ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

THE 感動する話コミュの花は咲く

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
第二次世界大戦が終戦になった翌年、広島では復興の兆しすら見えない状況が続いていました。瓦礫もそのままになっていたり亡くなった方がそのままになっていたり。

少し遠くまで歩けば知り合いが亡くなったという話を聞く。とても人の住める世界ではありませんでした。

広島市に住んでいた当時40歳くらいの武田さんも親類を亡くしご自身も放射能の後遺症に苦しめられていました。

そんな時です。疎開先から帰る子供たちの集団が広島県内を通過するという情報が武田さんにも入ってきました。

『こんな世の中、せめて子供たちの明るい笑顔を見て元気をもらいたい』

そう思った武田さんは子供たちが通る道に出かけました。しかし子供たちにも笑顔はありませんでした。広島市内のすさまじい様子を見てショックを受けていたためです。

武田さんは思いました。

『子供に笑顔が無かったら日本は終わってしまう、何とか子供を笑顔にしなければ』

ですが当時の広島には何もありませんでした。遊ぶ物や場所さえありませんでした。食糧も配給に頼らざるを得ない状態で人々には余裕もありませんでした。

考えた武田さんは帰り道を歩きながらある物が無い事に気付きました。

それは花です。

花が道に一本も無かったのです。通学路の道の花を見ていつも穏やかな心になっていた武田さんはこの現実に愕然としました。そして武田さんは決意しました。

道いっぱいに花を咲かせよう。

そしてすぐに行動を開始しました。岡山まで出かけて花の種や苗木をもらいに行きました。
しかしそこで武田さんを待ち受けていたのは言われも無い放射能を受けた人への差別でした。

広島から来たというだけで人が武田さんから遠ざかっていく。中には親切にしてくれた人もいましたがほとんどの方が近付こうとはしませんでした。

武田さんは何ももらえないままに広島に帰ってきました。そして考えました。
広島を元気づけるには広島の花を広島で咲かせるのが一番良いはず、と。

そこで武田さんは広島の山という山を歩き回り、花の種や苗木を集めていました。しかし人々は武田さんの事を良く思っていませんでした。放射能を浴びてないきれいな花や木を放射能に侵されている所に植えるとは何という事だ、と批判をあびました。

しかし武田さんには理解者がいました。広島の大学で植物学を専攻していた学生のマツダくんです。マツダくんと武田さんの出会いは武田さんが広島県のある山を登っている時に武田さんがまだ幼ない苗木を抜いているのを注意したのがきっかけでした。

武田さんの心を知ったマツダくんは武田さんの計画に賛同し行動を共にしました。

道のろばたに第一弾の花や苗木を植えたのは1946年4月の事でした。この第一弾は失敗に終わりました。近くに住む人たちに

『放射能を吸った土で植物を育てたらその胞子で人間に放射能が移ってしまうじゃないか』

と言われ集団の力で一つ残らずに伐採されました。もちろん移る事があるわけ無いですが。

めげない二人は小さい花で目立なくすれば大丈夫じゃないかと考えタンポポやオオイヌノフグリなど小さいけれど色が出る花をたくさん植えました。しかしこれらも失敗しました。

野犬たちに食べられてしまったのです。

そんなこんなで1946年10月になりました。花を咲かせられないまま時間だけが過ぎていきました。

しかしこの間二人はじっとしていた訳ではありません。沿道に住む人たちに花や木には放射能の影響がない事や放射能は人に移らないという事を一軒一軒説明して回りました。

『なんでそんなマネしてまで花が必要なんだ』

と言われました。武田さんにも応えられませんでしたが一つだけ人々が納得出来る理由がありました。

『花を見たくないか見たいかと聞かれたらどう答えますか?』

と武田さんはどの人にも聞きました。みんなが同じ答えを言いました。見たい、と。

だから頑張って花を咲かせようとしている、と二人は人々に言いました。

そして人々が手は貸せないけれど、もう止めはしないと言ってくれました。

それから2ヶ月後の12月の真冬にマツダくんは亡くなりました。肺炎をこじらせてしまったそうです。武田さんは唯一の理解者を失い慟哭しました。

花を咲かせることがマツダくんへの唯一の供養だと考えた武田さんは寝る間も惜しんで花と苗木を植え続けました。自分が飲む分の水も花や木にわけていた武田さんは体調を壊してついに入院しました。

入院した病院の窓から花と木を植えた道が見える武田さんは気が気じゃありませんでした。
1週間経った日、道に子供たちがやってきて花や木の周りをとりかこんでいました。いたずらをされてるんじゃないかと思った武田さんは病院の許可ももらわず駆けつけました。

『おっちゃん、花咲いてるよ』

『きれいなー、やっぱり花があったら道も変わるな』

『おっちゃんありがとう』

と次々に子供たちが武田さんにお礼を言い始めました。やがてそれは子供たちの口から親たちの耳にも入り武田さんが入院してる病室まで親たちがお見舞いに来るまでになりました。

