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新日曜美術館コミュの2004/10/17放送

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■2004/10/17放送『新日曜美術館』「ヨルダン 美の遺産〜悠久の古代への旅〜」

司会 山根基世、はな
ゲスト 藤井純夫(金沢大学文学部教授)

 2000年近く前、岩山に彫られた数々の巨大神殿。砂漠の中に忽然と現れる8世紀の城。内部に描かれたフレスコ画は、世界遺産にも登録されています。そしてこれはローマ帝国が作り上げた十大都市の一つ。ここは50万年にも渡る人類の歴史が刻まれた砂漠の王国、ヨルダンです。古代から伝わる美の遺産は、私たちにどのような物語を語りかけてくれるのでしょうか。

▲ 新日本美術館。今日は東京の世田谷美術館に来ております。今日は、今ここで開かれているヨルダン展をご紹介しましょう。まずヨルダンという国を地図で確かめておきましょうね。

ハナ はい。こちらがヨルダン・ハシェミット王国ですね。このヨルダンは、イスラエル、シリア、イラク、サウジアラビアに囲まれているとても小さな王国ですね。

▲ この中にたくさんの優れた遺跡がある。そして今その出土品がここに展示されているわけですが、早速今日のお客様をご紹介しましょう。金沢大学文学部の藤井純夫さんです。

 よろしくお願いします。

ハナ このヨルダンという国なんですけど、名前はよく聞くんですが、どういった国なんでしょう?

 自然環境の面でも、歴史文化の面でも、非常に多様なものが、コンパクトにぎっちり詰まっているという非常に面白い国です。例えば北部、北西部は都市・農村の社会ですけれども、ヨルダンの南部にはですね、典型的な遊牧の社会がある。このことは中東全体の国について言えることなんですが、ヨルダンの場合は非常に近い距離に全く性質の異なる社会が併存しているということで、我々にとっては非常に面白い。

▲ このヨルダンに一体どんな遺跡が残っているのか、見ていきましょう。

 アラビア半島の付け根にあるヨルダン・ハシェミット王国。面積はほぼ北海道と同じ広さですが、そのほとんどは砂漠に覆われています。人口は550万人。9割以上がイスラム教徒です。祈りの時間にはモスクに大勢の人が集まってきます。この国の歴史は古く、イスラム以前にはエジプトやローマなど大文明の影響を受け、また旧約聖書の舞台でもありました。古くから交易都市として発展してきた首都、アンマンには町のあちこちに、様々な時代の遺跡が残されています。
 アンマン市内を見下ろすこの丘には、古代からイスラムの時代まで、いくつもの城や神殿が築かれました。この城跡は、旧約聖書に登場する、ある物語の舞台となりました。レンブラントなど、西洋絵画の巨匠たちが好んで描いた、ダヴィデとバテシバの物語です。イスラエルの王ダヴィデは、部下の妻バテシバに横恋慕をし、なんとか我がものにしようと画策、その夫ウリアを激戦地に送り込むのです。当時ここには、イスラエルに敵対するアンモン王国の城がありました。難攻不落といわれたこの城に攻め入ったウリアは、ダヴィデ王のもくろみ通り、戦死してしまいます。しかしその後、バテシバとの間にできた子は死産、ダヴィデはその罪を悔いることになるのです。
 アンマン郊外には、さらに時代をさかのぼった古い遺跡があります。人類が定住生活を始めた頃の遺跡、アインガザルです。紀元前7300年頃から2000年以上も続いた大型集落の跡です。

 ここアインガザルにはかつて川があり、丘の上には森や牧草地がありました。農耕を始めるにはうってつけの場所だったのです。最初の頃住みついたのは200人ほどでしたが、豊かな環境で生産性も上がり、人口は急速に増加、10倍以上に膨れあがっています。

