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THE 感動する話コミュの甲子園劇場パート1

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今年は興南が沖縄県勢初の優勝を果たしましたね。
やっぱり甲子園は感動します。

そんな甲子園ですが沖縄県勢初めての出場は1958年の首里高校です。
この年、甲子園の沖縄県予選が始まる前に首里高校から4人の高校生が
甲子園を訪れます。

当時の沖縄は日本ではなく外国と見られていました。
日本に行くのにパスポートが必要だった時代です。

そして4人の高校生は甲子園を見て必ず県予選を勝ち抜いて甲子園に
戻ってくると誓います。

その年の県予選、首里高校は見事に初優勝を果たします。

甲子園の初戦の相手は福井代表の敦賀高校でした。
当時の沖縄の高校野球は全国に比べてレベルが低く見られていました。
初戦の結果は0−3の完封負けでした。

ですがガムシャラなプレーは見る者の心を動かして沖縄ブームを巻き起こします。

大観衆から『また来いよ』『来てくれてありがとう』といった歓声が
次の試合が始まる直前まで鳴り止みませんでした。

そして沖縄でも首里高校の初出場は本土との架け橋になると
かつてない盛り上がりを見せていました。

しかし、そんな盛り上がりの中、一つの出来事が影を落としました。

当時の沖縄はアメリカ領沖縄です。
つまり今、他国に行った時と同じく税関があります。
税関では検疫があります。

検疫にある物がひっかかりました。



甲子園の土です。



首里高校の球児たちが本土の人達の思い出と共に持ち帰った大切な土です。

沖縄に着いて那覇港へ上陸する直前に現在では考えれないひどい事がおきました。

甲子園の土を、検疫官が生徒達の見ている前で全て海中に捨ててしまったのです。

この時の首里高校の生徒達の気持ちを思うと胸がいっぱいになります。

ただ、この検疫官を責める事も出来ません。検疫官は職務上やむを得なかったのですから。実際にアメリカの税関長まで掛け合ったとも言われています。

生徒達は誰も恨むことが出来ずに、ただ堪える事しか出来ませんでした。


この出来事は翌日の新聞を通じて日本全土が知る事になります。

そして、一人の日本航空のスチュワーデスの近藤さんという方が立ち上がりました。

土は検疫にひっかかるが石ならひっかかる事はないと税関法に詳しかった近藤さんは知人を通じて甲子園の石を集めてもらい、それを首里高校に届けました。

首里高校はじめ、沖縄県民は喜びの反面、本土との差が明らかになったようで複雑な心境でした。

しかし、球児たちみんな、涙を流して喜んだそうです。

現在、その石は甲子園の内野のダイヤモンド形に姿を変えて記念碑とされ
今でも首里高校でその頃の球児たちと本土の人達との友情の証として
大切に保管されています。

コメント(6)

甲子園の土を捨てられたまでは知ったけど、まさかその続きがあったなんて(涙)
続きがあるなんて…
知りませんでした(T_T)
> みっきまんさん

画像ありがとうございますぴかぴか(新しい)
誰かのために、出来ることを精一杯する姿には胸が熱くなります。

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