『花は咲くんや、土壌が悪くても放射能あびても花は咲くんや。

マツダくん、花咲いたよ。

僕ら人間も花みたいにどこでも咲かなイカンね』


現代に戻ります、報道で放射能は移るとか、いわれもない風評被害で福島を始めとした被災された地域の野菜の価格が下がっています。

ニュースで被災された農家からネットを通じて適正価格で直接買ってる方が多くいると報道されました。そのニュースの反応を見るとその行動に否定的な見方をしてる方が多くいました。

放射能が移るかも知れない、本当に被災したかどうか分からない、その地域に野菜が不足して野菜が足りなくなるかも知れない…など色んな意見がありました。

でも僕は肯定的な見方しか出来ないです。

花は咲く、木は育つ、そして実がなる。その実を僕らが頂く。

3番目に書いたリスクがあるのは分かっていますが、僕らの食事を支えてくれている方が苦しんでおられる、それを少しでも和らげる方法がある。

それが自分にも出来る、ならそれをするのが同じ日本人として普通の事なんじゃないでしょうか。

コメント(10)

これは俺の個人的な感想なんだけど。

今回の震災で原発問題が起きて、放射能の事を連日ニュースでも言っている。
放射能による人体への影響などを、さも直ぐに死に直結と言わんばかりの報道のような気がしてならない。
それよりも車に乗るっていう当たり前の行為の方がリスクがあるように思えてならない。

実際、俺の彼女は広島の人で、
彼女のおじいちゃんが被爆者なのだが、
健康に気を使っていればさほど問題はないという。
この一カ月の中で、被曝して亡くなった人は何人いるのだろう?
それよりも、交通事故で亡くなった人の方が多くないだろうか?

風評被害の何物でもない今回の震災で、
何が出来るんだろう?どうすればいいんだろう?って考える事が増えた。

出来ることは少なく、限られているけれど、
まずはこっちから花を咲かせていかんといけんですね。

最後になりますが、今回の災害で亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
微妙くん、長文コメント失礼しました。
おはようございます。いつも素敵な文章をありがとうございます。
日記に貼ってもいいですか。
差別をしたがる哀しい習性を問い質したいです。
胸に手を当てて考えて欲しい。自分が差別されて嬉しいですか。
ルースさん、遅くなりましたがありがとうございます。

こちらこそぜひよろしくお願いします☆

お二人もありがとうございます、後でまたコメント返させて頂きます。
現在の放射能問題とかなり重なる点があるお話ですね。とても感動しました!微妙くんさんありがとうございますm(__)m
今回の放射能問題については日本のみなさんはとても心配だろうし、特に小さいお子さんがいる家の方はかなり不安だと思います。
テレビを観てると水は危ないとか、野菜は危ないとか言われていますが、こういったことはメディアが煽りすぎというのもあると思います。日本のマスコミは本当にいい加減なんで、テレビ、新聞だけの情報に惑わされずに、ネットなどでも話題のことは調べてみたりして、一つの情報源だけには絶対に惑わされないように。日本のマスコミは間違ったいい加減な情報をたくさん流しているそうです。自分の回りでもそういった声をよく聞きます。

微妙くんさんためになる話をありがとうございました。
忘れられない上司がいます。彼は薬剤師で、化粧品の開発に関わる研究者です。植物を愛し、家では100鉢以上のカトレア、ランを育て、愛読書は「家栽の人」という方でした。

彼は、退職して次の職場に行く私に


「蒔かれた所に咲きなさい」


という言葉をくれました。

その言葉を思い出しました。
改めて

日本のメディアは放射能の恐ろしさを伝えるか涙を誘う様な人を取材対象にするかに躍起になってますよね。

僕はこういう時こそ民放でも国会中継を流すべきやと思うんです。民主党をかばう訳では無いですが自民が政権持ってる時と違って内部からいろんな意見が出てきています。

それは国会中継を見るとよく分かりますので。
国会中継や政府の対応策などを一通り見てない人にはぜひこれから見て頂きたいです。

カンペを持って答えてる人もいれば自分の声で答えてる人もいます。

報道を鵜呑みにせず自分の目で見極めて下さい。
自分は福島在住で実家では兼業農家です。放射能で野菜や米を植えること、田畑を耕すことすらつい最近まで制限がかかっていました。
野菜を貰いに実家に帰る度、じぃばぁが『家の野菜持っていくのかい?放射能かかってるんだよ』『食べて大丈夫か?お前には影響ないのか?』って言ってきます。
畑仕事出来なくて元気なじぃばぁが見れなくて寂しいのにこんなこと言われたら、悲しくなりました。
放射能の被害は皆様が考えるより、もっと深いものがあります。これは体験しないと絶対に理解はできません。

1日でも早く笑顔な福島になってほしいです。

じぃばぁには『実家の野菜食って死ぬわけねぇだろ、つうか食いてぇから食うんだよ』って言って貰ってます。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

THE 感動する話 更新情報

THE 感動する話のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング