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武蔵野火薬庫★ぐゎらん堂コミュのHISTORY AND HERSTORY OF ぐゎらん堂

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年表を作りたいと思います、とは言え分かったのはオープンの月だけ
みなさんのご協力お願いいたします
どんな細かいことでも構いませんので

随時アップデートします


1970年 10月28日 祝★ぐゎらん堂 開店

1971年 「武蔵野タンポポ団」ぐゎらん堂にて結成 
(主なメンバーは高田渡、シバ、若林純夫、村瀬まさみ、山本コータロー、)

1980年 11月「ぐゎらん堂10周年記念/熱烈デスマッチ・ライヴ」

出演 11/1(土)青木ともこ/友部正人
    11/2(日)津和のりこ/ちゃんがら
    11/3(月)あがた森魚/なぎら健壱
    11/5(水)田中研二/三上寛
    11/6(木)ラリー・フラムソン/古川豪
    11/7(金)佐久間順平/中川五郎
    11/7(金)佐久間順平/中川五郎
    11/8(土)佐藤博/シバ/高田渡


1984年 3月11日 吉祥寺バウスシアターで
「武蔵野フォークジャンボリー’84吉祥寺発ぐゎらん堂EXP」開催
出演
斉藤哲夫、電気ブラン、ながさわみきお、サスケ、佐藤GWAN博、森千代子、友川かずき、英浩ブラザース、深コージ、敦賀隆(元ボブズフィッシュマーケット)、高田渡、シバ、武蔵野タンポポ団

1985年 10月  ぐゎらん堂☆閉店
(15年の時を経てぐゎらん堂閉店。 空っぽになってしまったぐゎらん堂を、最後に出たのは「ちゅうそつ」レコードを殆ど引取ってくれたのは、国分寺のほんやら洞、備品を引き取ったのは秩父のホンキートンク)

コメント(72)

クレジット忘れました。
By 若林純夫さんです。

ナスの丸焼きの絵、眼鏡だね
meg、写真見たときすぐわかったよ。
ダンナ懐かしい、シバとよく組んでた。気のぬけたような「いらっしゃい」が耳に残っています。どうしてるかな。いち時期骨董扱っていて京都の私の実家で会ったことあるよ。
夜更かしふみさん。
ボクもすぐ解ったよ。というよりあの顔はダンナしかいない!

ダンナのいた時期の夜の関係者は、まだ殆ど参加してないよね。
ダンナの頭髪の毛が多く見えない?
ダンナ、元気かな? 

'80年代の前半は、しばらく須田くんと組んで神奈川県秦野市周辺にいたんだけど。そのあと、'80年代半ばかな、平塚駅の「ラスカ」という駅ビルでばったり会って以来、消息がわからない。
 どなたか、ご存知?
ダンナは私の一番古い友人で、まだ「ぐわらん堂」の無い頃に「タムタム」と云う所にに連れて行ったのは私です。そこには上京して来た、渡やふみさんも訪ねて来ました。ももちろん、だんなを「ぐわらん堂」に連れていったのも私でした。そして、ダンナと云うあだ名を付けたのも私です。
今年の小金井市公会堂の、渡を送る会の時に会いました。あいかわらずのダンナで、元気そうでした。大阪の人間には見えない所が、当時から不思議でしたが、今から思うと、やっぱりお好み焼きにはうるさかったように思います。

機材-キャノンP
フイルム-コダック/トライX
撮影-若林純夫
♪あ〜あああ もうだめだ
家賃は上がるし稼ぎはさーがーる

ってダンナの呟きだったとか。
♪(この世で)という歌ね、1番の歌詞、全部ダンナの言葉です。夜の「井の頭公園」のベンチに腰を下ろしたときダンナがつぶやいたセリフ。「腹は減ったし、金はないし」〜死んじまいたいくらいだが〜。でも、もしもこの曲がミリオンヒットしたら、やっぱりダンナにも印税分けなくちゃダメだろうな〜!
まっ、ありえないか!ミリオンヒット!!
どこにUPするか悩んだけど、ここにします。

何かお宝を探そうと思って、
「名前のない新聞」1974.5.5号を引っぱり出しました。
なまず屋や西洋乞食の広告を懐かしがっていたら、
見つけましたよ。ぐゎらん堂の広告に!