 ヨルダン国立考古学博物館には、1970年代の発掘でこの遺跡から出土した品々が数多く展示されています。それは古代の生活を知る大きな手掛かりになっています。出土品の中でも注目されたのが人型の塑造です。これまでに32体が見つかっています。これほど古いものは、世界にも例がないという大発見でした。先祖の崇拝や悪霊払いなどに使われていたと言われています。動物の土偶も150体以上見つかっています。これは人の頭蓋骨に漆喰を塗り重ねたものです。骨の部分は既になくなって、漆喰だけが残されています。アンマン周辺にはアインガザルをはじめ、数百という遺跡があり、古代の生活や文化の変遷を見ることができるのです。

ハナ こちらの人型の像、私、今回の展覧会で一番楽しみにしていたんですけど、約9000年前にできたもので、何か見ているとね、すごく夢があるなって、いろんな物語が浮かんでくるような像だなと思って見ていました。

▲ 目が何か遠くを見ているふうで、口をきりっと結んで、何か哲学的な、思索的な顔にも見えるし。とっても新しいと思いません?何か現代アートみたい。

ハナ フフフ。こちらの像はどうやって作られたんですか?

 はいはい、葦などの植物の繊維をですね。それを束ねて芯を作る。それから漆喰、プラスターを塗って、最終的に細部の仕上げに、例えば目のあたりは天然のアスファルトを用いて着色したりして仕上げたということです。

▲ これは神様なんですか?

 ええと、まあいろんな説があります。家族にとっての重要な祖先の崇拝用の像であるというのが一番ポピュラーな説なんですが、これ以外にも有力な説がいくつかありまして、一つはおっしゃったように、村の守護神というか神様であるという説、もう一つは古代の人が病気になったりしたときに、その病気を悪霊が取り憑いたというかたちで捉えた。したがって悪霊を祓わなければいけない。いくら呪文を唱えても祓えるわけじゃないので、祓った後移す、その身代わりとなってくれる人形として作ったんだという、悪霊を追い祓うときの移す先として作ったんだという説もあります。

ハナ なんか一つの答えがないところがまたこの神秘性に繋がるのかもしれませんね。

 そうですね。

ハナ こちらは恐いですね。頭蓋骨ですか?こちらの作品は本物の頭蓋骨をまたかたどっているわけですか?

 はい。二次葬と言いまして、いったんそれを埋葬して、それが白骨化した後で、まあこの場合はまた頭蓋骨だけを取り出してその後から漆喰の一種を塗って、生前の顔に近づけて復元しているというわけです。

ハナ せっかく、ここ埋葬した体をまた取り出すという儀式は普通に行われていたことなんですか?

 ええ、まあこれは古い時代には決して珍しいことではなくて、とりわけ遊牧民の場合はですね、動き回りますので、どこで亡くなるか分からない。そうすると亡くなった場所でいったん仮の埋葬をしておいて、後でもう一度そこに回ってきたときに、白骨化したものを取り出して、その集団に固有の墓地、聖地に埋葬しなおすと。要するに二回目ですから二次葬と言うんですけども、そういう風習はごく一般にあったことですね、はい。

ハナ この中に本物の頭蓋骨があると思うとちょっと恐いですね。

 これは中に実際に入っていますから、レントゲンで撮れば出てくるでしょうし。で、向こうの作品はですね、外側の被せた漆喰だけが残っているというものですね。

ハナ なんかその人が蘇ってきたみたいで、またそれも不思議な感じがしますが。

ハナ こちらは鉄器時代のお部屋になりますか?先ほどからまた5000年も経ってしまったんですね。

 そうですね。

▲ これは男女なんですか?

 ええ。まあ、王と王妃というふうに考えられています。

ハナ この小さいサイズのものはどこに飾ろうと思って作られたものなんですか?

 これは遺跡してよく残っていたという場所から出たわけではないので、何とも言えないんですけれども、むしろこのちっちゃいということが面白い。同時代、鉄器時代の中東では例えば末期王国のエジプト、メソポタミアにはアッシリアとかバビロニアとか非常に大きな王国があって、とんでもなくでかい、大きな彫像を作っていますよね。それに比べると小ぶりで、いかにもヨルダン的というのを感じなんですよね。

ハナ かわいいですね。

▲ つつましい国…。

 かわいいというかとぼけた感じのこう…。こういうものがまあヨルダンのいかにも素朴がイメージを代弁していると思います。これがちょうど鉄器時代でありますから、旧約聖書が盛んに述べているところのヨルダン川の東の三カ国、つまりアンモン、モアブ、エドンと。そのうちの一つ、アンモンの王様たちの像だということなんですよね。

ハナ よく見ると衣だとかアクセサリー類にも目がいきますね。

 ええ。これも一つの特徴的なものですよね。

▲ もしかしたらモーゼもこれを見たかもしれない。違う?

