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夕方堂コミュの推理小説と差別(?)表現

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エラリー・クイーン『Yの悲劇』を読み終わった。

で、登場人物に盲目で聾唖の女性がでてるんだけど、始終「不遇の女」「かたわの女」「みじめ」「哀れ」ていう表現が使われるんだよ。もうほんとこれでもかってほど多用されてたよ。
『Yの悲劇』が書かれたのは1933年のアメリカ。
戦前だからしょうがないのかもしれないが、福祉国家移行期の日本に住んでる私としては、これらの表現が本編よりも気になってしょうがない。
障害を持つ人にたいして「かたわ」なんていうのはもってのほか、という価値観を社会から植えつけられてんだね。
それにしても、社会通念がジャマして作品に没頭できないというのは、なんか気持ちが悪い。損した気分だ。

筒井康隆の短編『無人警察』に「テンカンを起こすおそれのある者が運転していると危険だから」という文章がある。
この文章が「てんかんに対する差別を助長する」として、テンカン協会が削除を求めた。これが出版社をも巻き込んだ差別表現自主規制問題に発展し、ついには筒井康隆が断筆宣言をするに至る(断筆宣言は3年3ヶ月後解除された)。

この断筆宣言騒ぎをみてて、うちは「テンカン協会あほだなあ」なんてお気楽に思ってたんだけど、なんか他人事じゃないのかもしれない。という気がしてきた。
10年後「差別を助長するじゃないですか!ウキ〜!!」とか言って「クイーン絶版運動」してたらどうしよう。

コメント(4)

不遇 哀れなど

まあ、勝手に決めんなボケって感じではありますが、
当時は実際に不遇で哀れな人生を送らざるを得なかった時代じゃなかったのかしら?(どんなニュアンスでそう表現されていたのか知らないので・・・)

例えば、その状況を「ハンデ」と呼べないのだとしたら、それもウソのような気がするんですよ。
でもそれも俺が想定してるような生き方においての話であるから、やはり余計なお世話であるとする言説も真に正しいと思います。
ニュアンスはねえ、特に意味などなく、当然のように形容詞でついてるかんじ。「この不遇なメクラで聾でオシの女は」という具合に。
1933年のアメリカは福祉の在り方がどうだったのか、よくわからないけど、障害者は「不幸」のカテゴリでひとくくりされてたんだろうな、とは感じる。


うち、「かたわ」「不遇」という表現をみて、
「障害者に対して失礼だな」と思ったんじゃなくて、
「おいおい,それ差別用語じゃねえの?」って思ったんだよ。

自分の意見はそこにはなくて、ただ、一般的な社会通念を機械的にあてはめて非難してたんだよね。
なんかそういう自分が醜い人間な気がしてイヤだったんだ。
差別用語はガキの格好のえさになるんだろうなー。
まったくばかげてる。
いつだって一部のバカのために全体が苦労する羽目になる。
(個人情報保護法のことを言ってるらしい)

や、まぁ、色んな意見が出るといいね。

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