺京二『逝きし世の面影』平凡ライブラリー)。

日本人なら特に気にとめないような日常的な事柄であっても、外国人には日本人がいかに道徳性が高い民族なのかということを象徴的に物語る出来事になっているようです。
【カラーフィルム】

http://www.frablo.jp/2012/01/30/1930s-japan-color-film/

立ち居振る舞が美しい戦前の日本。貴重な映像です。
少々長くなりますが、芥川龍之介の『神々の微笑』から引用します。

『 幾ら教會堂が建てられ信徒の數が増えようと、それは表層的な現象に過ぎず、どうも日本といふ國には眞の意味でのクリスト教化を阻む「何か不思議な力」がある、さう感じながらもその正體が掴めず、オルガンテイノは漠たる憂鬱に襲はれるのである。

そして、「岩屋の戸らしい一枚岩」の前で「愉快さうに笑ひ興じ」る古代日本の「神神」と思しき一群の幻を見て「失心」したりするのだが、その翌日、「頸に玉を卷いた老人」が何處からともなく現れ、「微笑」を浮べながら、自分は「この國の靈の一人」だと稱して不氣味な豫言を行ふ。
「しかし泥烏須もこの國へ來ては、きつと最後には負けてしまひますよ。」

 老人の言ひ分はかうである。
日本には孔子、孟子、莊子など「支那の哲人たち」の教へや「支那の文字」を始めとする樣々な文物が入つて來たが、それらは總て日本風に變改されてしまつた。
また「佛陀の運命も同樣」であつて、「本地埀迹の教」に明らかな如く、佛菩薩も結局のところ吾國の神と同體であるとて神佛習合が進んだ。
實際「この國の土人」たちは「大日如來」の姿に「印度佛の面影よりも、大日?貴[おほひるめむち]」すなはち天照大神の面影を見てゐる。
事程左樣に「我我の力と云ふのは、破壞する力ではありません。造り變へる力なのです」。
さういふ思想風土に於ては、「事によると泥烏須自身も、此の國の土人に變るでせう。
支那や印度も變つたのです。
西洋も變らなければなりません。
我我は木木の中にもゐます。
淺い水の流れにもゐます。
薔薇の花を渡る風にもゐます。
寺の壁に殘る夕明りにもゐます。
何處にでも、又何時でもゐます。
御氣をつけなさい。御氣をつけなさい。」 』


日本の力とは、芥川が述べるように「造り變へる力」なのかもしれません。
> yama@TPP絶対反対!さん

教えて頂いた映像が素晴らしいので、私のホームでも紹介させていただきますm(_ _)m
>Oh Yeah!健三郎さん


こちらこそ芥川龍之介の奥深い文章のご紹介ありがとうございます。m(_ _)m



「造り變へる力」

良いですねぇ。「破壊」や「否定」ではなく、「再構築」「創造性」そして「連続性と絶え間ない変化」をその特徴とする日本文化の根源を言い当てた言葉のように感じました。


また良い文章などございましたら教えてください。m(_ _)m

世界中の砲丸投げ選手が愛用する砲丸も日本の中小企業が一個一個精神を集中して手作りしている製品だそうだ。


拓殖大学の橋本久義教授は、通産省時代から、中小企業や町工場を3000件以上訪問し、日本の「ものづくり」の現場に精通している。

その橋本教授が「中小企業は日本の誇り」だとおっしゃっている。
なお、同じく拓殖大学の野村進教授によれば、日本には千年以上続いている老舗が7社もあるそうだ。

200年以上の老舗になると二万二千軒を越える由。
200年以上の老舗の数は、ドイツで八百軒だそうだ。

さらに野村教授の研究によれば、侵略や内戦の期間が長ければ長いほど、老舗は少なくなってしまうことを発見されたそうだ。

ちなみに200年以上続いている老舗がチャイナでは九軒しかないのに、たかだか建国二百数十年のアメリカには十四軒あるというのだ。

以上の事実から、わが国の伝統文化に根差した「ものづくり」の心と技は世界に誇れるものだと考えている。

このところどうも自信喪失気味の日本人は我々の良い所にもっと目を向けて自信を回復したらどうかと思う。

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これもマイミクさんの日記から。
http://page.mixi.jp/run_page_apps.pl?appParams=%7B%22q%22%3A%22view_diary%22%2C%22diary_id%22%3A%22295888%22%7D&module_id=121874&page_id=23161&from=home_information_feed【西洋を驚かせた昔の日本】

↑一読の価値ある日記です。これは凄い!
日本人の良さは桜の散り際といいますように潔く身を引くところが美徳であると思います。本田宗

一郎さんは老人が重役を占めることを「老害」とおっしゃっておられたそうです。今の政治家や官

僚は引退を考えず利権に執着している人間が多いのではないでしょうか?彼らにはそれでも日本人

か!と問いただしたくなります。

英霊の言の葉

http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?id=67868830&comm_id=4661358&

泣けます涙
> yama@TPP絶対反対!さん

捕虜になった敵兵を,条約通り守ったのは,実は日本軍が一番だったとか…。


武士道が生きていた時代ですかね…
>カルソニック@ZBTさん



お返事遅くなりすみません。

>捕虜になった敵兵を,条約通り守ったのは,実は日本軍が一番だったとか…。
武士道が生きていた時代ですかね…

そうですね。大東亜戦争中も敵兵である英国の兵士を助けたり、多くの美談がある日本軍ですからね。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid573.html

もちろん今でも潜在的にある日本人の善良さ、優秀さに私は全く疑いを差し挟みません。

しかし、日教組の道徳教育否定による悪影響は、過去の日本人に関する記述を知るにつけ深く憂慮するのは、日本を愛する者なら自然ですよね。

参考までに日露戦争当時、アメリカ人婦人によって書かれた著作の一部を転載させていただきます。

ワシントン・ポトマック湖畔の桜の植樹を発案したエリザ・シドモア婦人。

親日家で日本人の友人も多く、頻繁に訪日されていた女史。

彼女が書いた日記風物語に、日露戦争当時の日本にいたロシア兵捕虜の様子を、ロシア人側から観た『日露戦争下の日本―ハーグ条約の命ずるままに ロシア軍人捕虜の妻の日記』 (エリザ・R. シドモア)というものがあります。

満州で捕虜になった夫を追って四国・松山まで来たロシア軍人捕虜の妻の視点から語られたものですが、当時のロシア人が、日本人の懇切丁寧で親切な対応に驚き、感激している様子が書かれていて非常に面白い。

人種差別意識の強い(当時の白人なら当然ですが)夫人が、日本人と接する中で意識を大きく変化していく様子(日本の文化・精神・庭園・農村・貴婦人の大立居振舞等様々なものに深く感激)が描かれています。


捕虜の夫を看病するために日本に滞在するロシア人妻。しかも安全かつ快適に暮らせていることに、ロシア兵捕虜たちは驚き、そして婦人に向かってこんなことを言います。

「日本人は僕をびっくりさせています。何故なら何時も日本人は僕に親切でしたから。僕たちは日本の負傷兵と同じように扱われてきました。僕たちが大連へ向かう列車の中でうごめいていた時、日本人は心配して本当にこう言ったのです。この負傷したロシア人はこれから先が大変だ。日本に着いてからあまり気楽になれないだろうって・・・・・。確かに鉄道の旅はこの上なくひどかった。(略)僕は殺されると思っていたのです。ところが僕は拾い上げられて、軍医のところへ運ばれた。傷の手当てを受け、食事を与えられ、団扇であおいでもらい、口に煙草をくわえさせて火までつけてくれました。こんなことを僕は全く予想していなかった!それからフランス語の通訳が来て、僕がロシア側の報告で行方不明になっているから家族が心配しないように、自費で電報を打ったらどうかと教えてくれました。僕にとって全てが不思議に思えてびっくりしています。おまけにあなた(注:ロシア軍捕虜の夫人)をここに滞在させるなんてますます驚かざるを得ません。こういう日本人はまったくわからない!僕はここへ来るまでこんな日本人の話を聞いたこともなかった」


