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THE 感動する話コミュの悲しい出来事を経験して

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涙そうそう

ドラえもん大賞記念賞

愛知県の熊谷君、10歳の子の作品です。(読みやすいように平仮名は漢字にしています)



『お帰り』

あれ?いつもの元気な母の声と違う、様子がおかしい。

僕は学校から弟と帰っていつもとは違う暗い空気に何かあったなと思った。

『11時頃に大ばあちゃん死んじゃった』

お母さんは、かよわい声で僕達に言った。

『えっ……』僕はつばを飲みこんだ。そこでつっ立ったまま何も言う事ができなかった。

まさかまさか大ばあちゃんが…。信じられなかった。

大ばあちゃんとは、母のおばあちゃんで92才です。
結婚するまで、ずっとおばあちゃんとね寝ていたぐらいおばあちゃん子で、ここ二年ぐらいは調子が悪くなり、デイサービスでお世話になっていました。
それでもよく会いに行っていました。

この日も母は、買い物とそうじを終えて昼から行こうとしていた矢先でどうも胸騒ぎを感じていたらしく朝からずっとモヤモヤした気分でその結果がつらい結末となりました。

僕達に

『早目に宿題と明日の準備をしといてね。夕飯を食べたら大ばあちゃんに会いに行くよ』

と目に涙をいっぱいためていた母。僕達まで辛くなった。

夜、父と兄も帰ってきたので家族で大ばあちゃんに会いに行きました。
安城なので二十分ぐらいの距離なのに何だかすごく遠く感じ全然落ち着かなかった。

車の天井を見たり窓から景色を眺めたりしても大ばあちゃんの事が頭から離れなかった。

いつもベラベラしゃべって笑っている弟までも静かだった。 
式場の控え室に着くとおじいちゃんが

『わざわざ来てくれてありがとう』

とさみしそうでした。

大ばあちゃんは、布団の上に、きれいな顔で気持ちよく寝ていた。

『大ばあちゃん寝てるみたいで、きれいな顔をしているね』

と一言だけ言ってボロボロ泣きはじめた母。

『きっと苦しまなく眠るようだったんだよ』

と父が優しく言った。

僕は大ばあちゃんとの色々な思い出を頭に浮かべた。
『おう、きてくれたか』

と僕の顔を見ると必ず手をぎゅっと握ってくれたりお菓子をたくさん買ってくれたり、ボケてしまう前は、一緒にご飯を食べておしゃべりもした。

思い出がよみがえってきた。だけどもう大ばあちゃんと思い出を増やす事はできないんだ。

大ばあちゃんの体は、もう冷たかった。腕を触っても顔を触ってもびくともしなくて目も開けないし、しゃべりもしない。

涙があふれてきた。

5月1日の金曜日、お通夜。

僕達は学校があるため夕方、父と式場に向かった。

母は昼過ぎには式場に行き大ばあちゃんをきれいにふいて白い着物を着せてカバンもかけてあげたそうです。そして、夜七時から行われた。

色々な人がたくさん出入りして、ピンクのかわいい棺の中の大ばあちゃんを見て悲しんでいました。

ぼくは、お線香を立て、両手を合わせておがんだ。目からいきなり涙が流れた。人が死ぬとこんなに辛いものなんだという事を初めて知った。

『ありがとう。大ばあちゃん喜んでるよ』

とおじいちゃんとおばあちゃんが言ってくれた。
やっとお通夜が終わった。一時間ぐらいだったはずなのに長く感じせつなかった。

次の日、朝からとてもあわただしかった。式場には僕の知らない人が次から次へとたくさんの人達がやってきた。みんな喪服姿で下を向いて暗い感じがして嫌な空気。お葬式が始まった。

土曜日だったから学校が休みでよかったと思った。
きっと大ばあちゃんは、ぼく達に会いたかったんだろうな。

『チン、ドン、ジャーン』 と部屋中に太鼓やシンバルが響き偉いお坊さん達がお経を唱え始めた。

まるで、わざとにぎやかに天国に送っているみたいだった。
昨日も思ったけど僕には何を言っているのか、さっぱり分からなくて、ただ聞いているだけだった。

お経は、長く長く、母をちらっと見たら、やはりハンカチを目にあて泣いていた。
僕は祭壇の大ばあちゃんの大きな写真を何度も何度も見た。
たくさんの花の中に大ばあちゃんの写真がかざってあって何だかとても幸せそうに笑っていた。

生きている間にもっともっと話をしておけばよかったと思って、後悔した。
やっぱり死んじゃったんだね。

おぼうさんのチーンという音がとても悲しく感じ静かにお葬式が終わった。
それから棺の中の大ばあちゃんに一人一人お花を入れる事になった。
僕は一番きれいな花がいいなと思ったけど言えなかった。

『ありがとう』

とおばあちゃんがポロポロ涙を流しながら、 大ばあちゃんの顔を触っていた。
隣で

『大じいちゃんにやっと会えるね。仲良くね』

と母のほっぺたにも涙が何回も流れた。

僕が生まれた時には、大じいちゃんは死んじゃっていて一度も会った事がないけど写真を見ると髭の生えたかっこいい大じいちゃんと天国で幸せになってほしいなと思った。

弟は、母があまりにも泣くのでつられて号泣。
みんなに見守られ大好きだった花にかこまれた大ばあちゃんの顔は、嬉しそうに、ありがとう、と言ってるようだった。

その後、火葬場へ向かった。ぼくは、火葬場にきたのは初めて。

いよいよ最後のお別れ。

『キー』と悲しくさみしい音がした。

僕は、熱くないのかなと思った。
骨になるのが想像もつかなかった。
頭の中は不安と心配とでごちゃごちゃしていた。

僕はまるで風船がしぼんだ時のように力が抜けてつっ立っていた。

骨になった大ばあちゃんが帰ってきた。僕は初めて人の骨を見た。
箸で骨を箱の中に入れた。大ばあちゃんの骨はきれいだった。

ペースメーカーと言う心臓の機械も残っていたので間違いなく大ばあちゃんだ。

そのせいか、ちっとも怖いと思わなかった。
歯もきれいに残っていて食べるのが大好きだった頃の大ばあちゃんの喜んでる姿を思い出したら、涙が勝手に落ちてきた。

それを見た父が優しく僕の頭をなでてくれた。兄も弟も全く怖がらず骨を入れていた。

『ひ孫まで一緒に骨を入れてくれてきっと感謝しているよ。ありがとな』

と言ってくれたおじいちゃんの目は真っ赤だった。長い長い時間が過ぎた。

そして初盆となった。おじいちゃんの家にみんなが集まりお参りがあった。

お経の間、最初は静かに正座していたけど、どんどん足がしびれてきた。

足をくずそうかなぁと思ったけど母がにらんでいたので、大ばあちゃん達のためにぐっと我慢した。

『おぼんの十三日の夕方にご先祖様が迷わず家に帰れるようにむかえ火を燃やし天国の大じいちゃんと大ばあちゃんが帰ってくるんだよ』

とおばあちゃんが教えてくれた。
へえ。そうなのかと不思議に思えた。

大ばあちゃん、天国はどうですか?

大じいちゃんに会えましたか?

大ばあちゃんが見守ってくれていたおかげで僕は運動会の旗取りで旗を取って大活躍できたよ。

すごく嬉しかったよ。

ありがとう。

これからもよろしくね、と僕は広い空をながめた。

大ばあちゃん、たくさんの思い出をありがとう。

僕の心の中が何だかほわっとあたたかくなった。

コメント(2)

泣いてしまいました涙

私も数年前大切な人を失ったから
広い空から見守っててほしい。
もう二度と会えないけど
空から見守ってくれてるって
信じたい‥
昨年、私も母方祖母が他界しました。 大正元年生まれの99歳でした。
脳梗塞も患っていたので、孫の私がひ孫である息子2人を連れてきても、
ただ眠っているだけでした。  
脳梗塞から出る手の震えを「そろばんをはじいてる」と
上の子に伝えておきました。

生まれてまもない下の子をベビーカーで押しながら通夜が営まれている葬儀場へ急ぎました。
翌日には旦那が上の子をつれて駆けつけてくれました。

おばあちゃんは、私の2人の息子を誰なのかを見ることはできなかったけれど
でもこうして見送らせてもらえたから、それでいいかな。 
おばあちゃん孝行になったかはわからないけれど、それで許してね。

「おばあちゃん、小さい体で後妻になってもクルクルとよく働いてたね。 私も頑張るね。」

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