 ええと、モーゼはね。わずかにこれより古いかもしれない。

▲ あ、そうですか、失礼しました。

 でも接近してますよ、たしかに。

▲ いずれにしても、この時代に王の道というのができたんですよね?

 そうですね。

▲ この王の道というのは交易に使われていた道なんだそうですけれども、この道沿いにたくさんの遺跡が残され、またたくさんの物語も残されているそうです。今度はこの王の道を南に下る旅に出たいと思います。

 かつて、シリアのダマスカスからエジプトを結んだ交易路、王の道をアンマンから南へ下っていきましょう。この道は東西文明が交叉した道であり、いくつもの王国が争奪戦を繰り広げてきました。古くは旧約聖書の舞台ともなり、キリスト教からイスラム教へと移り変わっていく様々な時代の痕跡を見つけることができます。
 アンマンから30キロほど下った、マダバの町。この町では住民の半分がキリスト教徒。数多くの教会が立っています。中でも4世紀から7世紀、ビザンツ時代に建てられた教会には、内部に美しいモザイクが残されています。聖ジョージ教会の床に描かれているのは、古代パレスチナの地図。現存する唯一のものです。地図の中心に描かれているのは、6世紀頃のエルサレムの町。巡礼者に聖地の正しい場所を教えるために作られました。全部で230万個ものカラフルな石が使われています。エルサレムの上には、魚の泳ぐヨルダン川と死海が見えています。
 マダバでは、今でもモザイクの製作や修復が行われています。モザイク職人を育てるための工房もあり、昔からの職人技術が受け継がれてきました。その制作過程をちょっと覗いてみましょう。モザイクのピースに使われているのは、石灰石や大理石です。これを、のみを使って一定の大きさに砕いていきます。石を色づけするのではなく、いろいろな色の石を使っています。カットした石は糊を付けて、下絵が描かれた布の上に貼り込んでいきます。色や形、大きさを上手く揃えられるかどうかで、仕上がり具合が変わってしまう大事な行程です。糊を乾かして、ごみを取り除けば完成です。様々な石の組み合わせで、綺麗な絵模様ができあがります。古代ローマからビザンツ時代にかけて盛んに作られたモザイクの技術が現代に受け継がれていました。
 マダバを東へ9キロ、ネボ山があります。ここはモーゼ終焉の地と言われている場所です。山頂にはそれを記念して、3、4世紀頃に教会が建てられました。この中にもモザイクが残されています。当時の狩りの様子や、家畜として飼われていた動物と人間との関係が、鮮やかな色彩を使って表現されています。
 教会の外には、蛇と杖をかたどったモーゼのモニュメントがあります。眼下には、死海とイスラエルの大地が見えます。40年間の流浪の末、約束の地、カナンを目前に、モーゼはどんな思いでこの光景をみたのでしょうか。
 塩分濃度30%の水面に体を浮かせて楽しむ人たちがいます。死海は海面下およそ400メートル、世界で一番低い場所にあります。一年を通して温かく、ヨルダン最大の観光地となっています。
 死海のほとりを南へ下っていくと、山頂が平らに削られた不思議な形の山と出会います。山の上には遺跡が見えています。ユダヤのヘロデ王が作った要塞、ムカウィルです。イエスに洗礼をした預言者ヨハネが首を切られた場所で、オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」によって有名になりました。山の中腹には無数に横穴が彫られています。かつて土牢として使われていました。ヨハネもここに幽閉されていたのです。なぜヨハネが捕らえられたのか。そのわけはサロメの物語の中で語られています。ヘロデ王は
兄フィリポの妻ヘロデアと不義の関係にありました。そのことをヨハネは厳しく非難していたのです。腹を立てたヘロデ王はヨハネを捕らえます。王の誕生日、ヘロデアの娘サロメは祝いに舞を舞います。褒美に、望むものを何でも与えると言われヘロデアに入れ知恵されたサロメは、ヨハネの首を王に求めました。ヨハネは首を切られ、サロメはその首に口づけをするのです。ヨハネ受難の物語の舞台がここでした。ヘロデ王とヘロデアの不倫関係は、やがて争いの種となり、ユダヤのハスモン王朝は、滅びることに
なるのです。
 赤茶けた色の山々をいくつも越え、再び王の道を下ると、アルノン川の渓谷にさしかかります。かつてはアンモン、モアブという王国の国境であり、自然が作り上げ大渓谷が広がります。道の途中で、ローマ時代のマイル・ストーンを見つけました。起源106年、皇帝トラヤヌスは、王の道を整備し、1.5キロごとにこの塚を置きました。塚には皇帝の名前が刻まれています。
 渓谷を抜けてしばらく行くと、ケラクという町に出ます。海抜1000メートルの山の上に作られた要塞の町、ケラク。12世紀、ヨーロッパから遠征してきた十字軍が作った城跡で、宿場町としても栄えてきました。見晴らしのいいこの場所は、王の道を監視する戦略上の重要拠点であったため、城が築かれました。要塞の内側は、近年遺跡として整備され、当時の様子をうかがい知ることができます。薄暗いトンネルの中に入っていくと、道が迷路のように交叉して、城の内部に張り巡らされています。中には礼拝堂や監獄、ワインを作った部屋まであり、5000人の兵士が暮らしていました。その後、イスラムの時代にも要塞として使われています。
 ケラクから東に行った砂漠の真ん中で、遺跡の発掘調査が行われていました。ここは、タラート・アビータ遺跡。青銅器時代の遊牧民の墓があります。調査しているのは藤井教授です。ヨルダンで発掘を始めて9年目になります。この当時の遊牧民にとってこの場所は聖地であり、ある部族の歴代族長の墓が25器見つかっています。それを一つ一つ調べています。