また婦人は血の気の多い、不満を持つ捕虜にこう言い聞かせます。

「(略)ドイツの大都市マクデブルグで、ドイツ人が当時のフランス城主の老伯爵に与えた黒いパンより、ずっと上等の白パンを、日本人はこの辺鄙な小都市松山でみんなに食べさせてくれているのですよ。ハーグ条約の衣食住の規定を守るだけならば、日本側は、あなたが方捕虜を、日本政府の軍隊と全く同じ条件で処遇しても構わないのに、現に日本人はこのようにやってくれているのよ。つまり、あなた方は、ハーグ条約の規定に基づいて、魚と米と梅干と大根を食べて暮らすとしても文句は言えないの。アメリカの宣教師たちが言っていましたが、あなた方にはアメリカの最高級の小麦粉で造った良質のパンが支給されているそうです。それにスープ、肉、野菜、お茶も貰っています。一日に三回、清潔に調理された温かい食事が出て、清潔なベッドや豊富なふとん類や衣服があてがわれ、熱いお風呂も用意され、何時でも新鮮な空気を呼吸できる。狭いけど、好きな時に墓地を散歩できる。そうじゃなくて?(略)」
「さあ、今言ったことから、実際に、日本人はドイツ人に較べて、より人道的で教養が高く啓蒙されていて、キリスト教徒以上の国民だとあなたは認めざるを得ないでしょう?」

164の続き)

日本の芸術について捕虜の一人はこう言います。
「ここの猿どもは、立派な芸術の中でもっとも素晴らしい活け花を知っていて、つねに創造と改善を加えようとしている。それに反してわがヨーロッパは、そのようなことは夢にも考えていない。花のパリでも、シーザー時代にあったのと同じ花束作りしか知らないのだ。日本では、活け花には、明確に対立する三つの流派があって、それぞれの花を活けるに際して伝統的で、よく順序だった、衆知の、数多くのルールがあるんだ。そんな日本人に、僕らは何を教えたらよいのか。はっきり言って、今、戦争のやり方を教える資格は全くない。とにかく日本人は、これ以外にいろいろなことを知っている。芸術に関してはあまりにもみごとで、繊細で、僕らの中で最も優れたわずかな人間だけが理解できるほどのものだ。例えば、ロシアの労働者や農民が、壁にかけたきゃしゃな竹筒に三本の菊を活けるのに、一時間もかけて考えるだろうか?そんなことはとうてい考えられない。僕たちの村はもちろんのこと、地方都市にも活け花の先生なんていない。だからこの類のこと、人種的特徴、民族的な謎など、日本人について考えてみると、僕は頭の中がこんがらがってくる。日本人には敵わない。ああ日本人の畜生め!僕にはさっぱり分からない。日本を開国させたアメリカのペリー提督の奴め!」

白人としての優越感と日本人と対峙した時に生じる劣等感の葛藤。

それは日本の田畑について述べるシーンにも。
「日本人にとって田畑での労働は、立派な創作活動なのだ。農作業に対する愛情のために、農作物や田畑に惜しみなく注がれる労働。僕たちのところの農民は、ただ機械的に耕し、種を播き、刈り入れるだけだ。筋肉を使うだけで、そこには心や情け、思い入れなどまるでない。僕たちの農夫には、小麦畑でアメリカ製のでっかい耕作機を引っぱっている馬たちほどの心情もありはしない。ロシアの農夫が十箇の作物に与えるよりも、もっと多くの労働を、日本の百姓はたった一箇の作物に注ぐ。日本人はもっとたくさん下肥をやり、もっとたくさん雑草を刈って手入れをする。一つの作物をずっと小奇麗に刈り込んで丈夫に育てる。日本人は稲を自分の子供のように可愛がる、稲の束をあやしてやる。これに話しかける。稲の成育のために神仏に祈る、稲を守って貰うためにお寺から護符を頂いてくる。そして一番最初に熟した稲穂をお供物としてお寺へ持っていく。穀物が、全力をあげて好反応を示すのは当たり前だろう」
「このような日本人が田畑で働く姿を眺めることは、まさに人生の見ものなのだ。彼らは働け、働け、もっと働け!とばかりに、泥の中を骨折って進む。(略)しかし、何と愚かなことにロシアではこんな日本人のことをまったく知りもせず、理解もしなかった。日本人はまるで、水田で働く時のように、満州での戦争を徹底的に、一所懸命に、聡明に、常に変わらぬ献身さで、戦っているのだ。僕たちの百姓兵は、今すぐにも、ライフル銃を投げ棄てて、国に帰りたがっているよ!彼らは決して、こういう日本人を征服できないだろう。勝利は僕たちの側にはない。一人の男対男、将校対将校、百姓対百姓と考えてみると、僕たちはとても匹敵できないよ。日本人は二十世紀の人間で、そして僕らは十八世紀の人間なんだ、ああ、こん畜生め!」






また主人公の夫人が桜の花について日本人と交わす会話にはこんなものもなります。

「まあ、なんて白い花でしょう!」と私は思わず叫んだ。「なぜですか。東京で、前、私が見た時は、バラ色がかったピンク色の花でした。私の庭の椿の花のように、桜の花もピンクに見えましたけど」

案内の将校は私たちの方をじっと見た。そして、高須夫人は真剣な表情で言った。

「それは戦争のせいなのです。あまりにもたくさんの血が満州で流されたので、今年はこの桜の花は色を失ってこのように蒼白になっています」

私は息を飲んだ。そして涙があふれてきた。ああ!何と繊細な人たちだろう。日本人以外の誰が、このような感じ方をする魂と感情を持っているだろうか。咲いている花でさえ、満州で流された血のために色あせると思うなんて!なんという考え方!なんという日本人!ラフカディオ・ハーンが住んでいた、その国!
165の続き)




日本の貴族について。
「日本の貴族は徹底的に教養があり、思いやりがあり、洗練されていて、比べるものがないくらい威厳ある作法を守っている。私がいちばんうすいリンネルのブラウスを着て、暑さにあえいで扇子を使っているのに対し、この日本の貴婦人は、銀灰色の絹の着物を着て、胴に二つ折の重いサテンの織り帯を締めて、涼しげに静かに坐っておられる。着物の色と光った鳩色の帯がみごとに調和している。その帯を固定させるための帯紐には、小さな黄金の留め金がついている。琥珀色の貝ピンを差した黒い髪と、象牙色の首は一体となって完璧な曲線を描き、着物のつくりだすたくさんのひだの中から覗いている。それは華麗なエッチングのようである。彼女は芸術品として完全であり、端正に構成されたバランスのとれた作品なのだ。その風格と値打ちは本物で、私はすっかり魅せられて、知事夫人を見つめていた。」


日本人の微笑みについて。
「日本の伝統的な微笑み、傷心のあまり心が疼いていても、強い痛みに耐えていても、悲しい話を打ち明ける時でさえも見せるあの微笑みを、今、私は本当に素晴らしいものだと感じる。それは私たちが出会うロシア人の陰鬱な顔よりはるかに美しいものなのだ。」


フィクションだとしても、当時の日本人の実情や日本の良さを知るのに興味深い著作であること間違いありません。





> yama@TPP絶対反対!さん

やっぱり良いですね…


これを野蛮な日帝や,捏造って言う頭が私には解りません。
実は母方の祖父はシナで戦いましたが、軍隊だから規律に対して上官は厳しかったけど,後は普通に過ごし,特に民間の中国人とは,問題は何もなかったそうです。
わざわざありがとうございました。
【皇室の心】

明治天皇の皇后美子様(昭憲皇太后)は、東京府養院や東京慈恵医院に多額のお金を下賜、養護学校の卒業式にも出席、災害や事故があると慰問し、お金を下賜した。聾学校や身障者の保護にも熱心だった。

現在の皇后陛下の福祉への取り組みは、昭憲皇太后が原型を作ったと言われている。

明治45(1912)年には、ワシントンで開かれた第9回赤十字国際会議の際、10万円(現在の約3億5000万円を寄付、これを元に創設された「昭憲皇太后」基金はその利子を各国の赤十字社に配分して保健衛生事業や災害救護事業などに役立て、その配分は昭和19年を除き現在まで絶えた事はない。

同様の基金は他にもあったが、運営難ですべて消滅してしまった。

しかし世界で唯一「昭憲皇太后基金」だけは現在も日本赤十字社の名誉総裁を務める美智子皇后陛下に至るまで歴代皇后が基金の下賜を続け、さらに明治神宮崇敬会などの寄付で基金が増額され、今日まで続いている。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1827127512&owner_id=24780600&comment_count=1
【特攻隊の自己犠牲にひかれたモリス】


1996年12月から翌年4月に渡って世界を騒がせたペルーの日本大使公邸占拠事件は、武力行使で解決をみましたが、人質救出のさい、二人のペルー人兵士の貴い命が失われました。