本当にモーニングサービスって出てますね。
まったく覚えていない! どんなセットだったんだ?
店内にメニュー出てたかな?
大体、僕は昼にバイトの経験あるのに、
まったく記憶がないのは歳のせい?
それとも、まったく人気のないメニューだったから?

あと、どうしても三杯目に挑戦したくなった
電気ブランのコピーはどなたが考えたのですか?

ちなみに、この週の水曜コンサートは林亭でした。
あらま、電気ブランのこのセリフって
あがたさんの歌にも出てくるけれど、
元ネタは誰なんでしょう。ほんと。
このモーニングサービスってセットじゃなくて、値段が安くなるんじゃなかったかな。
通常価格150円が130円みたいな。
高校生のころはよく開店前からいってて、うっすらとそんな記憶があるのだけれど。
>nami3さん
お宝ありがとうございます。
1974年で電気ブラン170円って安かったですね。
ボガのコーヒーよりも安い。
コーヒーはFFビルの「檸檬」が一番安かったと思うけど。
ビルに入る前の「檸檬」はコーヒー1杯70円でしたね。69年か70年代、井之頭通りのほうにあった立ち食い蕎麦の「かけ」が25円。餃子ライスが120円、カツ丼が150円で、これはちょっと手がでなかった。
70年当時「タムタム」でニッカのシングルが150円で、これでずいぶん粘りました。そこで、ぐわらん堂の開店チラシと、配られたマッチ箱を見た記憶があります。駅前で配っていたと、常連のお客さんがみせてくれました。
71か72年頃、南町の三吉食堂
みそ汁10円ごはん30円、100円あればおかずも頼んで腹一杯食えた。
だれか覚えている人いない?
はしばしさん
たしかに、あがたさんの曲にも出てきた記憶があります。
でもホント、飲んべえをそそるコピーですよ。

ひろさん
つまり、学校に行かずにぐゎらん堂に出席って事ですね。
でも、「安くなるからモーニングの時間までにぐゎらん堂に行こう!」
って事が、当時たったっけ?
まったく記憶がないんだよねぇ。
でも、時間的に“モーニング”っていうより“ランチ”ですよね。

もーらんど中島さん
でも、当時その170円がなかったんですよ。
ねっ? ひろさん。
そういえば、○川さんの最新(?)の文庫に“泥水のようなコーヒー”
と表現されているボガより安いコーヒーを飲んでいましたね。

シバさん
えっ! 漢字の「檸檬」って、ビルに入る前にも店があったんですか!?
どこにあったのですか!? あの無口なマスターがやってたのですか?

そもそも、“漢字”の檸檬て、お茶の水の「LEMON」との区別で
“漢字の〜”って言っていたんですっけ? 記憶無し!
そうそう、○川さんの最新(?)の文庫には、「あっ!! これ漢字の檸檬だ!!」
と分かる描写がありましたが、
あの、カップすかすかに運ばれてくるミルクティーが懐かしい!

ちなみに、○川さんの「業界の濃い人」角川文庫 笑えます。
nami3
いやいや、朝は学校に行って、学校で友人と合流してお昼前に早退(?)していってたんだと思いますよ。
「安くなるからモーニングの時間までにぐゎらん堂に行こう!」 というより、学校にいても面白くないから、ぐゎらん堂に行こう!って感じかな。
確かに時間的にはモーニングじゃないよね。

ビルに入る前の「檸檬」の話、私もはじめて聞きました。
どこにあったんですかね。
nami3さん、
わたしも「名前のない新聞」をけっこう持っていて、なんと、ロスまで持ってきていたの(すっかり忘れていた!)。

ほとんどが72年のもので、5月7日「準備号」「このしんぶんの名前募集!」という号外まで持っていました。「例」として、「民主青年しんぶん」、「少年フレンド」「少年リボン」、などと載っていて、時代を感じさせるよね。

そのころ流行っていた「BeIn」の字もあちこちに・・・。
「Kiss In」っていうのもあったよね。その日、井の頭公園に行ったら、お姉さんお兄さんたちがそこいら中でキスをしていて、あせったっけ。中卒もいたでしょ?

このしんぶんで、切手を繰り返し使える方法や、バナナでトリップ(しないけどね〜)を知ったし、はっぱは悪くないっていう洗脳を受けちゃったような・・・。
バナナでトリップ、切手を繰り返し、ありましたねー!
そうそう、バナナでトリップなんてしないしない。
鳥もいないのに鳥の餌かってみたり
みめさん

>このしんぶんで、切手を繰り返し使える方法や、バナナでトリップ(しないけどね〜)を知ったし〜

覚えてる、覚えてる! だいたいの事は試したよね。
そういう意味では、当時の高校生たちの
その後の人生にまで影響を与える偉大な新聞だった訳だよね。

でも、今も続いてるっいうのが、ホント驚き!
49: みめさま  50: megさま  51:nami3

「切手を繰り返し....」の切手を貼った郵便物('70年代、ぼくのところに届いたやつ)がどこかにあったような気がする。探してみます。
ハルキさん、
楽しみにしてます!

73年(たぶん)のわたしの日記、8月19日のページ。
「今日ははるきさんのバースデーだから、6人(のりむつ、コージ、王、村上、ルナ(私のともだち)、わたし)でお金を出し合ってディズニーの時計をプレゼントしました。」
とあります! 次の日・・・
「ぐゎらん堂で映画の撮影。渡さんのドキュメンタリーとか。
はるきさんにプレゼントのお礼をしてもらって・・・風月堂のクッキーを1テーブル1皿づつくれました。とっても明るいぐゎらん堂でした!」
なんて、覚えていますか??
おいくつの誕生日だったんでしょうね?
ミッキーの時計・・・だったのかな??
あー俺、、、、覚えてない!(のりむつ)
みめさま

 そうです! 8.19が誕生日! 1973年でしたら、29歳のバースデーですね。お祝いしてくれてありがとう!
 ディズニーの時計って、ポップな緑色のビニールのリストバンドでミッキーの腕が時を刻むやつでしたっけ?
 その日はすごくハッピーな1日だったようですね。

 ようですね……というのも、じつは、74年の30歳の誕生日(なぜか、ほとんど人気がない閑散としたぐゎらん堂店内で、ガンさんだけが祝ってくれたバースデーでした。2人で水割りとオヤジギャグの応酬)のほうはよく憶えているのに、29歳の誕生日はぼんやり、どんより、まだらボケ......ごめんなさい。
 そのへんの記憶、また思い出したらぜひ聞かせてください。失われた過去を取り戻そうと思います。

 とにかく、その節はありがとうございました!
みめさま、 megさま、nami3さま

27年後によみがえる対抗文化的フリー切手!

 すごいですね! さすが、天下無双のフリーペーパー『名前のない新聞』の影響力。
 これが、みめ、 meg、nami3 諸君がいっていた切手を「繰り返し使える方法」の実践版というか、実物=つまり、ニッポンの1970年代カウンターカルチャーの物証であります。

 『名前のない新聞』の主筆のアパッチやその愛読者諸氏は、たとえば、NHK受信料不払い運動と同様のノリで、切手を買わなきゃ通信がままならない郵政制度を巨大な搾取機構としてとらえていたわけですね(郵政改革の本質的なモンダイはここにあるのかもしれない)。
 フリーペーパー(思想自由にして金銭無用新聞)を届けるのに、なぜにカネをかけなくちゃいけないの? 