 まず彼らは生活の場所を移動しますので、通常の集落、都市、そういったものを残さない。そのために生活の遺跡というのがなかなか見つからなくて。唯一、お墓をしっかり作るのね。お墓を目印に彼らの生活を追っていけると。ですからお墓が非常に重要になるという点が言えます。

 この日、一つの墓から人の骨が見つかりました。古い時代の遊牧民の墓が見つかることはほとんどなく、貴重な発見です。4000年前の遊牧民がどのような生活をしていたのか、その手掛かりを見つけることがこの調査の重要な目的です。

 これがタグレア・スクレイパーという板状のスクレイパーというものなんですけれども。これはいろいろな説が言われているんですけれども、非常に有力な説としては遊牧民ですから、羊の毛を刈ったり、もちろん肉を切ったり、それに使われる石器と考えられる。

 手掛かりの少ない遊牧民の痕跡を追って、藤井教授は毎年砂漠にやってきます。この地道な活動によって、都市や農村とは違った人類の文化遺産を発見することができるのです。
 南の砂漠地帯に入ると、いくつものテントを見つけることができます。ベドウィンと呼ばれる遊牧民のテントです。藤井教授が調査していたのも、彼らの祖先。ヨルダンの独自の文化を作り上げてきたのがベドウィンでした。放牧しながら季節ごとに移動する彼らの暮らしの中で、伝統的な技術が代々受け継がれてきました。

♪ヘナガデスワ〜、バ〜ライヤ〜ハ〜
♪ヘナガデスワ〜、バ〜ライヤ〜ハ〜

 女性たちが作る、キリムと呼ばれる織物もその一つです。羊の毛を使って絨毯などの敷物を織り上げます。民謡を口ずさみながら、一本一本丁寧に糸を紡いでいきます。色鮮やかな色彩の糸を使い、数ヶ月かけて、幾何学模様の独特な模様の絨毯ができあがります。

ハナ こちらはベドウィンですよね?これ全部、織物で作られているんですか?