「私はペルーを愛し、この国のためならいかなる犠牲を払うことも辞しません。
私の使命は国を守ることであり、私たちが築き上げた平和を傷つける行為に対しては、いかなる措置をも取ります。私は誇りをもって喜んで作戦に加わり、死んでいきます。」

これは、その殉死した兵士の遺書です。

ここには、命をかけて国の尊厳を守るという、戦後日本が忘れかけた姿があります。これは世界の人々が当然のごとく共有している気高い精神といえます。

60年前の大戦において、我が国でも、多くの人々が祖国を守るために戦い、戦死をとげました。

その中で、特に神風特別攻撃隊の姿にひきつけられた西洋人がいました。
アイバンモリスといいます。
モリスは1925年、ロンドンに生まれました。父親はアメリカ人、母親はスウェーデン人で、第二次大戦中は、イギリス軍将校としてアメリカ海軍日本語学校で日本語習得プログラムに参加し、これがきっかけになって日本の研究をすることになります。

(中略)

やがてモリスは日本史に登場する楠木正成や大塩平八郎らの自己犠牲の精神に強くひかれ、その系譜として特攻隊をとらえるようになります。
そのきっかけになったのは、三島由紀夫との出会いでした。
三島はこう言ったそうです。

「君は日本の宮廷文化の優美さとか光源氏の世界の静粛を称賛していたが、その賛美を書くことで日本の民族性がもつ苛酷かつ峻厳そして悲壮な面を覆い隠してはいないか」

モリスは「この国の歴史の中で演じられる『敗北』の特殊な役割」に強くひきつけられていきます。

「西洋の歴史における英雄はほとんどが勝者である。また歴史上の敗北者に共感を覚え感情移入を行うという伝統をわれわれ西洋人は持っていない」

そのような西洋人にとって一身を犠牲にして攻撃する特攻は、愚かしい行為であり、「理解不可能」とされていました。

「日本人以外の者は、自殺兵団へ志願する決意が自発的ではなく脅迫によって、あるいは『洗脳』によってなされたのだろう、と想像しがちである。はたしてそうなのか」

モリスはそう問い続け、特攻隊員の遺した手記、書簡を丹念に調べていくのです。その結果「どれを見ても、彼らが迷信深い、侵略主義的な狂信者とはほど遠い」と確信します。

<古典そのものよりも、神代の有無よりも、私はそれを信じてきた祖先たちの純真そのものの歴史のすがたを愛します。美しいと思います。私はその美しく尊いものを、身をもって守ることを光栄にしなければなりません>

敗北の中でも、自暴自棄にならなかった特攻隊員のこうした言葉をたどりながら、モリスは評価します。
「日本では成功のためのいっさいの謀計をいさぎよしとしないひたむきな誠実さ、一途に誠心をもつ人物が英雄として存在している」

「日本人は古くから純粋な自己犠牲の行為、誠心ゆえの没落の姿に独特の気高さを認めてきている」

と評し、死へと旅立った青年の姿を美しく蘇らせたのでした。
西洋の読者にとって、初めて知ることでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上、マイミクさんの日記から。

「全体のために個を犠牲にする行為は尊い」「利他主義」という、戦後の日本教育では否定され続けてきた「日本文明の特徴的価値観」(台湾人知識人 黄文雄氏)について興味深い文章がありましたので貼らせていただきます。
【日本の良さを知る名言集】



世界の国歌のうち最も荘厳なもの。(『君が代』について)
                  [ヘルベルト・フォン・カラヤン]


我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことが出来ない訳はないと発憤したからである。
                  [スカルノ大統領]

裁判官パール氏の主張が絶対に正しいことを、私は全然疑わない。
                  [ハンキー卿(英国枢密院顧問官)]

日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。
                  [ラフカディオ・ハーン]

日本の僧侶たちはといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。                 [ハインリッヒ・シュリーマン]


大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。             [朴鉄柱(韓国、韓日文化研究所)]


日本の天皇の宣戦書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。そのような大義は青天白日の光線より勝っていたのであり韓・清の人々の智恩を論ずることなく、みな心を同じくして、賛同し服従したのである。もう一つは、日露の開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、前日までの日本に対する仇敵の心情がたちまち消え、かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、これまた人情の順序であり、理に合うものであった。快なるかな壮なるかな。数百年来、悪を行い続けてきた白人種の先鋒が、鼓を一打したたけで大破してしまったのである。日露戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。だからこのとき韓・清両国の有志は、はからずも同じように、自分たちが勝ったように喜んだ。   [安重根(伊藤博文を暗殺した韓国の“英雄”)]


私は貧農の生まれで、学校に通うなど思いもよらなかったが日本人の役人が両親を説得して小学校に行く事が出来た。そしたら学校の教師がお前は頭が良いから無料の師範学校に行った方が良いと推薦してくれた。師範学校では更に優秀さを認めてくれて陸軍士官学校に推薦してくれた。その結果士官学校首席として日本人同期生のトップで卒業し、陸軍将校に成る事が出来た。今の私が有るのは清廉で誠実な日本人達のおかげである。  [朴正熙(韓国元大統領)]


日本人はいずれも色白く、きわめて礼儀正しい。一般庶民や労働者でもその社会では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、あたかも宮廷の使用人のように見受けられる。この点においては、東洋の他の諸民族のみならず、我等ヨーロッパ人よりも優れている。        [ヴァリニャーノ]


アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。 [ナチール(インドネシア元首相)]


日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。
だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。 [ラフカディオ・ハーン]

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日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持つてゐる。ごく幼い頃から讀み書き、法制、國史、地理などを教へ、大きくなると武術を教へる。しかし一等大切な點は、日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、禮儀を極めて巧みに教へこむことである。われわれは實地にこの賞讃すべき日本人の資質を何度もためす機會を得た。 [ゴロヴニン]


日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。 [ノンチック(元マレーシア上院議員)]



この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造型に対するすぐれた美的感覚を表してないものは、何ひとつとしてない。花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。実際に、今日の日本のどこかで、まったく面白味のない陶器や金属製品など、どこにでもあるような醜いものを目にしたなら、その嫌悪感を催させるものは、まず外国の影響を受けて作られたと思って間違いない。
[ラフカディオ・ハーン]


この国に来られた日本のある学校の先生は、「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。 [ノンチック(元マレーシア上院議員)]



日本人は信用すべしと認められる。彼らは第一の目的である名誉に邁進する。また恥を知るを以て漫に他を害うことは無い。彼らは名誉を維持するためには喜んで生命を捨てる。 [フランソア・カロン]



我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。 アラムシャ(インドネシア元第三副首相)



日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。 [シャフィー(元マレーシア外務大臣)]



日本人は、野蛮な西洋人がするように、花先だけを乱暴に切り取って、意味のない色の塊を作り上げたりはしない。日本人はそんな無粋なことをするには、自然を愛しすぎていると言える。 [ラフカディオ・ハーン]

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特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。 [サンパス(インドネシア元復員軍人省長官)]



世界に最も「良い影響」を与えている国は日本。米メリーランド大が世界の約4万人を対象に実施した英BBC放送との共同世論調査で、こんな結果が出た。同大が3日発表した。調査は昨年10−12月に米州、欧州、中東、アフリカ、アジア各地域の33カ国で行われた。質問の対象となったのは日本、米国、中国、ロシア、フランス、英国、インド、イランの8カ国と欧州。調査結果によると、日本が世界に「好影響」を与えているとの回答は、33カ国中31カ国で「悪影響」を上回り、平均すると好影響が55%、悪影響が18%だった。 [(共同通信2006/02/04)]



日本「世界に良い影響」、独と並びトップ。
読売新聞社が英BBC放送と実施した共同世論調査によると、日本は世界に良い影響を与えていると思う人は56%で、悪い影響を与えているとの答えは21%だった。 「良い影響」はドイツと並んで最も高く、「悪い影響」はドイツの18%に次いで低い数値となり、総合的に高く評価された。調査は昨年10月から今年1月にかけて34か国で行い、政治、経済、安全保障分野で世界に影響を及ぼす14か国・国際機関についての評価を聞いた。(中略) 日本に対する各国の評価を見ると、「良い影響」が最も高かったのはケニアの78%。「悪い影響」は中国55%、韓国52%が目立った。 [(BBC・読売調査2008/04/02)]



東京裁判はいくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として、復讐の感情に駆られた、公正ならざる裁判だった。 [キーナン(極東国際軍事裁判首席検事)]



自分の農地を整然と保っていることにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはないであろう。 田畑は、念入りに除草されているばかりか、他の点でも目に見えて整然と手入れされていて、まことに気持ちがよい。
[オールコック]


この裁判は歴史上最悪の偽善であった。このような裁判が行われたので息子には軍人になることを禁ずる。 [ウィロビー(GHQ参謀第二部長)]



ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。 もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だと言って、どうしてもお金を受けとらなかった。 [イザベラ・バード]



日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、その四半世紀もたたないうちに、1960年(昭和35年)に国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした。
[レーリンク(極東国際軍事裁判蘭代表判事)]



我々は戦争法規を擁護する為に裁判をしているはずだったのに、連合国が戦争規を徹底的に踏みにじった事を、毎日見せつけられていたのだから、それは酷いものだった。もちろん、勝者と敗者を一緒に裁く事は不可能だった。東條が東京裁判は勝者による復讐劇だと言ったのはまさに正しかった。
[レーリンク(極東国際軍事裁判蘭代表判事)]

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このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。
[グラバイ・デサイ(インド弁護士会会長)]


日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。しかも、わが不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。われわれの児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までもとってポーランドの子供たちに与えようとした。こんなことは一度や二度ではない。しばしばあった。
ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、われわれは何時までも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。日本人がポーランドの児童のために尽くしてくれたことは、ポーランドはもとより米国でも広く知られている。
ここに、ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、最も深い感銘、最も深い感恩、最も温かき友情、愛情を持っていることを伝えしたい。[ヤクブケヴィッチ(ポーランド極東委員会副会長)]



日本人は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。彼らの鋼や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい。 [ツュンベリー]


アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり
己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと 
玉散ることもいとわず
進め 進め 義勇軍 
アジアとインドネシアの英雄 
清き東洋に幸あれ
古きアジア 不幸に苦しむ 
烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ
大日本 雄々しく立てり
アジアを救い 我らを守る
進め 進め 義勇軍 
アジアとインドネシアの英雄 
清き東洋に幸あれ
[インドネシア祖国防衛義勇軍のマーチ]


日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。[マハティール(マレーシア首相)]


有色人種が先天的に劣っているという誤解を日本が打破してくれた。日本が有色人種を白色人種の奴隷から救ってくれるので、有色人種は日本を指導者として従い我々の夢を実現しなければならない。[ウィリアム・デ・ボイス(アフリカ解放の父)]


日本人の間には、罵倒、呪詛、悪口、非難、侮辱の言葉がなく、また戦争、借用者、海賊の名目をもってなされる場合を除けば、盗みは行なわれず、窃盗行為はひどく憎悪され、厳罰に処せられる。 [ヴァリニャーノ]


パリもニューヨークもローマも忘れてしまえ。グルメの本場は東京なのだ。
[ロイター通信(ミシュラン東京版発売の報道)]


日本人は造園芸術にかけては世界一ともいうべく、彼等はあらゆる事象の美しさをたのしむらしく見えた。[モース]


私は、日本人ほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。[イザベラ・バード]
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欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられなければならない。[ラダ・ビノード・パル(極東国際軍事裁判判事)]


日本は国際法に照らし、全被告は無罪である。[ラダ・ビノード・パル(極東国際軍事裁判判事)]


人々が正直である国にいることは実に気持がよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。[モース]


第一に、私たちが交際することによって知りえた限りでは、日本人は今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。[フランシスコ・ザビエル]


日本国民は有能で、秀でた理解力を有し、子供達は我等の学問や規律をすべてよく学びとり、ヨーロッパの子供達よりも、はるかに容易に、かつ短期間に我等の言葉で読み書きすることを覚える。また下層の人々の間にも、我等ヨーロッパ人の間に見受けられる粗暴や無能力ということがなく、一般にみな優れた理解力を有し、上品に育てられ、仕事に熟達している。[ヴァリニャーノ]


昭和23年の国会で教育勅語がとりやめになったのは残念です。教育勅語で日本の教育が成長したんです。父母に孝に友に、夫婦相和し朋友相信じ…。もういっぺん日本は教育勅語をやり直すべきです。日本には教育勅語がないから、夫婦相和さず、離婚率が高いのです。朋友が信じないから「いじめ」が絶えないのです。
外国は日本の弱体化を図ってこの教育勅語を外してしまった。それを日本人は知らないが、これは間違っている。どこにも軍国主義的なところはない。教育勅語は人間の人間たることを明治天皇がお示しになったまでです。一旦緩急アレバ義勇公ニ奉」ずる精神が失われたから「陸軍記念日」も祝われず、国会で謝罪決議さえ行うのです。台湾には、大和魂があるから、選挙の時に中共(中華人民共和国)から台湾沖にミサイルを三発撃ち込まれても、ビクともしませんでした。能登半島沖に北朝鮮からノドン一号が打ち込まれましたが、日本の反応はいかがでしたか。[許国雄]
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日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いといわねばならない。これは、公平に日本を観察してきた多くの見識者の声であるが、私もそう信じて疑わない。[ラフカディオ・ハーン]


神道は西洋科学を快く受け入れるが、その一方で、西洋の宗教にとっては、どうしてもつき崩せない牙城でもある。 異邦人がどんなにがんばったところで、しょせんは磁力のように不可思議で、空気のように捕えることのできない、神道という存在に舌を巻くしかないのだ。[ラフカディオ・ハーン]



【ペリリュー島の桜を讃える歌】


激しく弾雨(たま)が降り注ぎ

オレンジ浜を血で染めた
強兵(つわもの)たちはみな散って 

ペ島(じま)は総て墓地(はか)となる



小さな異国のこの島を

死んでも守ると誓いつつ

山なす敵を迎え撃ち

弾(たま)射(う)ち尽くし食糧(しょく)もない



将兵(ヘいし)は桜を叫びつつ

これが最期の伝えごと

父母よ祖国よ妻や子よ

別れの桜に意味深し



日本の桜は春いちど

見事に咲いて明日(あす)は散る

ペ島(じま)の桜は散り散りに

玉砕(ち)れども勲功(いさお)は永久(とこしえ)に



今守備勇士(もののふ)の姿なく

残りし洞窟(じんち)の夢の跡

古いペ島(じま)の習慣で

我等勇士の霊魂(たま)守る 



平和と自由の尊さを

身を鴻(こな)にしてこの島に

教えて散りし桜花

今では平和が甦る



どうぞ再びペリリューヘ

時なし桜花(さくら)の花びらは

椰子の木陰で待ち佗(わび)し

あつい涙がこみあげる



戦友遺族の皆さまに

永遠(いついつ)までもかわりなく

必ず我等は待ち望む

桜とともに皆さまを

[オキヤマ・トヨミ、ショージ・シゲオ作詞(ともにパラオ人)]




ノギとかトーゴーとかいう名前の者は、この辺はたくさんいましてね。
ノギ集まれ、トーゴー集まれっていったらこの教会からはみだしますよ。
「ノギ」というのは乃木大将のノギですよ。「トーゴー」はもちろん東郷平八郎に因んでのことです。
[ポーランドのある教会の神父]


この勝利(日露戦争)がアジア人の意識の底流に与えた影響は決して消えることはなかった。それはすべての虐げられた民衆に新しい夢を与える歴史的な夜明けだったのである。ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。それはわれわれに新しい誇りを与えてくれた。歴史的にみれば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点とも呼べるものであった。[バ・モー(ビルマ首相)]

4 2012年05月24日 07:40 yama@TPP絶対反対! 私達は国旗の選択に相当苦労した。応募者は悉く各島の人々であり、それぞれの旗にパラオの歴史と伝統がこめられていた。だから、選考委員は真剣であった。
選考に日数をかけた。でも、最終的にこの旗に決まったのは、日本の旗に一番似ていたので、最大の人気が集まった。日の丸の部分を黄色にしたのは、月を現わす。周囲の青地は海を意味する。月は太陽が出ないと輝くことができない。つまり月は太陽によって支えられ、月としての生命を持つ。

太陽とは日本のことである。

海に囲まれたパラオという国は、日本の太陽の反射によって輝かねば生きられないのである。我々はまた戦争中に、日の丸を掲げて強大な米軍と交戦した日本軍将兵の勇敢さと純粋さに、大きな魅力と尊敬を捧げている。一万に及ぶ英霊たちは私達に、勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのである。 [パラオ国旗の解説文]