 ──というわけで、一度買ったら何度でも繰り返し使える、経済的にして、エコロジー精神に富んだ、このようなフリースタンプ(通い箱的金銭無用切手)の手法を編み出したというわけですね。

 これって、いまでも、通用する手。ニッポン国民がこれを実践すれば、小泉改革も郵政システムも虹の彼方へぶっ飛んじゃったりして。
ハルキさん、

すごい! 時代の産物的手紙ですね!! 
わたしもこの「切手の表面にのりが・・・」ということばを書き、友達に手紙を送りまくっていました。なんて懐かしい20円切手!

NHKの受信料は父も不払い賛成派で、なんだか急に父を物分りのいい大人と感じてしまったような記憶が・・。

ハルキさん、あの時29歳だったんですね。すご〜〜く大人だったなぁ(おじさんとは言わないよ!)。ミッキーの時計、たしかに、キレイな緑色でした。覚えていてくださって、本当に嬉しい!
それに比べて、のり〜、忘れちゃったの??
記憶にございません(爆)

すんまそ、、、。
ハルキさま
すっごいものをお持ちですね。
かつて、自分がとんでもないところに出入りしていたと
つくづく感じ入ってしまいます。
そして、自分が段々ぐゎらん堂2005に遊びに来ている感覚になってきます。
これは仮想店舗なのか実在店舗なのか分からなくなる感じ…。
本当にこのコミユニティは、30年の時空を超える
タイムマシンみたいなメディアになってるのではないでしようか?
nami3さま

 ほんと、昔の資料を整理していると、タイムマシンみたいなメディアにモノを書いているような気がします。

 でも、ですね、「段々ぐゎらん堂2005に遊びに来ている感覚」にならないでください。私めが、また、お客さんをもてなすマスターをしなくちゃならない気分になるじゃありませんか。
 この2週間、疲れがひどいのはそのせいかな? ちなみに、この店のママさんはmegママだよ。

 ぼくだってお客さんになって遊びたいのだ。

 ──というわけで、『名前のない新聞』に敬意を表して、’70年代吉祥寺の光源氏=アパッチの写真をアップ!
ひさしぶりにこのトピ上げるよ。

54年前の今日3月23日おとろしいことがおきていたのだった。

ちゅうそつ、お誕生日おめでとう!!


☆不味そうな、アメリカンケーキですが。
ハッピーバースデェー、中卒!!

わたしの当時の日記に、
”きょう中卒が、「ボク、小さい時かわいかったんだよ。」とみんなに言ってまわっていました。みんな「え〜っ??」という顔をしていたら、「本当だよ、今度写真をみせてあげるよ。」だって。どんな写真だろう。早く見たいな、楽しみ!”
なんて箇所を発見!
その写真って、以前自己紹介に使っていた物かもね。うん、本当にかわいかったのね、33年目の真実!! 
今は頼もしいおっさんになっちゃったけど、中卒、本当におめでとう!!
みめ アリガト!
megも 度々アリガト!

megは6月。みめは8月。
日本に帰ってきたら宴会だ!

何年も前から、あの当時のことはまとめようと想ってたんだけど、
貴女達のおかげで、孤独な作業であったはずのモノが、みんなと楽しく出来て、とても感謝してます。
 そうかー、もう54歳か。ジジイになったもんだ。というか、ここにきてるみんなが一斉に年を食ってるのがなんだか面白い。昔はみんな20歳そこそこだったのに。
ちゅうそつおめでとう

例の野球大会で、キャッチャーやってるちゅうそつの写真が出てきたので、お祝いにアップするね。
バッターはシバくんかな?
しかし、のんびりした草野球だよね〜
 忠治の右にいるのは俺かなあ。
 羽根木球場だっけ、これ。まわりの建物が凄く低いけど、今はどうなってるんだろ。あのへん最近いかないからなあ。
 俺は学生時代の写真を、自分の本を作るときにデザイナーとイラストレーターに貸して、すべて失くされたんで、このころの写真を見ると嬉しいんだよ。
ほんと〜こんなのんびりした時代だったてなんか不思議
中坊さま

 遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます! 

