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野田正彰コミュの「残留孤児の内なる悲鳴」

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信濃毎日新聞 11月4日(金)付夕刊
今日の視角「残留孤児の内なる悲鳴」

▼長野県下伊那郡の泰阜村に、「満蒙開拓団」の残留孤児だった人びとを初めて訪ねた。残留孤児や婦人の受け入れを拒絶する日本人の心を主題にした演劇「再会」、それを十三年間にわたって上演し続けてきた渡辺義治、横井量子夫妻と交流があったので、泰阜村は私にとって遠い遠い山里ではなかった。

▼それにしても、聞いて想像していた以上に、切り立つ山肌に家が点在している。敗戦から一年後、いち早く帰国し、以来残留者問題を訴え続けてきた中島多鶴さんの家は、天竜川を眼下に望む崖にへばりつくように建っている。

▼枯れ葉が空に舞う秋の日、私は残留孤児たち、とりわけ彼らの子どもたちが、今日の日中関係をどう憂いているだろうか、想いをめぐらせながら、体験を聴いていた。半世紀ほどをへて、やっと帰国した人びとは社会的弱者のままである。それ故に彼らは政治問題とみなされる事件にほとんど意見を言わない。だが意見がないのではなく、むしろほとばしる想いがありながら、弱者故にそれを抑えているのであろう。

▼五千人ほどの泰阜村から、国の政策により千百三十九人が満州開拓へ送られた。敗戦時の逃避行で死者六百三十八人、生死不明五十人。生き残った子どもは中国農民に助けられ、あるいは嫁として買いとられていった。文化大革命の間、しばしば「日本鬼子」、あるいはその鬼の子どもと呼ばれていじめられた。

一九八〇年代、九〇年代、多くの残留者が帰国したが、彼らの子どもたちは今度は「日本人」としていじめられた。開拓団の第一世代(親の世代)の半数ほどは戦乱にまきこまれて殺され、第二世代、第三世代は日本と中国の間で苦しんできた。そんな彼らが、小泉首相の靖国参拝をどのように見ているだろう。

▼「思想、良心の自由がある」「どうしていけないのか、わかりませんね」とうそぶく首相に、「もうやめてほしい」と内なる悲鳴をあげている人がどれだけいることか。日本と中国に引き裂かれ、その傷をいたわりながら生きている人がいることを、私たちは想ったことがあるだろうか。

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