アジアの一国である日本の(日露戦争の)勝利は、アジアの総ての国々に大きな影響を与えた。ヨーロッパの一大強国が破れたとすれば、アジアは昔たびたびそうであったように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり『アジア人のアジア』の叫びが起きた。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった。 [ネール(インド首相)]

176の続き)


これら日本の英雄達(大東亜戦争の戦士)は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。 [ベルナール・ミロー(フランス人ジャーナリスト)]



私は海外に出て初めて「実物の日本人」と会い、かれらが予想外に洗練された人たちであり、韓国人と比べて立派な点が多くあることを知りました。 [金完燮]



日本のみなさん、自信を持って下さい。まだまだ日本には底力があります。皆さんが立ち上がって、大国としての政治をやれば日本は強い国になります。欧米の金融メジャーからアジア経済を守り、共産主義国家の武力侵攻に対抗できる国は日本しかありません。地球環境保護の問題で世界をリードできる技術も日本は持っています。 私は、日本がもっと強い国になり、政治経済の上で本当にアジアの盟主となってくれることを願っています。 日本と台湾が手を取り合って頑張れば、きっとアジアはもっとすばらしい発展を遂げることができると思います・・・

皆さん、すばらしい日本と台湾、そして新しいアジアの建設のために共に努力してゆこうではありませんか。 [許国雄]



アメリカの青年たちよ。東洋に
は、すばらしい国がある。
それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ!
[スプルアンス(硫黄島の激闘時の米軍司令官)]




かつて日本人は清らかで美しかった 
かつて日本人は親切でこころ豊かだった
アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命つくしてくれた
何千万人もの人のなかには少しは変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけていばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない
でもその頃の日本人はそんな少しのいやなことや不愉快さを越えて
おおらかでまじめで希望に満ちて明るかった 
戦後の日本人は自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた
学校も ジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから
まじめに自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした 
残酷無情なひどい人たちだったと 思っているようだ
だから アジアの国に行ったらひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと言えばよいと思っている
そのくせ 経済力がついてきて技術が向上してくると自分の国や
自分までがえらいと思うようになってきて
うわべや口先では済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの自分本位のえらそうな態度をする
そんな今の日本人が心配だ 
本当にどうなっちまったんだろう日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくてくやしい思いがする
自分のことや自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人はこれが本当の日本人なのだろうか
自分たちだけで集まっては
自分たちだけの楽しみやぜいたくにふけりながら
自分がお世話になって住んでいる自分の会社が仕事をしているその国と 
国民のことをさげすんだ眼で見たりバカにしたりする
こんなひとたちと本当に仲良くしてゆけるだろうか
どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ
[ラジャー・ダト・ノンチック]




日本は貧しい、しかし高貴だ。
世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本だ。[ポール・クローデル]



日本民族の勇気、万邦安泰の礎たらんとする熱誠、自然や神々との緊密な結びつき、歴史の連続性、文化の奥深い独創性などからして、日本こそ、明日の文明の座標軸の一つとなってしかるべきではないでしょうか。[オリヴィエ・ジェルマントマ]



昭和23年の国会で教育勅語がとりやめになったのは残念です。教育勅語で日本の教育が成功したんです。・・・もういっぺん日本は教育勅語をやり直すべきです。
[許国雄]



私はかつて日本人であったことに誇りを持っていますが、逆に日本の方々は誇りを持っていないんですね。どうか皆さん、過去に対して正当な評価と自信を持ってください。許文龍



戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。 戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨てました。謝罪すべきはむしろ戦後の日本外交です。 [許文龍]
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どうぞ心に留めていただきたい。 “日本”は、あなた方現代の日本人だけのものではない、我々“元日本人”のものでもあることを。私は、台湾にやってくる日本人に説く。「自分の国を愛しなさい」と。自分の国をも愛せない人が、どうして他人や他の国の人々を愛せるだろうか。 自らの祖先を敬い、親兄弟を愛し、そして、そうした人々が幸せに暮らす祖国を愛してこそ、世界の人々を愛せるのだ・・・ どうぞ台湾に日本の正しい歴史を学び、自身と誇りを取り戻していただきたい。そして誇りある日本がアジア地域の安定と平和を担う真のリーダーたらんことを願う。日本人よ胸を張りなさい! [蔡焜燦]



ぜひ、皆さんも歴史的に、伝統的に持っていた日本人の徳目、日本人の素晴らしさを再評価して、それをなんとか次の世代に伝えてゆくという仕事に、日本人ひとり一人が参加してほしいのです。 それが台湾のためなのです。日本がちゃんとしていなければ、台湾は、存在できない。 日本と台湾は運命共同体だと考えています・・・ 日本は、責任をもってこの地域のリーダーであるというその使命を果たしてほしい。日本以外にはないのです。覇権主義国家の中国にこの地域のリーダーシップをとってもらっては皆が迷惑するのです。ですから皆さん、“覚悟”を決めて、この地域のリーダーを担えるような国をつくり上げていってください。
[金美齢]


敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花

これは、私が敬愛する新渡戸稲造先生の名著『武士道』の中で改めて紹介されている本居宣長の和歌ですが、この「大和心」こそ、日本人が最も誇りに思うべき普遍的真理であり、人類社会がいま直面している危機状況を乗り切っていくために、絶対に必要不可欠な精神的指針なのではないでしょうか。 [李登輝]



しかし、結局のところ、最後に勝ったのは日本だった。日本のとった道、すなわち、自らの主権のもとに、近代化、西洋化をはかるという道が、結局、西洋を打ち負かした。日本は西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。軍事的には、日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)において、歴史上、最も決定的な敗北を喫した。自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。その結果、西洋はアジア、ついでアフリカの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるをえなくなった。[P・F・ドラッガー]



日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。[インドネシアの中学3年用の歴史教科書]



第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。[アーノルド・トインビー]

178の続き)


この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底的な統一性を感得する。(伊勢神宮について)[アーノルド・トインビー]



神宮の建築は、ギリシアのパルテノンに比すべき、すばらしいものである。天から降ってきたようなこの建築は、日本固有文化の精髄であり、世界建築の王座である。[ブルーノ・タウト]


アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、大東亜共栄圏のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。[J・R・ジャヤワルダナ蔵相(セイロン -現スリランカ)]


日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない。[ククリット・プラモード(タイ元首相)]



日本人は、古きより美しくやさしき自然に育てられて、美しくやさしき詩人たるべく養われたりき。[山路愛山]


上述の名言集には、韓国、北朝鮮出身者の方も出て来ます。

その中に安重根も出ている。

彼は伊藤博文を暗殺した犯人。

安重根は、いまの韓国では抗日の英雄、建国の義士として国民的英雄の地位を与えられているという。

だが歴史を振り返れば、彼は初代韓国総監。

そして当時の朝鮮半島は、日本の保護国。

その朝鮮半島を日本が併合すべしという意見に対し伊藤博文は、これに反対している。

つまり、日本と朝鮮半島の関係は日本が半島を保護するに停めていれば良いというのが、伊藤博文の立場。

これに対して安重根は、むしろ積極的に日本に半島内に介入してもらうことで、短期間に韓国に地力を付けさせ、朝鮮民族の近代化を早期に実現しようと考えていた。

だから、日韓併合に反対だった伊藤博文を邪魔な存在として暗殺している。

要するに安重根は、朝鮮民族主義であると同時に、親日主義の日本統治歓迎派だったわけ。

彼の言葉が、その全てを物語っている。

名言集の中に東京裁判関係のものがいくつかあります。

東京裁判では、東條英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章の7人が死刑の宣告を受けました。

昭和23(1948)年12月23日、巣鴨拘置所内で、その執行がなされています。

この執行に、日本人でただ一人絞首台に立会ったのが、浄土真宗の僧侶であり東大教授であった花山信勝師。

その目撃談。

残り時間は二分しかないというので、花山師は「三誓偈」の初めの三頌と最後の一頌を読んだ。
誰からともなく「万歳」はどうだろうか、という声が上がった。

いいだろうということになり、最年長の松井石根が音頭をとり「天皇陛下万歳」を三唱し、つづいて「大日本帝国万歳」を三唱した。

「日本で天皇陛下万歳、大日本帝国万歳を叫んだのはこの七人が最後でしょうな」

花山信勝師は当時の場面を思い出したのか、感動的にそう言ってから暫く言葉につまった。

いよいよ最期、というときに東條さんが、両腕をとっている大きな下士官にむかって、ゴクローサン、アリガトウ、アリガトウといい、七人みんながアリガトウといったんです。

死ぬ間際の真剣な万歳とアリガトウという言葉に感動したのか、後ろで見張り番をしていた四、五人の将校が繋がれた四人のところにやってきて、自分から手を差し出して握手を求めたんです。

こういうのは世界に例がありませんよ。

絞首刑にするほうと、されるほうが固い握手を交わすなんて。

まったく珍しいことですよ。

わたしはこの光景をこの目で見たんです

(「東條英機わが無念」佐藤早苗著)

「死ぬ間際の真剣な万歳とアリガトウという言葉に感動したのか、後ろで見張り番をしていた四、五人の将校が繋がれた四人のところにやってきて、自分から手を差し出して握手を求めた」

これが日本人。



「それは恐らくヨーロッパの多くの人にはほとんど考えられない、信じ難いことと思われるだろう。しかし真実なのだ。日本という国は数千万という国民からこよなく愛されている。政府は、専制政治を行うことも、統治者の都合のいいように勝手に法を曲げることもできないような体制の上に成り立っている・・・。正義は一個人の体面や専横に左右されることなく行われている」カール・トゥンベルク

「この日本人は、イエズス・キリストの教えを彼らの間に植えつけるのに非常に適した素質を有する。すなわち、彼らは分別があり、理性に基づいて己を処する。彼らは好奇心に富み、いかにすれば自らの霊魂を救いえるかについて話すことを好む。彼らの間には良き礼法があり、まるで宮廷に育ったかのように互いに非常に慇懃な態度を示す。彼らはめったに隣人の悪口は言いはしない。彼らは他人を妬まないし、賭博をしたものは盗みを働いたものと同様に殺されることになっているので賭博をすることもしない。彼らが気晴らしをするものといえば武道の修練であり、非常に熟達している。そのほかには詩句を挙げることができる。彼らは名誉心に富み、自らの武器に全面的に信頼している。彼らは卓越した弓術家であり、万事彼らは非常に厳格で、その為に全ての他国民をほとんど問題にしていない。彼らは訴訟沙汰を起こすことなく自らの国を統治しているが、これは驚嘆に値することである。」  ルイス・フロイス


【道理的な国民性】

以下、マイミクさんの日記から転載させていただきます。

■■ Japan On the Globe(752) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

国柄探訪: 日本における道理の伝統  
布教のためにやってきたフランシスコ・ザビエルは、キリスト教の不合理な面をつく日本人に悩まされた。

■転送歓迎■ H24.06.10 ■ 40,811 Copies ■ 3,547,814Views
■無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/

----------------------------------------------------------- 前回お願いした、韓国系米人による「慰安婦の碑」の撤去に関する米大統領への請願は、3万2千余名の署名数が集まり、無事に成立しました。ご協力いただいた皆様に御礼申し上げます。
関連記事:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120515/plc12051522070020-n1.htm 
米大統領への撤去請願の署名。説明付きhttp://www.nipponkaigi.org/wp-content/uploads/2012/05/whi-H-Syo01.pdf------------------------------------------------------------

■1.「日本へ行けば、人々は理性豊かである」  

1547年12月、キリスト教の東洋への布教のためにマレー半島のマラッカにやってきたフランシスコ・ザビエルは、日本人・池端彌次郎と出会う。

彌次郎は武士であったが、商売の争いから殺人を犯してしまい、かねて交渉のあったポルトガル商人に頼んで、マラッカに逃れてきたのだった。  自分の犯した罪に苦悩していた彌次郎は、そのポルトガル商人から、高徳の聖人ザビエルに会って、懺悔と安心の道を求めるが良いと勧められた。ザビエルは彌次郎と出会った印象を次のようにローマのイエズス会あてに報告している。(原文は正漢字、正仮名遣いだが、本稿では常用漢字、現代仮名遣いに改めさせていただく) __________ 

もし全ての日本人が彌次郎と同じように知識欲の旺盛な人々であるとすれば、日本人は新たに発見された諸地域の中で最高級の国民であると思われる。

彌次郎は私の聖教講義に出席した後、信仰箇条のすべてを自分の国語で書き直した。彼は度々教会に来て祈祷を捧げ、それからいろいろと私に質問した。・・・[1,p185]  

日本に行ってきたポルトガル商人達は全員が私に言うのだが、私がもし日本へ行けば、人々は理性豊かであるから、インドの異教徒達を相手にして得るよりも遙かに多く、我らが主デウスに対する奉仕をなすことができようとの事だ。[1,p186] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  

この結果、ザビエルは「内心の深い喜びを以て日本に行く事を決心した」。

180の続き)

■2.「日本人は理性的だから、大部分がキリスト教徒になる」  

ザビエルは二人のイエズス会士と彌次郎を伴って、支那人の船に乗り、途中暴風雨に遭いながらも、53日の苦しい航海の後、1549年8月に彌次郎の故郷である鹿児島に上陸した。種子島に鉄砲が伝来したのがこの6年前、そして織田信長の桶狭間の戦いが11年後である。  ザビエルは自ら日本の民衆と接して、自分の期待通りであった事を発見し、本国にあててこう報告している。[1,p193] __________ 

此の国は、霊的に豊かな収穫をもたらす肥沃な土地で、今までの処では、人々がキリスト信者になることを、不思議とは思っていないようです。国民は理性的な人間です。彼等は無知の故に、多くの誤謬の状態の中に住んでいるけれども、理性が彼等の間では大切にされています。・・・  日本人は理性的な国民でありますから、その大部分がキリスト信者になることを、イエズス・キリストにかけて期待しています。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  

ザビエルにとって、キリスト教こそが理性的な宗教であり、日本人はたまたまそれを知らないために、仏教や神道などの「誤謬の中に住んでいる」けれども、彼等が自ら持つ理性を発揮すれば、かならず大部分がキリスト教を理解し、信仰するようになるだろう、と期待したのである。

■3.「デウスは祖先に対して無慈悲である」  

しかし、ザビエルの期待は裏切られた。日本人の理性が足りなかったのではなく、理性が豊か過ぎて、キリスト教の教義の中にある不合理な一面を見過ごさなかったからである。

京へ上る途中、山口で布教を行った際には、次のような質問がなされた。[1,p228] __________ 

山口の信者は、その洗礼の前に、デウスの全善(JOG注: 全能)に就いての重大な疑問に襲われた。それは、デウスは私達が来るまで、決して日本人に啓示をお与えにならなかったから、全善ではないということであった。

又私達の教えているように、デウスを礼拝しない者は、地獄に堕ちるとすれば、デウスは祖先に対して無慈悲である。何となれば、デウスは教について何も識らない祖先が、地獄に堕ちることを許したからである。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  

先祖思いの日本人は、先祖をほったらかして自分だけ天国に行こうなどとは思わなかった。

しかし、ザビエル達の説く処によれば、先祖はデウスの教えを聞いていないから、天国に行けないという。  

デウスが全能なら、はるか太古の昔から日本にも現れて、我が祖先も救ったはずだろう。今頃、のこのこ日本に現れて、これから人々を救います、というのでは、全能ではありえない。  

しかもデウスが勝手に遅く登場したがために、それまでに亡くなった祖先は救われないというのでは、無慈悲きわまりないではないか、というのである。

■4.「若(も)しデウスが善なら、悪魔なぞ作る筈がない」  

また悪魔についても、日本人は次のように問いかけた。[1,p293] __________ 

彼等は、悪であり人類の敵である悪魔の存在を信ずるが故に、創造主のことを認められないと言った。又、若(も)しデウスが善なら、そんな悪い者を作る筈がないというのである。

それに対して私達は、デウスはそれ等を皆善いものとして造ったが、彼等が自分勝手に悪くなったので、デウスは彼等を罰した。その罪は永劫に続くと答えた。

すると彼等は、デウスはそれ程に残酷に罰するなら憐れみのない者だ、しかも若しデウスが、私達の教の如く、人間を造ったことが本当なら、何故こんなに悪い悪魔がいて、それが人間を誘惑することを許しておくのか。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  

鋭い合理的な問いかけに、たじたじとなっているザビエルの姿が思い浮かぶ。  

ここで留意すべきは、ザビエルは19歳でパリ大学で哲学を学んだ当時の西洋社会での第一級の知識人であり、その彼の説くキリスト教の教義を、当時の日本人(それも学者僧侶など知識階級以外の一般人)が聞いてすぐに、こうした論理的なつっこみを仕掛けてきたことだ。