 ぼくの場合、ぐゎらん堂から身を引いてからの25年間、ちょっと前まではぐゎらん堂に対する記憶と関心は薄れていく一方でした。

 ところが、その記憶の引き潮にいつもストップをかけてくれたのが中坊なのでありました。多くの場合、吉祥寺がからんだ誰かの「訃報」というかたちで電話をくれては、突然、ぼくを'70代に引き戻してくれた張本人なのであります。

 そして、このmegが立ち上げてくれた「ぐゎらん堂2006」事件をいち早く知らせてくれたのも、ほかならぬあなた=中坊なのでした。ほんとうに、ありがとう!

 おかげさまで、最近では、あのころのぐゎらん堂の夢を見るまでになりました。土曜の夜の満席の、クソ忙しい時間帯に汚水が溢れ出たトイレの故障を直したり、今月の店の家賃の支払いをどう工面しようかと思い悩んだり、どうやっても辻褄が合わない確定申告時の税金の計算に悩まされたり、夜な夜な、汗びっしょりになって眼を覚ましたりするのも、ひとえにあなたのおかげなのだと感謝しております。

 考えてみたら、ぼくの場合、こーゆー友人ってあまり多くないんだよね。人情、紙の如し。コンニチハ、サヨーナラだけの一過性の人間関係が多くて。そーゆー意味では、ぼくの大脳新皮質まで立ち入ってくれて、冷や汗悪夢まで見させてくれる友こそ真の友。心から、感謝しております。
 
 あらためて、お誕生日おめでとう! 
 これからも、私めと遊んでやってくださいませ!
 

 
いいなー ゆみこ&はーきのバースディカード

そうか、全然知りませんでした
支払いや家賃の工面、貸付帖だけは厚かったよねいつも

P chanが中学生でもタバコを吸わしてくれたお店って書いていたけれど、勿論わたしも右手にシンセイ左手にロックグラスの不良高校生でした。
一応大人のゆみこさんとハルキさんの目にはどんな風に写っていたのだろか。
家出の子もいたでしょ。
megはシンセイでしたか。

ぼくはバットとか朝日とかも試してました。

高三の時のバイト先での年末打ち上げの飲み会で、土方のおっさんにおそわった替え歌を思い出します。♪立て万国の労働者〜のメロディーで、
♪国民のターバーコ シンセイは〜安くて数がぁ多い〜
ピースじゃぁ〜高すぎるうー、バァットじゃー品が無いぃー
国民のターバーコ シンセイは安くて数がぁ多い〜

2番は、♪国民のサーケー ショウチュウはぁ〜安くてまわりがハヤイ〜
ウイスキーじゃぁ〜高すぎるうー、ビールじゃー品が無いぃー
国民のサーケー ショウチュウはぁ〜安くてまわりがハヤイ〜

こんな感じでした。
ハルキさん
ありがとう御座います。
一緒に遊ぶネタはまだまだ有りそうなので、当分は楽しめそうです。

meg
家出した子のあだ名は「家出」。初期から中期にかけての子だよね。83〜4年頃一度「ぐ」に来たことがあって、その時は、離婚した相手の所にいる3人の子供への仕送りで四苦八苦していた。

setsuko
そのとおり、バッターはシバです。
このノンビリした感じ。イイよね!

波平さんと同い年になった「ちゅうそつ」
カワムラさん、その唄知ってる、ぐゎらん堂で誰か歌ってなかった?
シンセイはかっこつけだね、ハイライトがメインだったかな。
元祖オヤジ
田中氏が言ってたけれど(確かここに書き込んであったような)
渡さんにタバコだったらなにがいいのか、とまだ吸っていなかったころ聞かれて。タバコだったら缶ピーでしょと教えたら、早速缶ピーを持ってきたとか、ポケットに忍ばせていたのかしら。

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