 はい、ええと、この黒いテント。これは黒山羊の毛を使って織ってあるものですね。

▲ これを砂漠の中に建てるだけなんですか?

 そうです。

▲ でも中は随分優雅な暮らしのような気がしますね。

 優雅というか暢気というか、砂漠の中ではですね、しかし非常に快適ではありますよね。基本的に向かって一番右側に、的場というか台所の部分があります。

▲ あ、そうなんですか?こちらは台所だったんですか?

ハナ あ、ほんとだ。女性がいます。

 台所にはもちろん煮炊きが必要ですから炉が必要になりますが、客間には必ず炉が設けてあります。この炉が、お客さんにコーヒーを出したり紅茶を出したりするための炉なんですよね。

▲ ああそうか。客間というか応接室と考えればいいわけですよね。

 男性は通常ここにいるんですよね。逆に言うと、男性以外は滅多に客が来ないというわけです。

▲ コーヒーを入れるのは男性の役って決まっているわけですか?

 そうです。

ハナ これは何をしているんですか?

 これはコーヒー豆を煎った後で、それを砕く臼のような道具になります。

ハナ これは、各テントで皆さん男性群が砕いているんですか?

 いつもではないですが、稀にそういうことをして、で、みんな癖があるので、そのリズムが違うわけですよね。それは砂漠の中でも随分遠くからでも音が聞こえますから、そういう音を聞いていると、どこのテントの誰がコーヒーを準備していると、じゃあ行こうかと。というふうな話を聞いたことがあります。

▲ モザイク、見事ですね。

ハナ ええ、綺麗ですね。

ハナ こちらのモザイク、まるで切り絵のようですね。

▲ 何か色を塗ったみたいに綺麗ですね。

ハナ これが全部、天然の石で作られた色。すごくなんか淡い色がとても見ていて落ち着きます。

▲ この上を歩くのは勿体ないですね。

 ええ、でも床モザイクの場合は、当然のことながらこの上をサンダルないし裸足で、教会に来た方が歩いていたわけですよね。

ハナ 裸足でこの上を歩いていたわけですか?

 ええ。私も歩いたことがありますけれども、ひんやりして、適当に突起があって気持ちのいいものです。

▲ でもこうして植物が、葉っぱが繁った様子の果物、とても豊かな土地何だなという感じにさせられますね。

 実際の土地をそのままリアルに表したものではないんですけれども、キリスト教的な楽園のイメージを表現しているんだとはと思うんですが、皆さんが一般に思っていらっしゃるよりはずっと果物も採れますし、穀物もとれますし、非常に豊かなところだと思います。

 紀元前6世紀、アラビア半島の遊牧民が北上し、ヨルダン南部に定住、王国を作り上げます。ナバテア人です。彼らが築いた巨大都市の遺跡が、旅の最終目的地、ペトラです。ごつごつとした岩山の下に、世界遺産に指定されているペトラ遺跡があります。ペトラとは、岩という意味で、この狭い岩の間の道が入り口になっています。この道は、モーゼが岩を叩いてできた割れ目だと言われ、切り立った崖の間を1.5キロ歩きます。交易都市として発展したペトラは、外敵から攻められにくい、こうした地形を利用して要塞を作り、旅人の安全を保障したのです。
 突然、視界が開けます。高さ43メートル、幅30メートル、巨大な岩の神殿、エルハズネです。宝物殿という意味ですが、王の霊廟とも言われています。2000年前にナバテア人によって作られたものですが、様々な文明の影響を見ることができます。例えば、神殿の上にある彫刻を見ると、両端にはギリシア神話に登場する女性だけの部族アマゾネスが彫られ、中央にはエジプトの女神、イシス。下の段には、馬に乗るアッシリアの死の神が彫られています。あらゆる文明の様式を取り込みながら、新たに壮大な世界を作り上げる。それがナバテア文化の特徴ともいえます。この巨大な神殿は、どのようにして作られたのでしょうか?