当時の日本人は一般階級にいたるまで、鋭い理性を持っていたことが窺われる。

「日本人は理性的な国民でありますから、その大部分がキリスト信者になる」というザビエルの期待は裏切られた。「理性的な国民」は、合理的な装いの下に隠された「全能の神と悪魔」といった非合理性を見過ごさなかったのである。

181の続き)

■5.「近代的理性は鎌倉時代に始まった」  

以上、我が国にキリスト教が伝来した当時の光景を見たが、本稿の趣旨は、なぜ当時の日本人が、かくも合理性を備えていたのか、という点である。

この点を歴史的に解明したのが、日本思想史の碩学、小堀桂一郎・東大名誉教授の大著『日本に於ける理性の傳統』[1]である。  

この著書では、我が国における近代的理性は鎌倉時代から始まったとして、慈円、明恵上人、道元などの著作が縦横に引かれており、さすがに「最後の帝大教授」と形容されるだけの博引旁証ぶりである。  

本稿では、その中でもわかりやすい一般民衆の逸話を中心に、我が祖先たちが、どのように理性を発揮してきたのかを見てみたい。

 鎌倉時代は「武士が主君から領地を与えられて所有する」という意味での封建社会が発達した。

「封建主義」というと、いかにも前近代的・非合理的に聞こえるが、土地の私有を制度化するには、私有財産の所有権を互いが理解し、その権利を守るための法治制度の発達が必要であり、これらは近代社会に不可欠の基盤なのである。  

現代社会でもいまだに土地を国有化している近隣諸国もあるが、そういう国では政府の一片の通達で大規模工場も移転させられるような具合であって、およそ封建時代以前の有様と言うべきである。  

土地が私有化されていくと、当然、人々の間で、ある土地がどちらの所領か、という争いが起こる。その争いは将軍・源頼朝以来の幕府に持ち込まれていたが、それらの先例を、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時が中心となって整理し、成文化したものが、1232年に編纂された『関東御成敗式目』である。

■6.「理非に於いては親疎あるべからず、好悪あるべからず」

『式目』の末尾には、この法体系の基本理念としての「道理」を明白に掲げている。 __________ 

およそ評定の間、理非に於いては親疎あるべからず、好悪あるべからず。
ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚(はばか)らず、権門を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり。[1,p83]
(裁判の場にあっては決して依怙贔屓(えこひいき)なく、専ら道理に基づいて、傍の目、上なる権力者の意嚮(いこう)を恐れることなく信ずる所を言え) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 現代の裁判官や検事・弁護士にもそのまま通用する言い分であろう。

現代でも後進国においては、裁判は政府に強いコネを持つ方が勝つ、という事を良く耳にするが、これに比べれば800年も前にあくまで「道理」を中心に公正な裁判をしようとした先進性は驚くべきものがある。  

この『式目』は、徳川時代には寺子屋での子供の教科書として用いられていたというから、ここで述べられているような道理の重視が、庶民の間にまで定着していたであろう事は、想像に難くない。

182の続き)

■7.「これは当方の負けなり」  

泰時の道理の重視は、単に口先だけのことでも、また限られた為政者だけの思いだけでもなく、一般人にも広く浸透していた事を示す逸話がある。

それは沙石(しゃせき)集という鎌倉時代中期の仏教説話集に収められている、泰時も登場する一話である。  

ある時、下総国(千葉県北部が主)の地頭と領家(荘園領主)との間でいさかいが生じ、両者の話し合いでは決着がつかなかったので、鎌倉幕府に裁定が持ち込まれた。  

北条泰時が代官となって、両者とじっくり問答を行った際、領家が肝心の道理を述べた時、地頭は手をはたと打って、泰時の方に向かって「これは当方の負けなり」と言った。同席した一同はわっと笑い出したが、泰時はうち頷いて、笑わずに言った。 __________ 

立派な負けっぷりである。泰時は長い間、代官として裁定を行ってきたが、あきらかに道理で負けていると思われる側でも、なおも負けじと主張を続ける事はあっても、自分から負けたと言う人はいなかった。  

相手の方に道理があると分かったら、ただちに負けを認めたのは、返す返す立派な態度である。正直な人柄が見て取れる。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  と、涙ぐんで褒めた。領家の方も、「今まで道理を理解していなかっただけで、故意ではない」として、6年分の未納を3年にまけてくれた。

沙石集の作者は次のように、結論つけている。 __________ 

されば、人は道理を知りて、正直なるべき物なり。咎を犯したる者も道理を知りて、我が僻事(ひがごと、間違い)と思いて正直に咎(とが)をあらわし、おそれつつしめば、その咎ゆるさるる事なり。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 裁判の席上、相手の方に道理があると分かった途端に、自らそれを認めるというのは、現代でも珍しいことだろう。当時でも珍しかったからこそ、物語に取り上げたのだろうが、こういう物語が世の中に広く読まれた、というその事実が、我が先人たちが道理を大切なものとして尊重してきた証左であろう。

■8.「和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が自ずから明らかになる」

『関東御成敗式目』は51箇条あるが、これは聖徳太子の憲法十七条を基礎に、天地人の三方に配して三倍としたと伝えられる。  

形式だけでなく、その内容においても通ずるところがある。「道理」に関連して、憲法十七条にはこういう一文がある。

[a] __________然(しか)れども、上和らぎ、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、則(すなは)ち事理自ずから通ふ。何事か成らざらむ。

[4] (地位や年齢の上下はあっても、和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が自ずから明らかになる。そうなれば、出来ない事などあろうか) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  

ここでも「事理」という言葉で、「物事の道理」が重視されている。そして「道理」とは、議論や裁判、宗教論争など、人と人との対話の中から発見されるもののようだ。

専制国家、独裁国家、全体主義国家では、独裁者が権力で自らの主張を押しつけてしまうから、他の人が「道理」を言ったところで、踏み潰されてしまう。  

西洋で合理主義が発達したのも、対話を主としたギリシア哲学や、ローマでの元老院での議論という伝統があったからであろう。そして、我が国も同様に、専制を嫌い、衆議を重んずる伝統があったからこそ、合理的思考が発達したのである。  

明治期に憲法、議会、裁判所、内閣、行政組織、会社組織などの近代的な仕組みが一挙に導入されて、短期間の間に国民生活に定着したのも、こうした合理的思考方法が長い歴史の間に、一般民衆の間にまで浸透していたからであろう。 (文責:伊勢雅臣)

183の続き)

■リンク
■ a. JOG(082) 日本の民主主義は輸入品か? 神話時代から、明治までにいたる衆議公論の伝統。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h11_1/jog082.html

b. JOG(003) 悲しいメキシコ人 日本がスペイン領になっていたら
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h9/jog003.htm

c. JOG(154) キリシタン宣教師の野望 キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペインの植民地とすることを、神への奉仕と考えた。http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h12/jog154.html

d. JOG(497 冷戦、信長 対 キリシタン(上)〜 信長の危機感 信者を増やし、キリシタン大名を操る宣教師たちの動きに信長は危機感を抱いた。

e. JOG(498) 冷戦、信長 対 キリシタン(下)〜 信長の反撃 信長の誇示する軍事力を見て、宣教師たちは日本の植民地化を諦めたhttp://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/jog498.html

f. JOG(435) 島原の乱 〜 持ち込まれた宗教戦争の種子 欧州から持ち込まれた宗教戦争の種子が突然、日本の地で芽を出したhttp://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h18/jog435.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 小堀桂一郎『日本に於ける理性の傳統』★★、中公叢書、H19http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4120038629/japanontheg01-22/

■編集長・伊勢雅臣より  読者からのご意見をお待ちします。 
本誌への返信、またはTwitterで、@ise_masaomi あて、お送り下さい。 ===================
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マイミクさんのつぶやきから。

これはユニークな日本の姿が書かれていて面白かったので貼らせていただきます。

日本はとっくに世界一!! http://plaza.rakuten.co.jp/lsiweb/diary/201204050000/





上海で研修が終了した夜、
あるバーで上海人の経営者とチュニジア人の経営者と飲んだ時のこと。

両名とも、かつて日本にに10年間も住んでいたことがあり、
会話はほとんど日本語でした。

その時、チュニジア人のAさん(仮称)に指摘頂いた日本経済の見方が
とてもためになったので、一部紹介します。

===

GDPに関して、いつまでもあれこれ議論されているが、
日本の庶民は素晴らしい。
他国に比べれば大騒ぎせず、淡々と暮らしているし、
極端に生活のグレードも落ちてない。

