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THE 感動する話コミュのマイケル・ジャクソン〜追悼式編〜

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涙そうそう


マイケルが亡くなった時、泣きました。
THIS IS IT が公開された時も初日に見に行ってきました。
やはり泣きました。

マイケルの半生を書こうかと思ったんですが、まだまだ読んでいない彼に関する本がたくさんあるので、それらを読み終えた時に書こうと思います。
 
今日は追悼式での人々の言葉を。

そしてもう一つ。日本ではあまり放送されておらず、全文を放送したのはNHKだけという追悼メッセージがあります。

追悼式での人々の言葉と共にそれを書きます。
英語の原文が欲しい方はメッセージ下さい。



マイケルの11歳の娘、パリス

『私が生まれてからずっと、パパは私にとって想像できる限り最高の父親だった。≪とても愛している≫とだけ言いたい』

モータウン・レコード創設者、ベリー・ゴーディ

『マイケルの人生は短かすぎたが、美しかった。確かに悲しいときもあったし問題のある決断もあったかもしれない。だがマイケル・ジャクソンは彼が夢見たことすべてを成し遂げた。

マイケルについて考えたり話したりするほど≪キング・オブ・ポップ≫では十分ではない気がする。彼はただ、これまでで最も偉大なエンターテイナーだと思う』

シンガーソングライター、スモーキー・ロビンソン

『今日この場にいると思ってもみなかった。あそこにいるのは(棺の中にいるのは)私の弟だ。自分が彼を見送ることになるなんて思わなかった。だが、実際には彼は行ってしまったわけではない。これからも永遠にずっと生き続ける。世界は決してマイケル・ジャクソンを忘れない。私は弟を愛している。私はあなたの人生をたたえ、あなたと知り合えたことを誇りに思う』

マイケルの長年の友人で女優のブルックシールズ

『一緒に出かけたときや写真をとられたときはいつも『奇妙なカップル』や『似つかわしくない2人』といったキャプションがつけれらた。

でも私たちにとっては最も自然で気楽な友情の形だった。私たちが最初に出会った時、私は13歳だった。その日からずっと友情を育んできた。

マイケルはいつも私に頼れるし、私は彼と一緒に出かけられて、どこにいようとも楽しめると分かっていた。私たちには絆があった』

人権活動家のアル・シャープトン

マイケルの子どもたちに

『君たちのお父さんにおかしなところなんて何もない。変わっていたのは、君たちのお父さんが対処しなければならかったことだ』

と言いたい。彼はとにかくそうした問題と向き合った。
我々のためにそうしてくれた』

スティービー・ワンダー

『この瞬間は、生きていて見たくなかったと願っていた、そんなときだ。
私たちがここでマイケルを必要としていると思っているよりも、神様はずっと強く彼を必要としていたに違いない』

バスケットボールの元スター、アーヴィン・『マジック』・ジョンソン(NBAロサンゼルス・レーカーズのコービー・ブライアントと一緒に)

『私はマイケルがアフリカ系米国人のためにたくさんの扉を開いてくれたことに感謝したい。

アフリカ系米国人も日中、そして夜遅くのテレビ番組に出るようになった。彼は私やコービーがプレーする姿が世界に届くようにしてくれた。彼は先頭に立って、われわれのためにすべてのそうしたドアを開けてくれた』

マイケルの兄、ジャーメイン

『みなさんも知っているように私は言葉を失いました。
私は彼の声であり、屋台骨だった。感謝します。
私が言えるのはそれだけです。みなさん本当にどうもありがとう』


そしてもう一人。マドンナ


マイケル・ジャクソンは中西部の郊外で育ちました。私も同じです。

マイケル・ジャクソンには8人の兄弟姉妹がいました。私も同じです。

マイケル・ジャクソンは6歳でスーパースターになり、おそらく世界で最も愛された子供でした。

私は6歳で母を亡くしました。私は彼の方が貧乏くじを引いてしまったのだと思います。

私には母がいませんでしたが、彼には子供時代がありませんでした。

人は何かに恵まれないと、そのものに取り付かれてしまうのです。

私は子供時代を、母親代わりを探すことに費やしました。時々はうまくいったものです。

でも、生涯を通じて世界中から監視されている場合、どうやって子供時代を再現すればよいのでしょう?

マイケル・ジャクソンが世界が知り得る最高の才能の持ち主だったことには、疑いの余地はありません。

早熟な8歳の彼の歌声に、胸が締め付けられるような思いをしたり、F・アステアの優雅さとM・アリのパンチ力を持ち、彼の音楽は幾重にも重なる魔法のようです。

踊りたくなるだけでなく、大空を舞い、どんな夢でもかなえられる気になります。

それがヒーローの役目。マイケルはヒーローでした。

世界中のスタジアムでパフォーマンスをして、何億万枚も売上げ、首相や大統領と食事をして。

女の子も男の子もみんな彼に夢中になり、誰もがそのダンスに憧れました。

別次元の人のように思えましたが、彼も一人の人間。例に漏れず、シャイで不安定でした。

私は彼と親しかったとは言えないけど、1991年に彼を知ろうと思い、食事に誘ったのです。

『支払いも運転も私。二人きりで』と。
彼は警護もつけず、一人で家に来ました。
レストランには私の車で。サングラス姿の彼に言いました。

『リムジンと話してるみたい。サングラスを外して目が見えるようにしてくれない?』

彼は少し考えると、窓からサングラスを投げ、ウィンクして言いました。

『見えるようになった?これでいい?』

彼の繊細さと魅力が見えた瞬間でした。その後、私は彼にフライドポテトを食べさせ、ワインを飲ませ、悪い言葉を言わせました。

彼がしないようにしてきたことをさせたの。その後は自宅で映画を観ました。
子どものようにソファに座り、映画の途中で彼は私の手を握りました。

恋人ではなく、友達を求める手のように思えました。私は喜んで応じました。
そのときの彼は、スーパースターではなく、一人の人間でした。

私たちは何度か出かけましたが、その後は連絡が途絶え、魔女狩りが始まったのです。

マイケルへの批判が次々に出てきました。私には彼の痛みがわかります。

世界中が敵になったような、あの苦しみ。自分の弁護すらできない無力さ。

群集の怒号にかき消され、自分の声は届かないと思い知るのです。

でも、私には子ども時代があり、過ちを犯しても注目を浴びることなくやり直せました。

最初にマイケルが亡くなったと聞いたとき、私はロンドンに居て、数日後にツアーの初日を控えていました。マイケルは私と同じ会場で1週間後にライブを行う予定でした。

そのときは、自分が彼を見捨てたということしか考えられませんでした。

私たちは彼を見捨てたのです。

私たちは、かつて世界に火をつけたこの雄大な人物が、見過ごされるのを傍観したのです。

彼が家庭を築き、キャリアを再建しようとしているときに、私たちの誰もが批判ばかりしていたのです。私たちのほとんどが彼を無視しました。

彼の思い出にしがみつこうと絶望的だった私は、インターネットにアクセスし、テレビやステージで踊って歌う彼の映像を観ました。

そして

『ああ、彼はなんてユニークで、オリジナルで、レアなのかしら』

と思いました。

彼のような人は二度と現れません。彼はキングでした。

しかし、人間でもありました。私たちと同じ人間です。

その真価に気付かぬまま失ってしまうことも。最後はポジティブに締めましょう。

9歳と4歳の息子は、マイケル・ジャクソンに夢中で、家では股間つかみやムーンウォークが大人気。

彼の才能を知った新世代の子どもたちが、彼に再び命を吹き込んでいるようです。
マイケルは、今どこにいてもきっと微笑んでいる。

そうです。マイケル・ジャクソンは人間であり、キングでした。キング万歳。





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コメント(1)

マイケルのこと大好きです。
彼は本当にキングだったね。

今夜はマイケル聞こうかなほっとした顔

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