ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

THE 感動する話コミュの関西やなぁ

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
阪神淡路大震災、僕も当時は小学生でよく覚えています。
関西人で良かったと思いました。笑い話もあるけど、じんわりきます。

関西圏しか分からないと思うんですけど
おはよう朝日です、でも紹介された物がこの中に何個かあります。
皮肉っぽいのもありますけど。


?村山首相はじめ、政治家は何の必要性もなかったにもかかわらず

神戸に高級車で到着

現地にはミニバンで、その中で汚れた作業着に着替える

視察が終われば高級車の中でスーツに着替える。
としていた。
1回しか視察に来ていないある議員は朝まで生テレビで視察とは違う日の
収録だったにもかかわらず汚れた作業着で参加していた。

被災者代表の小田実さんから

『私ら被災者でもスーツに着替えたのにあんたなんでそんなん着てんの?』


?食費いらず、住居費ゼロなんをいいことに避難所に居座り続けた避難民がいたことは事実。支援するグループからは

『こんだけ応援したってんのに立ち上がろうとせん。阪神といっしょや』

と避難民=タイガース論が出来ていた。(当時阪神は最下位)


?『おまわりさん、地震来たらおれらどないなんの?逃げれへんやん』

と、留置場入りした人が発する問いかけとしては震災の前々からかなりの
決まり文句で看守役の巡査は

『あんなぁ、こんなにようけ鉄格子はもて、ぶあついコンクリがビターッてかたまってあんねん。ぜったい壊れへんわ。おまえらえーなー。悪いことしてんのに一番安全なところにおるんやぞ。ええなー』

と受けるのが一つの儀式になっていた。実際巡査の言葉はウソではなく警察署の建物が倒壊したところでも留置場の怪我人はなかった。


?東灘区の倒壊地区を歩いていると、ひしゃげた家のかろうじて残っている表札の下に板きれがあり

『庭の新居に引越しました。引越し祝いは缶詰でいいです。』

と書いてあり庭を見るとテントが張ってありました。
一世一代のユーモアだが当時は笑えなかった。今なら笑えます。


?航空会社に勤めるJさんは陶磁器のコレクションか趣味です。
芦屋にある自宅は全壊をまぬがれたものの20年以上にわたって収集し
ものによっては親から引き継いだ、李氏朝鮮から伊万里、信楽、唐代チャイナから現代に至る名品の数々は一つ残らず割れた。ゴミとして捨てたJさんは

『どこに埋められるんか知らんけど、1000年後とかに学者がそこを掘って年代測定したらどの年代がホンマなんか分からんようになるやろなぁ』


?『神戸の親戚が心配で来れませんでした…』
などと全員で教授に訴え、鬼教授と言われる先生でも何も言えず
1クラス全員が単位を取得したある大学の教育学部教育学科。


?前兆。
『去年からネズミが少なくなっていた』
『ペットの犬の気性が荒くなっていた』
『そういうたら去年からやたら夫が食べ放題の店に行きたがっとった』

?震災直後の食べるものが無かった頃、とにかく大量の乾パンがさまざまな
ルートから避難所に届けられたものの固さとまずさに
『こんなん食えるかい』
とひどく評判が悪かった。

しかし他県から会社を休んでボランティアに来てくれた人には乾パンは緊急事態を感じさせてくれるアイテムなので喜ばれお土産にもされていた。会社で
『本当に行ってきましたよ』
とアリバイ代わりになるうえ、お土産代もゼロですみ、会社の同僚も
『へえ、これが被災者が食べてるパン?こんな味なんや』
と好評だった。