それに日本で暮らして大発見があった。
私は少々郊外で暮らしていたので、兼業農家をやっている人とかいて、
「今日はこれが採れたから、、、」と野菜をタダでくれた。
(私たち外国人のアパートに届けてくれていた)

そういう人がたくさんいた。

こちらはお礼するものがないから、
アパートで同居する外国人たちと交代で各自月に2日間ずつ、
その農家の人々の作業の手伝いをした。

また、ある日本人主婦たちは食事を作りに来ていた。
その農家の老夫婦たち仲間は交代で近所の主婦の子供たちを預かっていた。
だから主婦たちは、昼間に働きに行くことができた。

こういう個人やグループ間の貸し借りが非常にうまく作用していた。
これらはお互いに金銭のやり取りはない。
だから、こういう活動は経済活動の指数には反映されない。
しかし、現実にはこのような活動は日本全国で大小様々な形で行われている。

もしも天才的な経済学者か誰がが
こういう活動を経済活動のお金に換算することができたとしたら、
日本のGDPはとっくに世界一でしょう。

しかしながら、
ビジネスモードになったらこうした活動続くのかどうなのか?わからない。

現在も、上海の私たちのビジネスの企画書を日本の友人が手伝ってくれている。
ここでも「善意の手伝い」だ。
しかし、そのお礼に彼らが欲しい中国の情報を定期的にレポートにして提供している。

人々は賢くて、
経済的に不況になると「物々交換」や「手間手間交換」を始めるのだ。

全てをビジネスにすればGDPがアップして幸せになれるか?と言えば、
それはNOなのかもしれない。
何でもかんでも契約書、見積書、請求書の
「紙ビジネス」にしたいとは思わない人がいるのだ。

このような「交換」のままで良いものもある。
ビジネスをしたいというよりは、
お互いに困っている部分を補い合って、生活しやすくしているのだ。

これが少しでも成立していると、
精神的な充実感とか安心感を感じることができる。

これは信頼と絆があってはじめて成り立つとても高度な社会で
どんな国でも真似できるものではない。

こういう世界にはない素晴らしいお手本は皆足元にあって
書店やビジネススクールにはない。

このような活動ができる善意を再確認する教育を全国に広めていけば、
高齢化も少子化もどんどん改善するはずだ。
この教育に関してだけは妥協してはいけない。
日本の強みがなくなるからだ。

日本の家は狭いと言うけれど、
こうして地域と一体化して暮らしているととても広く感じるものだ。

だから、日本に滞在中の私たちは金銭的には決して裕福ではなかったが、
美味しい食事をたくさん食べることができたし、
人々と一緒に良く働いて多いに遊んだ。
とてもハッピーな気持で暮らすことができた。

私は日本の庶民が勝手に自然にやっていることが正しいと思っている。
こんなことができるのはおそらく日本だけだ。

日本の庶民は人から奪うとか騙すことを考えていないからだ。
これは外国から見れば凄いことだ。

現在私が住んでいる上海の経済活動は活発だが、
その分、凄まじいストレスと付き合わなければならない。
社内も社外も社会も騙しあいの壮絶なバトルが繰り広げられているからだ。

全ての活動をお金に変えようとする典型的な街と言える。
それが果たして幸せなのかどうか?

日本人はすぐに欧米や中国、韓国と比べて、
あーだ、こーだと自虐的になるが、
全く違うのだから比べても仕方ない。

日本人が幸せになるには、
あくまでも日本流で行けば幸せになれるのに、、、と
いつも思っている。

===

などなど生活に密着した「そういう考え方もあるんだなー」
というユニークな視点の数々でした。

無料でコンサルを受けた気分だったので
ワインをご馳走させて頂きました(笑)。

【日本人の座標軸(18)】「君が代」は世界一の秀歌
2014.11.22 07:00
 
 主要国の国歌の歌詞を見てみよう。

 【日本】君が代は 千代に八千代にさざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで

 【中国】立て 奴隷となるな 血と肉もて 築かんよき国 立て!立て!立て!心あわせ 敵にあたらん 進め敵にあたらん 進め 進め 進め進めよや

 【フランス】ゆけ祖国の国民 時こそ至るれり正義のわれらに 旗はひるがえる 旗はひるがえる 聞かずや野に山に 敵の呼ぶを悪魔の如く 敵は血に飢えたり 立て国民 いざ矛とれ 進め進め仇なす敵を葬らん

 アメリカやイギリスの国歌についても調べてみてください。

 さて、皆さんどうお感じになりましたか。血と肉を持てとか、血に飢えた敵とか、実に戦闘的で品格なき国歌ばかりだと思われたことでしょう。日本の国歌「君が代」は和の国=日本にピッタリだと思われたことでしょう。

 「君が代」はドイツでの世界国歌評定会で第1位の秀歌に選定されている。歌詞は今から約1100年前、醍醐天皇が紀貫之らに命じて編集させた日本最古の歌集である『古今和歌集』の巻第七、賀歌の部の第三四三番にある「我が君は千世にやちよにさざれいしのいはほとなりて苔のむすまで」がルーツとされている。

 詠み人知らずの歌で、日本古来の雅楽の旋律を取り入れて現在の曲となったのである。長寿を願うお祝いの歌として愛唱された歴史もある。

 「君が代」が国歌になる経緯を書けば長くなるので端折るが、1870(明治3)年、イギリス公使から国歌があった方がいいと進言され、歌詞の選定を一任されていた薩摩藩士歩兵隊長、大山巖が古今和歌集の中から採用した。明治15年、文部省は国歌として制定したのである。青渓書院で学び、但馬の先人として知られている文部省参事官を務めた浜尾新もこれに参画している。

 ところがこんな由緒あるきれいな歌が、軍国主義の復活につながるとして、学校の卒業式などで歌われなかった時期があったのをご存じでしようか。東京都の公立高校の卒業式で、起立もせず、歌も歌わなかった教員が懲戒処分されたのは、数年前のことである。

 但馬のある中学校長に「卒業式で国歌斉唱をしていますか」と尋ねたら、「“君が代は…”の部分が気に入りません。“我らが世は…”となっていたら歌わせたのですが…」と話されたのを忘れない。

 ついでながら小学生の頃、日本の旗が世界で一番きれいな国旗だと思った。

■足立勝美(あだち・かつみ) 兵庫県立高校教諭、県立「但馬文教府」の長、豊岡高校長などを務め、平成10年に退職。24年、瑞宝小綬章受章。『教育の座標軸』など著書多数。個人通信「座標」をホームページで発信。養父市八鹿町在住。鳥取大農学部卒。76歳。
"幸福そうな日本人 『この人たちは実に日本の大きな魅力である。……幸福で礼儀正しく穏やかであり、温和しい声で何時もニコニコしながらお喋りをし、ちょっとしたことからも健やかな喜びを吸収する恵まれた素質を持ち、..." http://tmblr.co/ZOg86u1bjWMJH
"この習慣のことを、日本では「躾(しつけ)」と呼びました。 この字は「漢字」ではありません。 「身」と「美」という二つの漢字を日本で合わせてつくった「国字」です。" http://tmblr.co/ZOg86u1cEfXX6
過去は過去で日本人の良さがあるが今は今で日本人の良さがある。日本人は在日帰化の背のりちょんちゃんころに騙され咎められ脅かされカネをむさぼりつくされ暮らしをめちゃくちゃにされ教育から何まで捏造され犯罪やり散らかされてきたんだ。許してはならない。在日帰化の背のりちょんちゃんころを老若男女関係なく逮捕、極刑、中国朝鮮3国へ強制送還、中国朝鮮3国もろとも殲滅。
“そこで、本論に入る。しかれども、なぜ、日本の通貨である円は高いままなのか。この問いに対するアメリカの学者(ステルツァー博士)の答えを、ジャーナリストの日高義樹氏が次のように伝えている。...” https://tmblr.co/ZOg86u25TOFTJ
日本人の性格で民族的な差別をしないところです。
日本人は韓国朝鮮人や在日、それに中国人の下でも喜んで仕事をします。
まあ、根っからの奴隷人種なんですね。
私はロッテやソフトバンクなんかに就職したくありませんがwww

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