 このエルハズネは、上から下へと彫り進められていきました。そのためにまず、足場が作られています。作業に関わった職人の数は、遺跡の規模などによってもちろん違いますが、エルハズネはわずか10人程度の石工によって彫られています。彫るための道具は、11種類の金属製ののみでした。他に、切り落とした石を運ぶための人足が20人くらいいたようです。完成するまでにおよそ3年から6年かかったと思われます。

 このペトラの周辺の岩山は砂岩でできているため、削るのに適していました。それでこうした石の神殿ができあがったのです。さらに遺跡の奥に入ると、岩のあちこちに巨大な建造物が彫られています。これは王家の墳墓で、ペトラにはおよそ500の墳墓があると言われています。この墳墓は5世紀以降、ビザンツ時代には教会として使われていました。色とりどりの岩の層が重なり合い、自然に作られた美しい模様は、まるで天井に描かれた絵のようです。ペトラ遺跡の広さは264平方キロに及び、かつてここに巨大都市があったことが分かります。その中心には、ローマ時代の面影を残した列柱通りがあります。全長150メートル、入り口には凱旋門の一部が残っています。
 ロバの背にゆられて山に登ります。高さ1060メートルの山頂には、ペトラ最大の建造物があります。山頂の岩を削って建てられてのが、高さ45メートル、幅50メートルの修道院、エドディルです。もともとは1世紀半ばに、ナバテア人の神を祀るために建てられたと言われています。どれほどの岩が削られてこの修道院が作られたのか、この岩の厚みを見れば分かります。エジプト、ギリシャ、ローマといった様々な文明を吸収しながら独自の文明を作り上げていった遊牧の民、ナバテア人。岩に隠された巨大都市ペトラには、その知恵や技術が見事に繁栄されていました。

ハナ なんかどきどきする通路ですね。

▲ ね。あ、これがあの?

 そうですね。シークと呼ばれる通路を抜けて、最初に見えてくるエルハズネという、まあ宝物殿です。

▲ 壮大ですね。

ハナ 本当にこう、見上げてしまうほど大きさですけれど、こちらは「インディー・ジョーンズ 最後の聖戦」でもロケ地として使われたんですってね。

 そうですね。この前と、これからシークという細穴になっている場所が両方とも使われていますよね。

▲ こうしてみるとヨルダンという国は幅広く、奥深い国ですね。

 展覧会を始めるに当たってのキーワードとして、小さな国の大きな歴史的多様性ということを掲げたんですけれども、そのことを理解して頂ければと思うんですよね。さらに重要なことは、この多様性が決してヨルダンだけではない。本来的には中東全体についても言えることなんですよね。ところが往々にして中東というと、古代の大文明、でなければ近現代のちょっときな臭いイメージの中東と、この2つで語られることが多いんですよね。しかしヨルダンの場合には、幸いにしてというか不幸にしてというか、大きな、肥沃な平野がありませんでしたから、いわゆるいわゆる古代の大文明はないんです。でも逆にそのことが幸いして、いわゆる中東の本来持っている多様性というものを素直に見てとれる。そのことで、ヨルダンの歴史を見ることで、古代文明と近現代に偏っている中東理解ということをもう一度見直すきっかけになればというのが一つの願いです。

▲ なんかよく分かりましたね。

ハナ 行ってみたくなりましたね、ヨルダンに(笑)。

 行って下さい(プチ怒)。

 ありがとうございました。

「ヨルダン展 @世田谷美術館」

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■アートシーン
国宝中尊寺展 @佐川美術館
コシノヒロコ展 @芦屋市立美術博物館
喰丸文化祭 @旧喰丸小学校
佐倉新町show!展街 @佐倉新町商店街、佐倉市美術館
マン・レイ展「私は謎だ。」@埼玉県立近代美術館
interdependenceーcのかたちー @長崎県南有馬町
疾風迅雷 杉浦康平 雑誌デザインの半世紀展 @ギンザ・グラフィック・ギャラリー

■次回予告
「色彩は歌う アンリ・マティスの世界」

ちゃんちゃんちゃかちゃん
ちゃかちゃかちゃん〜(将棋)

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