?嵐を呼ぶゆでたまご。
須磨区のW小学校ではボランティア団体が大量のたまごを持ち込みゆでたまごを作って配っていた。ゆでた人が中華料理店のコックだったせいか

『半熟具合が素晴らしい』

『なんでこんなうまいんや』

『これ温泉たまごらしいで』

『W小学校に地震で温泉見つかったらしいわ』

『ほな、入りにいこか』

『どこで沸いたんですか、校庭でっか?プールでっか?』
という問い合わせが相次いだ。

?東灘区の避難所で地震直後から世話になったTさんは普段からビールをよく
飲んでいた方でビールを飲みたいなぁとずっと言っていました。

ところで救援物資で送られてくる水は輸送の都合上ビール瓶に詰められてケースに並べられて運ばれていた。
TさんはKIRIN BEERのロゴとキリンのマークを見た瞬間、ビールや!
と思ったが全部水で、なんや、と落ち込んでいた。
5日目ぐらいになると遠めに銀色のピカッとしたものが視界に入ると

『アサヒスーパードライか!?』と期待していた。
あるとき、そんな話を聞いた発送担当者が気を利かせて自腹で
ケース24本のうち2本を本物のビールにしておいた、Tさんがいつものように
取りにいったとき、横で栓を開けたときの音が聞きなれた音だったので振り向くとビールだった。もちろんTさんももらいました。

震災後Tさんはアサヒの当時の担当者を探して見つけ、ビールケース24本中22本がビールで2本だけ水のケースを送って、おおきにお返しですわと言ったそうです。

?愛すべき優しい少しバカ

震災から半年後、一番遅いところでも3ヶ月前に水道が復旧していたのに夏休みになって『たいへんでしょう』と水を持ってやってきた学生があった。

?NTT兵庫の修理担当者のDさんは震災直後から出勤し被害の生々しさに涙を流しながら作業者で寝泊りして電話回線の復旧に取り組んだがDさんがとまどったのが業界用語。電話工事はチェックのさい
『生きてるか、死んどるんか?』

『いったん殺そか』

と開通、ストップを生死になぞらえるのが慣例。でもDさんは
『あの震災現場ではとてもやないけど口にできんかった。』
と言っていました。


?震災当初、テレビの現地レポートは当然下調べする余裕もなくぶっつけ本番で
この取材班も救助行為をしていた。
が、取材する家は全て住人が亡くなった家が続いていました。
ある家の前に行くと
『この倒壊家屋は…あっ犬がいます、犬だけが助かったみたいです…』

と中継していると横から

『わし生きてるよー』とおじいちゃんが出てきて中継スタッフ全員良かったと言って泣いてしまった。

?
Tさんは神戸出身で栃木の会社に勤めている。
神戸の両親に心配で電話をかけてもいつも父親しか出なかった。
『おかん出して』
『お母さんトイレ行っとるんや、混んどってなぁ』
『惜しかったなぁ、今さっきまでお母さんここにおってんけどなぁ』
『あれあれ、どっか行ってしもとるなぁ』
と母親が入院していた2週間を乗り切った。


最後?

企業がCMを流すことを避けたため、代わってさかんに流されたスポットCM。
一時はCMのほとんどがこれで、まるで道徳講座のようだったが
被災者からすれば

『オモチャを捨てるようにペットを捨てる人がいます…』

今、飼っとった犬を探しとるんじゃ。

『水は限りある資源、大事にしましょう…』

しとる。

『ゴミを出さないようにしましょう…』

全部ゴミになってもうたわ

とタイミングが悪いスポットCMだった。

コメント(3)

少しだけ現地でお手伝いさせていただき、自分の無力さに落ち込んだのを思い出しました…。
でも、さすが関西人って感じですね。特に、4・5・10・14の話が好きですわーい(嬉しい顔)
1は…「やーい、やーい」と言ってやりたい。
村山政権より山口組の方がよっぽど人道的な組織だなと感じたのふと思い出しました。
こういう歴史は繰り返して欲しくなかったですね……
ホントに政治家って、今でも昔でもどうしょもなく頭の悪いやつが、必ずいるんだなってのが改めてわかったダッシュ(走り出す様)┓( ̄∇ ̄)┏

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

THE 感動する話 更新情報

THE 感動する話のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング